「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

祝い酒 亡父の二回目の「還暦」

2007-05-16 05:14:06 | Weblog
きょうは亡父の生誕123年である。文豪でも著名な画家でもないの
に”生誕”の言葉は似つかわしくないが、父は明治17年5月16日
東京下谷(台東区)に生まれている。子供の頃、上野の山に遊びに
行くと、彰義隊の撃った鉄砲の玉が山門に突き刺さっていたという。

その父の昭和19年の誕生日の日記にこう書いてある。「けふは僕の
61回目の誕生日なので世が世ならば老後の思い出に還暦の賀莚で
も開きたいところだが、何分にもこの時局であり、娘の喪中でもあるの
で、それも出来ず甚だ残念である。何もか戦勝後めでたい春に譲ると
しやう」娘は僕の一人きりの姉で、この二週間前に早逝している。

亡父は無類の酒好きだった。酒がなければ世があけないほどの"飲兵
衛”だった。昭和19,20年は戦争中でものがなく、父の日記帳もほと
んど書くスペースもない粗末なものだったが、必ず,どこそこで日本酒、どこ
そこのビアホールで生ビールと書いてある。この時代、食べ物もろくに
ないのに都心の「国民酒場」にはあって、父は行列して籤にあたると、こ
れにありついていたようだ。

戦争には負けたが、おカネさえあれば、いくらでも飲める有難い世の中に
なった。すでに二回目の還暦はすぎたが、遅ればせながら、きょう亡父の
ために、ささやかな賀莚を開き、杯をあげようと思っている。忙しさを理由
に忘れていた僕の還暦祝いもかね、飲みすぎないように。