「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

大東亜戦争の聞き取り調査(3)アチェ義勇軍教官

2015-03-30 06:12:45 | Weblog
昨日、インドネシアの郷土防衛義勇軍(略称義勇軍=PETA(Pembela Tanah Air)の研究家、長谷川司さんを戦時中スマトラのアチェで義勇軍の教官をしていた後安克己さん(94)を紹介するため、東京郊外の有料老人ホームに訪ねた。後安さんはご高齢にもかかわらず、かくしゃくとお元気で、ご自分でパソコンを駆使して作成された資料を用意して僕らを迎えてくれた。後安さんは大東亜戦争中、アチェのインド洋に面するタバトアンにあったアチェ義勇軍中隊つき教官をされていた方だ。

インドネシアの義勇軍は、戦争末期に近い昭和18年10月、日本軍の兵力不足を補うため、現地で”郷土防衛”目的に結成された軍隊で、日本の敗戦時には全土で3万8千人の大きな組織になり、これが後年インドネシアがオランダと間の独立戦争を戦ったさいの中核となり、勝利に導き独立を達成した。

日本での義勇軍の研究はジャワについては進んでいるが、スマトラ義勇軍はまだ組織的な解明はなされていない。例えば、スマトラ駐屯日本軍の第25軍軍司令部顧問であったマジッド,ウスマン氏(故人)の発意でスマトラ義勇軍は、結成されたとされている(ウスマン氏夫人、日本名長田周子さん(100)ジャカルタ居住証言)が、日本ではウスマン氏の名前さえ忘れかけている。

従軍世代はおろか、戦争の次の継承者であるはずの昭和1ケタさえ高齢になってきている。日本とインドネシアとが今のような友好関係にあるのは、一つには先人たちお蔭だと僕は思っている。長谷川さんたち戦争を知らない世代が、義勇軍の研究を初め、3年余りの日本軍政期に再び光をあて、「歴史戦争の同盟国であるインドネシア」(雑誌正論4月号 長谷川司)との友好増進に期待すること大である。