「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

インドネシアの”ロームシャ”のレーリーフ

2015-10-16 05:48:35 | 2012・1・1
関西に住む知人から朝日新聞の切り抜き「南方からの視線戦後70年」③インドネシアと太平洋戦争(8月6日)が送られてきた。その記事の中にスマトラのリアゥ州の州都、ぺカンバル(Pekanbaru)の労働英雄公園にある戦争中日本軍が建設した「スマトラ横断鉄道」の労務者のレリーフが紹介されていた。掲載されたレリーフの写真を見ると、銃を構えた日本軍の監視の下で半裸の労務者たちがうごめくように働いている。

労務者という言葉はインドネシアでも”Rounusya"である。手元にある「インドネシア語英語辞典」によると”Brutally exploited labour"(残虐な搾取労働)という意で、語源は戦時中の日本軍の労働者徴集とある。首都ジャカルタにある独立記念搭の施設にも、日本軍によって酷使されているrouusya のレリーフがあるが、10年ほど前、僕がぺカンバルを訪れたさいには、このレり―フはなかった。

「スマトラ横断鉄道」は戦時中の昭和18年、マラッカ海峡寄りの川港、ぺカンバルから西側インド洋の内陸の町、ムアラ間220キロを結んで建設された。工期が2年間と短かったことと、赤道直下に近い酷暑の劣悪な労働条件下で、使役に従事させられた連合軍捕虜やromusyaga が病気や怪我で倒れ、多数の犠牲者を出している。戦後の連合軍裁判で、この責任を問われて、第25軍田辺盛武司令官らが処刑されている。

労務者問題の補償、すでに昭和33年の日本.インドネシア賠償協定で解決済みである。確かに労務者問題は、インドネシア人社会に大きな迷惑をかけた。しかし、ジャカルタの独立記念塔は、日本からの賠償資金引き当てで建設されている。ぺカンバルのroumusyaレり―フが戦後70年近く経った今、新しく作られ、またこれを日本の新聞が取り上げるのか改めて考えさせられる。