「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

駒沢郷愁

2015-11-25 05:56:09 | 2012・1・1
小春日和に恵まれた昨日、70年来の近所に住む旧友二人に誘われて駒沢五輪公園に出かけた。公園に添う駒沢通りの銀杏並木は見事に黄葉していたが、園内のカエデや桜の紅葉は、まだ若干早くまだら模様であった。しかし、晩秋の一日を充分に楽しめた。

駒沢公園は、自宅から近いこともあって想い出の地である。昭和39年の東京オリンピックの際には、サッカー、バレーボールなどの会場などになり、それを記念して「五輪公園」の名がつけられている。この地には元々、東京で初の本格的な東京倶楽部のゴルフ場があった。昭和7年、朝霞に引っ越すまで昭和天皇を初め内外の有名人がここでプレーをしている。当時は、東急線の自由が丘駅からキャデイバスが出ていたと聞く。そのクラブハウスが戦後まで残っており、引揚者住宅に使用さていたのを憶えている。また昭和24年の第4回国体でもここはホッケー会場にもなり、僕は亡父と一緒に応援に出かけている。

五輪を記念して建てられた総合運動場の一角には昔、プロ野球の東映フライヤーズ(現在の日ハムの前身のフランチャイズ球場があった(昭和29年―37年)。往年の名選手、張本や土橋(故人)などがここで活躍している。僕も昭和30年頃、新婚当時自宅から老妻と歩いて観戦に出かけたが、球場近くにはまだ田畑が残っており、僕らはあぜ道を横切って行った

僕ら三人はカエデの大木の下、落葉の散り行くのを見ながら、それぞれ持参した弁当を開き、戦中戦後の多難だった”こしかた”を語り合った。