「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

無意味で軽率な三原議員の「八紘一宇」発言

2015-03-19 06:13:23 | Weblog
自民党の三原じゅん子参院議員が国会の予算委員会で「八紘一宇」という言葉を使ったのは、日本の過去の侵略戦争を肯定するものだと波紋を呼んでいる。麻生太郎財政相が”三原議員のような若い世代が「八紘一宇」を知っていたとは驚きだ”と言っていたが、僕も同感。三原議員が果たして「八紘一宇」の本当の意味を知っていたかどうかは別問題として、誤解を呼ぶような、こんな色褪せた言葉を”戦後70年”のこの時期に使用するのは軽率だ。

「八紘一宇」とは広辞林によると”世界を一つの家にする事。太平洋戦争期、わが国の海外進出を正当化するために用いられた標語”とある。戦争中小学生であった僕も「八紘一宇」を知っている。”見よ東海の空明けて”で始まる「愛国行進曲」(昭和12年情報局制定)の二番には”往け八紘を宇として四海の人を導いて正しい平和打ち立てた理想の花と咲き誇る”とある。三原議員のように本来は”世界が家族のように仲良くしよう”という意味なのだ。

しかし、戦争中のものは、すべて”悪”だという風潮の中で「八紘一宇」は、日本のアジア侵略、植民地主義を肯定するスローガンだと一般には受け取られている。今年は戦後70年で、安倍総理の「70年談話」が注目されており、今から近隣諸国の中には、内容の如何にかかわらず、批判しようと”手ぐすね”引いて待っている。そんな中での「八紘一宇”発言である。誤解を呼ぶ、言わずもがなの無意味な発言である。

戦争中、僕はまだ子供だったから「八紘一宇」の本当の意味を知らなっかのは当然だが、戦争中「スマトラ新聞」の記者であった僕の先輩の菊池秀広さん(故人)は自著「ムルデカに喝采」(講談社出版)の中で「八紘一宇」を現地の人に理解させるのに困ったと述懐している。どれだけの日本人が当時「八紘一宇」を理解していたかは不明だ。