「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

品川寺の”洋航帰り”の梵鐘(ぼんしょう)

2015-11-28 16:52:31 | 2012・1・1
昨日、わが家の恒例行事になっている品川の荒神様の秋季祭礼に参ったあと、同じく旧東海道筋にある品川寺(ほんせんじ)に参詣した。品川寺は真言宗醍醐派の古刹で、伽藍は江戸城を開いた太田道灌が長録5年(1457年)に寄進したと伝えられる。門前には川4代将軍家綱が寄進した露座の大きな地蔵が鎮座している。お寺の境内には樹齢数百年という銀杏の木もあり、品が寺の歴史の古さを物語っている。

山門の左側の鐘つき堂に”洋航帰り”として知られる珍しい梵鐘がある。明暦3年(1657年)京都で鋳造されたものだが、明治維新前の混乱期に品川寺から消え、慶応3年(1867年)パリの第2回万博に展示され、明治3年のウイーン万博にも出品されている。しかし、この梵鐘の行方は全く不明だったが、大正8年(1919年)スイスの美術館にあることが判明した。当時の住職の努力で日本外務省を動かし、スイス側の好意で梵鐘は昭和5年品川寺に返還された。戦後の平成3年、品川寺のある品川区はジュネーブと姉妹都市関係を結び、新たに梵鐘を鋳造してスイスの美術館に寄贈した。その記念のプレートが境内にある。
(写真は(1)荒神様で呼ばれる海竜寺(2)品川寺の山門(3)鐘つき堂(4)ジュネーブとの友好記念プレート

老人泣かせの東京のバス停

2015-11-28 06:10:38 | 2012・1・1
最近、通院のためバスを利用することが多いが、東京ではほとんどのバス停に屋根がなく、椅子が置いてないことだ。かっては近所の方が中古の椅子を好意で置いてくれていたのだが、いつの間にか撤去されてしまった。歩行者の邪魔になるという理由か、それとも街の美観を損なうという理由なのか。これで一番困っているのは足腰の弱くなった老人たちである。

僕がよく利用するのは環七にそったバス路線だが、1時間に2,3本しかなく、それも交通渋滞から定時に運行されたことはない。バス停には屋根もない。数年前までは、誰かが寄付したのであろう、古い木製の椅子が置いてあったが撤去されてしまった。ここのバス停だけではない。目黒通りの老人の通院が多い整形病院前の椅子も片づけられてしまった。

2020年の東京五輪、パラリンピックに向けて東京の公共交通機関の整備が問題になっているが、老人の目から見れば、バス路線が最も遅れている一つである。地方への高速バスのターミナルの東京、新宿などの判りにくいこと。新宿では五輪に向けて、分散している今のターミナルを一つにする計画があるそうだが、東京駅はどうなのか。東京生まれ、東京育ち80年の僕でも、なかなか行く先のターミナルに行けない。

バスの車体は”ノン.スッテプ”になり、老人にも便利になったが、車イスの利用者は依然大変である。運転手がいちいち車から降りて出入り口に道具を置いてサポートしている。運転手も大変だが、利用者もこれでは進んでバスを利用する気にはならない。降雨の日など屋根もないバス停で待つのも大変だ。アジアの国々をバス旅行したことがあるが、わが国のバス路線は便利だが、関連施設は遅れている。