
飛田給薬師堂の脇、調布市飛田給1-2の旧道南側を行くこの道↑が、江戸時代初期までの甲州道中。
250㍍ほど行ったところで府中市へと入り、ここで左手より、東海道の品川宿とを結んでいたと云う古道「品川道」が合流。
府中市が建てた標識にはここから先も「品川街道」としているこの旧旧道は、

現在は住宅街の中の生活道路として、京王線を左手の向こうに見ながらほぼ直線に進み、白糸台4丁目あたりで西武多摩川線の線路に分断されている箇所では、傍の踏切を渡って迂回。
続きの地点にあたる府中第四小学校前には、庚申塔とまだ新しい“品川街道”の案内板が。
ここから再び住宅街を行くこと約10分、府中市清水が丘3-15には、この道が確かに江戸時代初期の古道であることを証明する、七里目の「常久一里塚」が。

常久一里塚を過ぎると、やがて京王線「東府中駅」の横に出ます。
250㍍ほど行ったところで府中市へと入り、ここで左手より、東海道の品川宿とを結んでいたと云う古道「品川道」が合流。
府中市が建てた標識にはここから先も「品川街道」としているこの旧旧道は、

現在は住宅街の中の生活道路として、京王線を左手の向こうに見ながらほぼ直線に進み、白糸台4丁目あたりで西武多摩川線の線路に分断されている箇所では、傍の踏切を渡って迂回。
続きの地点にあたる府中第四小学校前には、庚申塔とまだ新しい“品川街道”の案内板が。
ここから再び住宅街を行くこと約10分、府中市清水が丘3-15には、この道が確かに江戸時代初期の古道であることを証明する、七里目の「常久一里塚」が。

常久一里塚を過ぎると、やがて京王線「東府中駅」の横に出ます。