ラジオ放送の、大藏流善竹家「空腕(そらうで)」を聴く。
淀へ鯉を求めて来いと、夜道を使ひに出された太郎冠者の武勇譚(?)
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現代でも、街灯のない夜道は通るのに躊躇するが、野犬も夜盗もまだまだ現役の當時においては、その怖さはまた格別であったらう。
今回の放送によるシテ(太郎冠者)の、まるで抑揚の無いボソボソとした喋りでは、前半の臆病ぶりと後半の空武勇ぶりとの變化が全く効かず、ちゃうど下手くそな朗讀を聞かされてゐるやうで、こちらの退屈も甚だしい。
かつては一族だった茂山家の、お客に媚びた大袈裟な演技も困りものだが、独り言のやうな演技も迷惑だ。
名人だったと聞く先代のあとを二代目として繼ぐ意義がまるでわからない、傳統藝能の缺點ぶりだけは、よく傳はる。