老妻と娘が昨日、日帰りバスで秩父へ出かけてきました。三峰神社と聖神社それに長瀞(写真練習)
「戦後70年」というが、その70年前の昭和20年について知る世代も少なくなってきた。日本の人口1億3千万の12.5パーセント、8人に1人が75歳というから無理もない。昭和20年は8月15日の敗戦を境に戦中と戦後に別けられるが、後半の戦後にあたる4か月半については、あまり語られていないが、庶民の生活は最悪であったように思われる。たまたま亡父の残した日記帳(11月)にその一端が覗われるので紹介してみる。
▽1日(木)日比谷公園で児玉誉士夫主催の”餓死対策国民会議”が開かれる。冬が来るのに政府の対策は大丈夫なのかというわけだ。深谷(埼玉県)からヤミの運び屋Sが馬鈴薯を運んでくる。
▽3日(土)さすがに明治節、穏やかな小春日和、午前中町内会の勤労奉仕で防空壕埋め作業。栄養失調か下痢続く。体重13貫(約50㌔)割りこむ。
▽11日(日)代々木で進駐軍のカウボーイ大会あり。省電(JR)地下鉄、都民の足ストップ。どこへも行けず。
▽12日(月)妻定例の野菜の買い出しのため元住吉(東急東横線川崎)へ。朝から薪割り。この日朝食イモ入り飯。昼食イモの粉パン。夜食自家製の即席パン。息子戦時中の動員先の工場から退職金40円。
▽18日(日)電熱器毀れる。駅前の店から新品購入95円。夕食に空き瓶交換で得たビールに久しぶりにありつく。蘇生の思い。
▽20日(火)朝、遅延していたコメの配給あり、ついで午後イモの配給。夜停電下、ローソクの灯の下で一升ビンにコメを入れ”精米”。
亡父の12月31日の日記の後書きには「わが国開闢以来、未曾有の最悪、ようやく暮れる」とある。
▽1日(木)日比谷公園で児玉誉士夫主催の”餓死対策国民会議”が開かれる。冬が来るのに政府の対策は大丈夫なのかというわけだ。深谷(埼玉県)からヤミの運び屋Sが馬鈴薯を運んでくる。
▽3日(土)さすがに明治節、穏やかな小春日和、午前中町内会の勤労奉仕で防空壕埋め作業。栄養失調か下痢続く。体重13貫(約50㌔)割りこむ。
▽11日(日)代々木で進駐軍のカウボーイ大会あり。省電(JR)地下鉄、都民の足ストップ。どこへも行けず。
▽12日(月)妻定例の野菜の買い出しのため元住吉(東急東横線川崎)へ。朝から薪割り。この日朝食イモ入り飯。昼食イモの粉パン。夜食自家製の即席パン。息子戦時中の動員先の工場から退職金40円。
▽18日(日)電熱器毀れる。駅前の店から新品購入95円。夕食に空き瓶交換で得たビールに久しぶりにありつく。蘇生の思い。
▽20日(火)朝、遅延していたコメの配給あり、ついで午後イモの配給。夜停電下、ローソクの灯の下で一升ビンにコメを入れ”精米”。
亡父の12月31日の日記の後書きには「わが国開闢以来、未曾有の最悪、ようやく暮れる」とある。