「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

オランダ350年の植民地終焉の地、カリジャティを知らない日本人

2015-03-07 06:00:52 | Weblog
カリジャテイ(Kalijati)といっても大方の日本人は知らないかもしれない。カリジャティはインドネシアの西ジャワ州サバン県にある小さな町だが、73年前の1942年(昭和17年)3月9日、オランダの東印度軍が、上陸してきた日本軍の全面攻撃に会い、僅か10日足らずの戦闘で敗北、降伏式が行われた地である。インドネシア人は学校の歴史でこれを学び、和蘭350年の植民地終焉地として皆知っている。

1942年3月1日、ジャワ島の3か所の知から上陸した今村均将軍率いる第16軍は、東印度軍の激しい抵抗に会ったが、僅か4日で首都バタヴィア(ジャカルタ)を占領した。この結果、オランダの植民地政府、東印度のチャルダ提督とテル.ボール総司令官は、降伏を申し入れ、空軍基地のあったカリジャテイで、9日今村司令官との間で調印式が行われた。この調印式の建物は今「歴史の間」(Rumah Sejara)という名の博物館として残っている。

カリジャティは今もインドネシアの空軍基地として使われているが、その敷地内に73年前の戦闘で戦死した旧日本兵の記念碑があり、インドネシア空軍が管理してくれている。数年前までは、戦争中この地にいた陸軍航空隊のOB会「カリジャティ」会が毎年8月15日に訪れ参拝していた。しかし、今は会員の高齢化で訪問できなくなっている。「カリジャテイ」会としては在ジャカルタ日本大使館に、年に一度、代わって墓参してくれと申し入れていたそうだが、実現したかどうか。

空軍管理内にあるので、手続上、墓参が難しいことは解るが、ジャカルタから百数十キロ、2時間あれば行ける距離である。管理してくれているインドネシア側への感謝をこめて、大使館がダメなら、日本人会が変って、年に一回ぐらいは墓参して貰いたいものである。