きょうは亡父の生誕123年である。文豪でも著名な画家でもないの
に”生誕”の言葉は似つかわしくないが、父は明治17年5月16日
東京下谷(台東区)に生まれている。子供の頃、上野の山に遊びに
行くと、彰義隊の撃った鉄砲の玉が山門に突き刺さっていたという。
その父の昭和19年の誕生日の日記にこう書いてある。「けふは僕の
61回目の誕生日なので世が世ならば老後の思い出に還暦の賀莚で
も開きたいところだが、何分にもこの時局であり、娘の喪中でもあるの
で、それも出来ず甚だ残念である。何もか戦勝後めでたい春に譲ると
しやう」娘は僕の一人きりの姉で、この二週間前に早逝している。
亡父は無類の酒好きだった。酒がなければ世があけないほどの"飲兵
衛”だった。昭和19,20年は戦争中でものがなく、父の日記帳もほと
んど書くスペースもない粗末なものだったが、必ず,どこそこで日本酒、どこ
そこのビアホールで生ビールと書いてある。この時代、食べ物もろくに
ないのに都心の「国民酒場」にはあって、父は行列して籤にあたると、こ
れにありついていたようだ。
戦争には負けたが、おカネさえあれば、いくらでも飲める有難い世の中に
なった。すでに二回目の還暦はすぎたが、遅ればせながら、きょう亡父の
ために、ささやかな賀莚を開き、杯をあげようと思っている。忙しさを理由
に忘れていた僕の還暦祝いもかね、飲みすぎないように。
に”生誕”の言葉は似つかわしくないが、父は明治17年5月16日
東京下谷(台東区)に生まれている。子供の頃、上野の山に遊びに
行くと、彰義隊の撃った鉄砲の玉が山門に突き刺さっていたという。
その父の昭和19年の誕生日の日記にこう書いてある。「けふは僕の
61回目の誕生日なので世が世ならば老後の思い出に還暦の賀莚で
も開きたいところだが、何分にもこの時局であり、娘の喪中でもあるの
で、それも出来ず甚だ残念である。何もか戦勝後めでたい春に譲ると
しやう」娘は僕の一人きりの姉で、この二週間前に早逝している。
亡父は無類の酒好きだった。酒がなければ世があけないほどの"飲兵
衛”だった。昭和19,20年は戦争中でものがなく、父の日記帳もほと
んど書くスペースもない粗末なものだったが、必ず,どこそこで日本酒、どこ
そこのビアホールで生ビールと書いてある。この時代、食べ物もろくに
ないのに都心の「国民酒場」にはあって、父は行列して籤にあたると、こ
れにありついていたようだ。
戦争には負けたが、おカネさえあれば、いくらでも飲める有難い世の中に
なった。すでに二回目の還暦はすぎたが、遅ればせながら、きょう亡父の
ために、ささやかな賀莚を開き、杯をあげようと思っている。忙しさを理由
に忘れていた僕の還暦祝いもかね、飲みすぎないように。