「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

高速鉄道受注の失敗と日本とインドネシアとの友好親善關係

2015-10-05 05:55:29 | 2012・1・1
最近すっかり個人的な封書手紙を頂く機会が減ってきたが、先日,一日家を留守にした間に二通も郵便箱に入っていた。うち一通は、戦争中ジャワで大宅壮一、富沢有為男、松井翆声らと一緒に第十六軍の宣伝班員だった金子智一氏の縁戚に当たるSさんからの手書きの手紙であった。金子智一氏(故人)は、戦後ユースホステル協会や「歩け歩け運動」で活躍する一方、インドネシアとの友好親善につとめ、スハルト大統領から、その功により勲章を頂戴している方だ。

10年ほど前までは、東京のインドネシア関係の会といえば、金子さんを初め戦争でインドネシアへ行っていた従軍世代がが中心であった。大使館からも大勢のインドネシア人館員が参加、和気あいあいと最後には皆で「ブンガワン.ソロ」や「愛国の花」を歌ったものだった。ところが、先日、大使館主催でホテルで開催されたパーテイは参加者こそ数百人と多かったが、申し訳ないが、昔のような”暖かさ”が感じられなかった。挨拶もあまりインドネシアとは関係のない政治家が、日本語で空々しい事を言っていた。

金子智一さんは毎年8月17日のインドネシア独立記念日には、東京から歩け歩け運動の会員を中心に沢山の日本人を連れてジャカルタの式典に参加した後、皆で市内を歩け歩け運動して話題になっていた。今年、東京で開かれた独立祝典は、まだインドネシア政府が高速鉄道を発注先を決定する前だったが、参加した日本人の政治家はあいさつの中で、この高速鉄道に触れて、日本は11月、一千人の観光客をジャカルタに送り込むと約束していた。独立を祝う式典には、あまりふさわしく内容であった。受注が出来なっからといって、まさか一千人送り込み計画が反古になることがないと思うが。

どうも、僕からみると、最近のインドネシアに関係している日本人は過去の両国関係について知らなすぎる。いたずらに戦争中の日本の軍政を高く評価するつもりはないが、何故、インドネシア人がアジアで一番の友好国に日本をあげるのか。よく分析してみて、さらにそれをバネにして一層の友好親善に利用すれば、今回の高速鉄道の受注に失敗するようなことはないと思うのだが。