「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

日本人が見られないインドネシアの日本歴史遺産

2015-11-06 07:29:39 | 2012・1・1
小ブログ「オランダ350年植民地終焉の地カリジャテイを知らない日本人」(2015年3月7日更新)を見た関西在住のIさんが先月カリジャテイを訪れ、その訪問記を送って頂いた。Iさんはバンドンのホテルから運転手兼通訳の車をチャーターして現地へ出かけた。事前の調査で、インドネシアではカリジャテイの名前は歴史教科書にも出てきて誰もが知っているという話だったが、雇った若い運転手は知らなかった。Iさんは、現在インドネシア軍の空軍基地内になっている旧日本軍の慰霊碑は事前の届け出がないと墓参出来ないのを知っており、基地近くで持参した日本酒と煙草を献納、お線香をあげるつもりであったが、基地の衛兵は基地の営門近くの部屋(多分イスラム礼拝所)へ案内した。

Iさんは、一応目的を果し帰途に着こうとしたら、衛兵がパスポートのコピーをし、基地内での写真撮影をしなければ、日本円で衛兵1人につき千円(3人いたので3千円)出せば案内するといってききた。Iさんは折角遠路やってきたので、申し出を受け基地内を案内して貰ったが、慰霊碑の前も素通り、さらには一般に公開されている、蘭印軍の総督や司令官が、第16軍の今村均将軍に全面降伏した博物館「歴史の家」(”Rumah Sejarah”)さえ案内しなかった。

シンガポールには英国軍が第25軍(山下奉文司令官)軍にやはり全面降伏した、ブキテイマ.フォード工場跡に現在博物館が建てられ一般に公開され、古くは日露の役の出師営跡も観光スポットになっている。カリジャテイの「歴史の家」も公開したらどうなのか。東京の国立近代絵画館には、カリジャテイを描いた小磯良平画伯ほかの戦争画が保存されている。複製でもよいからインドネシア側に提供したりして、歴史遺産に協力すれば、日イ双方の友好に役立つと思うのだが。併せて見放されている日本軍慰霊碑の保存にもなる。