道徳教育の評価法をめぐって”甲論乙駁(ばく)”なことをテレビで知った。
大方の意見は他の学科と同じような評価は出来ない、ということのよう
だった。戦前、戦中には修身教育があった。その教科書もあったし、通
信簿にも成績が記されていた。僕の記憶では修身の試験はなかった気
がする。どんな基準で評価していたのであろうかー。どうも他の学科がよ
ければ修身の成績もよかったみたいだ。多分当時の先生方も評価に困
ったのだと思う。
昭和20年度の僕の通知表(中学3年)が手元に残っていた。戦前に印刷
されもので、修身は国語、漢文、文法作文、歴史、地理とともに「国民科」
というグループに入っていた。国民として必要な科目ということなのだろう。
しかし、成績の記述はない。一学期は工場動員で授業はなかった。二、三
学期は修身は廃止されたからだ。興味深いのは戦後も「操行」(日頃の行
い)が通知表に残っている。ただ他の学科の評価が秀、優、良なのに対し、
「操行」だけは甲、乙で評価していた。「操行」も評価できるものではなく苦
肉の策だったのであろう。
教育関係者の一部には道徳教育は、戦前の「教育勅語」の復活だと誤解し、
愛国心の度合いをどう評価するのかーと心配している。修身教育にはそんな
基準も評価もなかった。愛国心は国民として当然なことだ。問題は道徳の評
値基準をどうするかといった枝葉の問題ではなく、いま日本人の誰でもが心
配している道徳の荒廃をいかにすべきかである。
大方の意見は他の学科と同じような評価は出来ない、ということのよう
だった。戦前、戦中には修身教育があった。その教科書もあったし、通
信簿にも成績が記されていた。僕の記憶では修身の試験はなかった気
がする。どんな基準で評価していたのであろうかー。どうも他の学科がよ
ければ修身の成績もよかったみたいだ。多分当時の先生方も評価に困
ったのだと思う。
昭和20年度の僕の通知表(中学3年)が手元に残っていた。戦前に印刷
されもので、修身は国語、漢文、文法作文、歴史、地理とともに「国民科」
というグループに入っていた。国民として必要な科目ということなのだろう。
しかし、成績の記述はない。一学期は工場動員で授業はなかった。二、三
学期は修身は廃止されたからだ。興味深いのは戦後も「操行」(日頃の行
い)が通知表に残っている。ただ他の学科の評価が秀、優、良なのに対し、
「操行」だけは甲、乙で評価していた。「操行」も評価できるものではなく苦
肉の策だったのであろう。
教育関係者の一部には道徳教育は、戦前の「教育勅語」の復活だと誤解し、
愛国心の度合いをどう評価するのかーと心配している。修身教育にはそんな
基準も評価もなかった。愛国心は国民として当然なことだ。問題は道徳の評
値基準をどうするかといった枝葉の問題ではなく、いま日本人の誰でもが心
配している道徳の荒廃をいかにすべきかである。