山口県美弥市に民間管理運営の刑務所が出来た。その収容棟の部屋を
テレビの画面で見たが、ベッドにテレビ、個人用のテーブルまで備えており
一見ビジネス・ホテルと身まちがうほどである。拘束さえなければ、昭和
30年代の日本の企業の宿直室よりはるかに豪華だ。
昭和37年暮、僕は海外取材でクェートのカフジ海底油田の前進基地を訪
れた。日本のアラビア石油が試掘を始めてまもなくの頃だったが、日本から
来た技術者たちはカマボコ型の宿舎で生活していた。カマボコ型宿舎という
のは、戦後すぐ進駐軍が日本にもちこんだ簡易住宅。まわりの壁から屋根
までトタン張りで、アラビアの砂漠の直射日光を浴びると、内部は灼熱、僕
は、いたく同情した記憶がある。
当時の日本の企業は従業員の福祉厚生などあまり配慮しなかった。また従
業員もそれが当たり前のことと思っていた。僕はそのころ仕事の関係で週に
三回、宿直勤務についていたが、宿直室は二段の”蚕棚”ベッドの大部屋で、
男の汗が充満していて眠れるものではなかった。
美弥の民間刑務所を見て、昭和30年代を想い出し、日本もリッチになったも
のと思った。だが半面、これまでする必要があるのだろうかーとも正直思った。
刑務所は刑務所である。経済効率だけ考えて、刑務所の持つ矯正面がおろそ
かになっているのではないだろうかー。
国の刑務所の収容過剰が民間刑務所の発想となったと聞くが、発想が本末転
倒しているようにも思える。
テレビの画面で見たが、ベッドにテレビ、個人用のテーブルまで備えており
一見ビジネス・ホテルと身まちがうほどである。拘束さえなければ、昭和
30年代の日本の企業の宿直室よりはるかに豪華だ。
昭和37年暮、僕は海外取材でクェートのカフジ海底油田の前進基地を訪
れた。日本のアラビア石油が試掘を始めてまもなくの頃だったが、日本から
来た技術者たちはカマボコ型の宿舎で生活していた。カマボコ型宿舎という
のは、戦後すぐ進駐軍が日本にもちこんだ簡易住宅。まわりの壁から屋根
までトタン張りで、アラビアの砂漠の直射日光を浴びると、内部は灼熱、僕
は、いたく同情した記憶がある。
当時の日本の企業は従業員の福祉厚生などあまり配慮しなかった。また従
業員もそれが当たり前のことと思っていた。僕はそのころ仕事の関係で週に
三回、宿直勤務についていたが、宿直室は二段の”蚕棚”ベッドの大部屋で、
男の汗が充満していて眠れるものではなかった。
美弥の民間刑務所を見て、昭和30年代を想い出し、日本もリッチになったも
のと思った。だが半面、これまでする必要があるのだろうかーとも正直思った。
刑務所は刑務所である。経済効率だけ考えて、刑務所の持つ矯正面がおろそ
かになっているのではないだろうかー。
国の刑務所の収容過剰が民間刑務所の発想となったと聞くが、発想が本末転
倒しているようにも思える。