メナド(Manado)のインドネシアの知人からFAXが届いた。メナドは大東
亜戦争の時日本の落下傘部隊が降下した地。そして堀内豊秋落下傘
部隊長の善政で、いまでも親日家が多い。FAXの文面は自分の息子と
娘が日本に留学しているので「日本インドネシア友好協議会」の人たち
に紹介してくれ、という内容である。
文面の団体は大東亜戦争中、いまのインドネシアの地に駐屯していた
旧大日本帝国軍人で組織している戦友会の総元締め団体。この人たち
がまだ元気だった平成のはじめ頃には、全国百数十の戦友会が加盟、
年に数回の総会には日の丸と軍艦旗の下「ブンガワン・ソロ」など現地
の歌をノスタルデイックに合唱したものだ。
ところが、今やこの世代も80歳なかばを越え、ほとんどの戦友会は解散
し、元締めの団体も"開店休業”なにも活動していない。僕は従軍世代
ではないし、戦友会についての理解はないが、ただ一つ感心するのは、
彼らが必ず、会に在日インドネシア人を招待し、郷愁と感謝の念をこめて
昔習った片言の現地語でともに親善を深めていたことだ。
メナドの知人は、昔在日インドネシア大使館に勤務していた。多分戦友
会に何回も招待されたのであろう。残念ながら、もう、かっての戦友会の
親善風景はない。戦後、インドネシアに勤務した日本人は、大日本帝国
の軍人の数よりもしかすると多いかもしれない。しかし、彼らには現地で
の草の根の交流はないみたいだ。ともに歌い、ともに語る機会は少なくな
り、親善の度も薄くなってきた。
亜戦争の時日本の落下傘部隊が降下した地。そして堀内豊秋落下傘
部隊長の善政で、いまでも親日家が多い。FAXの文面は自分の息子と
娘が日本に留学しているので「日本インドネシア友好協議会」の人たち
に紹介してくれ、という内容である。
文面の団体は大東亜戦争中、いまのインドネシアの地に駐屯していた
旧大日本帝国軍人で組織している戦友会の総元締め団体。この人たち
がまだ元気だった平成のはじめ頃には、全国百数十の戦友会が加盟、
年に数回の総会には日の丸と軍艦旗の下「ブンガワン・ソロ」など現地
の歌をノスタルデイックに合唱したものだ。
ところが、今やこの世代も80歳なかばを越え、ほとんどの戦友会は解散
し、元締めの団体も"開店休業”なにも活動していない。僕は従軍世代
ではないし、戦友会についての理解はないが、ただ一つ感心するのは、
彼らが必ず、会に在日インドネシア人を招待し、郷愁と感謝の念をこめて
昔習った片言の現地語でともに親善を深めていたことだ。
メナドの知人は、昔在日インドネシア大使館に勤務していた。多分戦友
会に何回も招待されたのであろう。残念ながら、もう、かっての戦友会の
親善風景はない。戦後、インドネシアに勤務した日本人は、大日本帝国
の軍人の数よりもしかすると多いかもしれない。しかし、彼らには現地で
の草の根の交流はないみたいだ。ともに歌い、ともに語る機会は少なくな
り、親善の度も薄くなってきた。