迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

喜怒哀冷。

2023-06-19 11:40:00 | 浮世見聞記
ラジオ放送の、觀世流「俊寛」を聴く。


俊寛僧都のみが中宮お産の恩赦から漏れ、独り絶海の孤島に殘された理由について、謠では解説者の云ふ通り一言も述べられず、ワキの赦免使も「藤原成経と平康頼の二人だけを赦免し、俊寛はひとり残すやう云はれただけだ」と、いかにもお役人な返答で躱すに留まってゐる。



俊寛僧都が自分を引き立ててくれた平清盛に反旗を翻さうとしたこと、流刑先の鬼界ヶ島で神佛へ救ひの祈りを捧げる成経と康頼を小馬鹿にしてゐたことなどが、つひに運命にそっぽを向かれた原因と原典の「平家物語」が指摘してゐることは、すでに膾炙されてゐるところであり、それゆゑに作者は敢へて省いたのかもしれない。

が、赦免使の上の詞には、「今さら云はなくも分かってゐるだらう」との含みを持たせてゐるのだとしたら、このワキ方つとめる赦免使はなかなか面白い役になる。 
 

この曲は江戸時代まで下ると、近松門左衞門によって「平家女護島」と云ふ浄瑠璃劇の一幕に取り入れられ、さらに時代が下って昭和時代になると、劇團前進座が創意工夫を凝らした歌舞伎劇として上演するやうになり、二人登場する赦免使の一人、“丹左衛門尉基康”を演じた五代目嵐芳三郎が、俊寛には同情的ではない冷徹な役人像を創り、今では無い前進座劇場で、今ではゐない人たちばかりで「俊寛」が上演された際、やはり今はゐない五代目芳三郎の次男が父の“型”を受け継ひだ丹左衛門尉で魅せたことは、私にとっては寳物の思ひ出である。









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