「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

「心」より「カネ」だったインドネシアの高速鉄道建設

2015-10-01 10:04:04 | 2012・1・1
わが国と中国との間で受注を競い合っていたインドネシアの高速鉄道計画は、二転三転のあげく中国案で決まった。インドネシアの苦渋の決定とは思うが何とも後味が悪い。日本とインドネシアとの外交は心と心(dari hati ke hati)が基本だとされているが、結局は「心と「心」ではなくて「おカネ」が優先されたようである。

戦後70年、わが国は終始インドネシアとは、心と心のお付き合いしている。独立して間もないインドネシアに対しては、戦争で迷惑をかけたとして803億円という巨額な賠償金を支払った。その後も一貫して西イリアン闘争でのオランダとの争い等インドネシアに積極的に支援してきた。なかでもスカルノ初代大統領の経済政策の失敗で、破たん状態にあった同国に対して、いち早く国際債権国会議を開いて破産から救った。それよりもインドネシアはわが国のODA(政府開発援助)の最大の供与国である。

これに対して中国とインドネシアとの関係はどうか。50年前の9.30事件の後、政権についたスハルト大統領は、事件の背後に中国があると断定、23年間も両国の外交関係は断絶していた。そして、国内の華僑に対しても、名前を現地名に変え,中国語の新聞発行を停止させるなど弾圧策を取ってきていた。

中国がインドネシアに台頭しだしたのは今世紀になってからである。インドネシアのLNG等の天然資源を大量に輸入し、一方では華僑のネットワークを通じて中国産の安い雑貨製品などをインドネシアに輸出し始めてきた。その戦略は、中国がアフリか、中南米に展開している世界戦略の一つである。「心」と「心」といった情緒ではなく、直接「おカネ」が絡んでくる。日本政府の展開している”有償援助方式”では立ちうち出来ない。わが国の官民挙げてのインフラ輸出も政策偏向の曲がり角に来ているのかもしれない。



紫においし東京市の時代

2015-10-01 04:50:00 | 2012・1・1
10月Ⅰ日は東京「都民の日」である。都内の公立学校は休みで、都立の動物園、水族館、博物館、美術館等は無料で入館できる。残念ながら80歳半ばの老人では、どこへも出かける気力も体力もなく、家で昔を偲びながら、故郷、東京の「都民の日」を祝った。

戦時下の昭和18年、東京府と東京市が一緒になるまで10月Ⅰ日は東京「市民の日」であった。やはり休日だったようだが、一方で、学校の祝典で「東京市歌」を歌った記憶がある。”紫においし”で始まる「東京市歌」は、同時代の東京の小国民は今でもこの歌を憶えている。
         ♯ 東京市歌(作詞 高田耕甫 作曲 山田耕作)
           紫においし武蔵野の野辺に 日本の文化の花咲きみだれ
           月影入るべき山端もなき  昔の広野の面影いずこ

大正15年に「東京市歌」に制定されているが、昭和7年、日本コロムビアからSPとしてレリーズされ、そのA面に収録され、B面には「東京市童謡」が入っている。僕はこの歌を知らなかったが、歌詞がその時代を反映していて面白い。
         ♯ 東京市童謡(作詞 吉岡栄二郎 作曲 山田耕作)
          (1)日本一の東京は それはどなたがしたのです じいさま、ばあさまなのです
          (2)東洋一の東京は それはどなたがしたのです とうさま、かあさまなのです
          (③)世界一の東京は それはどなたがするのです それはわたしです

戦前の地理の時間では、世界の都市は人口の大きさ順に、ニューヨーク、ロンドン、東京、パリだと教わっていた気がする。「東京市童謡」は当時の日本人の意気ごみを歌ったものだが、80年後、残念ながら東京(特別区)の人口は9百10万人で、世界10位、ちなみに1位はインドのムンバイで1千30万人。ニューヨークは13位、ロンドンは15位である。