「四方緑に包まれて 梢に高き富士の峰を仰ぎて
ここにつどいつつ 大崎健児 日野健児 」
これは東京の五反田駅前に戦災まであった母校(廃校)の応援歌である。
明治時代の作詞だが、もちろん、今この地からは富士の清峰は望めない。
歌詞からみると、季節は春みたいだが、これを歌って応援した運動会は
秋、10月だった。
先週の土曜日、一番下の孫の運動会に応援に出かけた。息子のときは一
度も行ったことがなかったがー。好転に恵まれ会場は超満員。敬老席に
招かれて座った。赤白の帽子をかぶった元気な子供たちを見て想いは60
数年前にまい戻った。
当時の運動会には今のように大勢父母は来なかった。少なくとも父親の
姿はなかった。敬老席などなく、むしろの上に、おばあさんが座っていた
のが残照として残っている。孫の学校は人工芝だが、僕の学校の校庭は
固いコンクリート、転倒して”赤ちん”を塗って貰う子が多かった。男も女も
あの当時は白い”裸足タビ”をはき、女の子はブルーマ姿であった。
運動会は春がよいのか、秋がよいのかー。首都圏では最近春が多くなって
きた。太宰治の作品「津軽」の中で、乳母と再会する運動会は昭和19年5月
である。札幌に勤務していたときも確か春だった記憶がある。やはり北国で
は、秋より春のほうが開催にはふさわしいのだろう。
首都圏では気候的には春秋同じ条件だそうだ。そうだとすれば老人には想い
出があるだけに秋の開催に戻してもらいたいものだが。
ここにつどいつつ 大崎健児 日野健児 」
これは東京の五反田駅前に戦災まであった母校(廃校)の応援歌である。
明治時代の作詞だが、もちろん、今この地からは富士の清峰は望めない。
歌詞からみると、季節は春みたいだが、これを歌って応援した運動会は
秋、10月だった。
先週の土曜日、一番下の孫の運動会に応援に出かけた。息子のときは一
度も行ったことがなかったがー。好転に恵まれ会場は超満員。敬老席に
招かれて座った。赤白の帽子をかぶった元気な子供たちを見て想いは60
数年前にまい戻った。
当時の運動会には今のように大勢父母は来なかった。少なくとも父親の
姿はなかった。敬老席などなく、むしろの上に、おばあさんが座っていた
のが残照として残っている。孫の学校は人工芝だが、僕の学校の校庭は
固いコンクリート、転倒して”赤ちん”を塗って貰う子が多かった。男も女も
あの当時は白い”裸足タビ”をはき、女の子はブルーマ姿であった。
運動会は春がよいのか、秋がよいのかー。首都圏では最近春が多くなって
きた。太宰治の作品「津軽」の中で、乳母と再会する運動会は昭和19年5月
である。札幌に勤務していたときも確か春だった記憶がある。やはり北国で
は、秋より春のほうが開催にはふさわしいのだろう。
首都圏では気候的には春秋同じ条件だそうだ。そうだとすれば老人には想い
出があるだけに秋の開催に戻してもらいたいものだが。