昨日11月3日は「文化の日」の祝日。戦前は明治天皇の誕生日で「明治節」といい
元旦、紀元節(2月11日)天長節(4月29日)とならんで四大節、つまり国民が祝う
四つの大きな祝日であった。戦後64年、かって「明治節」を祝った記憶のある日本
人も少なくなってきた。
「明治節」の当日は学校で式があり”アジアの東、日いづるところ”で始まる式歌を
合唱、学校からお祝いの紅白の饅頭を貰ったものだ。子どもだった僕は式歌の三
番”秋の空澄み、菊の香高き”の”香高き”の意味がわからず誤って”肩かけ”だと
思っていた。
昭和の10年代には、まだ女性は着物姿が多く、学校の遠足の集合写真をみると付
き添いの母親はみな着物を着ている。僕が誤って記憶していた”肩かけ”は着物の
女性が冬、防寒用に肩にかけたショールである。
「明治節」の季節の頃、かっては東京でも町のあちこちで菊作りの家がみられたが最
近はわが家の周辺ではほとんどなくなった。戦前この季節、東京では両国の旧国技
館や多摩川園遊園地などで菊人形展が開催され、多勢の人出で賑わったが、今はど
こでもやっていない。菊人形展は、江戸時代から続いていた伝統の催しだけに寂しい。
これも時代なのかもしれないが、次第に社会にうるおいがなくなってきた感じがする。
社会のとげとげしさは、こんなところに原因があるのかもしれない。
元旦、紀元節(2月11日)天長節(4月29日)とならんで四大節、つまり国民が祝う
四つの大きな祝日であった。戦後64年、かって「明治節」を祝った記憶のある日本
人も少なくなってきた。
「明治節」の当日は学校で式があり”アジアの東、日いづるところ”で始まる式歌を
合唱、学校からお祝いの紅白の饅頭を貰ったものだ。子どもだった僕は式歌の三
番”秋の空澄み、菊の香高き”の”香高き”の意味がわからず誤って”肩かけ”だと
思っていた。
昭和の10年代には、まだ女性は着物姿が多く、学校の遠足の集合写真をみると付
き添いの母親はみな着物を着ている。僕が誤って記憶していた”肩かけ”は着物の
女性が冬、防寒用に肩にかけたショールである。
「明治節」の季節の頃、かっては東京でも町のあちこちで菊作りの家がみられたが最
近はわが家の周辺ではほとんどなくなった。戦前この季節、東京では両国の旧国技
館や多摩川園遊園地などで菊人形展が開催され、多勢の人出で賑わったが、今はど
こでもやっていない。菊人形展は、江戸時代から続いていた伝統の催しだけに寂しい。
これも時代なのかもしれないが、次第に社会にうるおいがなくなってきた感じがする。
社会のとげとげしさは、こんなところに原因があるのかもしれない。