「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

         鶯がやってこない啓蟄(けいちつ)

2008-03-06 07:22:45 | Weblog
昨日は二十四節の一つで地中の虫が目を覚ますという啓蟄。春の到来を告げる日
なのだが、今年の首都圏はここへ来て春が足踏みをした感じだ。一昨年、小ブログ
は、啓蟄の日にわが家で目を覚ましたガマについて書いたが、今年はまだその姿に
お目にかからない。どうしたのであろうかー。

わが家の”猫の額”ほどの庭には、半世紀も前、老妻が嫁いできた頃からガマが共
生している。ガマの生態について知らないが、近くに川や池がないのに不思議だ。
啓蟄の頃になると枯れ草の下から姿をみせる。あまり格好はよくないが、長いおつ
きあいで、愛着を感じるようになった。

すっかり宅地開発で自然が消滅した都会は、生き物にとっては酷で可哀そうだ。毎
年、梅の咲くころにはやってきた鶯も昨年あたりからその鳴き声をきかない。宅地開
発で庭の梅の木が伐られてしまったからだ。つがいでやってきていた山鳩の姿もみ
ていない。鳥の鳴き声はゴミをあさるカラスだけだ。

昭和30年代まで、わが家の周囲にはまだ自然が残っていた、藁葺きの農家も散見さ
れたが、宅地開発がすすみ屋敷林だったケヤキやセンの木が惜しげもなく伐採され
た。道路は舗装化され、小川は暗渠となってしまった。これでは生き物の住む環境で
はないのだろう。夏場、羽化したばかりのアブラゼミが羽をバタバタさせてコンクリート
の路上に倒れている姿を見かける。老妻が昨秋、駐車場脇の溝で干からびたガマ君
の死体をみたという。もしかするとガマ君一家は途絶えてしまったのかもしれない。