北陸新幹線が昨日長野―金沢間が延伸され東京と金沢が僅か2時間28分で結ばれた。一方、東海道新幹線「のぞみ」の最高速度が23年ぶりに15キロアップされ、東京―大阪間が2時間22分で行けることになった。1956年(昭和31年)、東海道線が全線電化されて東京―大阪間が7時間30分になるまで8時間もかかっていた。それを思うとまさに隔世の感がある。
夢の超特急といわれた「燕」が東海道線に登場したのは1930年、それまでの特急「富士」が10時間以上かかって東京―大阪間を走っていたのを一挙に8時間30分に短縮した。「燕」は戦争中の昭和18年、戦争の激化に伴い、一時廃止されたが、戦後「へいわ」の名前を経て、26年「つばめ」で復活した時には、電化されていない区間は蒸気機関車(SL)であった。それでも当時「つばめ」の名前が懐かしかったのだろう。NHKラジオの「日曜娯楽版」で歌われた”僕は特急の機関士”が大流行、”三分停車ではキスするヒマさえない”と話題になった。
最高時速285キロで走る「のぞみ」や北陸新幹線の新車両「かがやき」が各駅で何分停車するか寡聞にしてしらない。安全運転を考え「三分停車」には変わりがないだろう。しかし、スピードは大幅にアップされ、沿道の景色を昔のようにゆっくり楽しむ余裕はなくなった。かっての超特急「燕」には展望車や食堂車があり、旅の喜びがあった。数年先には、今度は新幹線より早い,リニア.モーターカーが登場してくる。老い先短い年寄りには、スピードアップされてもあまり利便はないし嬉しくもない。
夢の超特急といわれた「燕」が東海道線に登場したのは1930年、それまでの特急「富士」が10時間以上かかって東京―大阪間を走っていたのを一挙に8時間30分に短縮した。「燕」は戦争中の昭和18年、戦争の激化に伴い、一時廃止されたが、戦後「へいわ」の名前を経て、26年「つばめ」で復活した時には、電化されていない区間は蒸気機関車(SL)であった。それでも当時「つばめ」の名前が懐かしかったのだろう。NHKラジオの「日曜娯楽版」で歌われた”僕は特急の機関士”が大流行、”三分停車ではキスするヒマさえない”と話題になった。
最高時速285キロで走る「のぞみ」や北陸新幹線の新車両「かがやき」が各駅で何分停車するか寡聞にしてしらない。安全運転を考え「三分停車」には変わりがないだろう。しかし、スピードは大幅にアップされ、沿道の景色を昔のようにゆっくり楽しむ余裕はなくなった。かっての超特急「燕」には展望車や食堂車があり、旅の喜びがあった。数年先には、今度は新幹線より早い,リニア.モーターカーが登場してくる。老い先短い年寄りには、スピードアップされてもあまり利便はないし嬉しくもない。