昨日、わが家の恒例行事になっている品川の荒神様の秋季祭礼に参ったあと、同じく旧東海道筋にある品川寺(ほんせんじ)に参詣した。品川寺は真言宗醍醐派の古刹で、伽藍は江戸城を開いた太田道灌が長録5年(1457年)に寄進したと伝えられる。門前には川4代将軍家綱が寄進した露座の大きな地蔵が鎮座している。お寺の境内には樹齢数百年という銀杏の木もあり、品が寺の歴史の古さを物語っている。
山門の左側の鐘つき堂に”洋航帰り”として知られる珍しい梵鐘がある。明暦3年(1657年)京都で鋳造されたものだが、明治維新前の混乱期に品川寺から消え、慶応3年(1867年)パリの第2回万博に展示され、明治3年のウイーン万博にも出品されている。しかし、この梵鐘の行方は全く不明だったが、大正8年(1919年)スイスの美術館にあることが判明した。当時の住職の努力で日本外務省を動かし、スイス側の好意で梵鐘は昭和5年品川寺に返還された。戦後の平成3年、品川寺のある品川区はジュネーブと姉妹都市関係を結び、新たに梵鐘を鋳造してスイスの美術館に寄贈した。その記念のプレートが境内にある。
(写真は(1)荒神様で呼ばれる海竜寺(2)品川寺の山門(3)鐘つき堂(4)ジュネーブとの友好記念プレート
山門の左側の鐘つき堂に”洋航帰り”として知られる珍しい梵鐘がある。明暦3年(1657年)京都で鋳造されたものだが、明治維新前の混乱期に品川寺から消え、慶応3年(1867年)パリの第2回万博に展示され、明治3年のウイーン万博にも出品されている。しかし、この梵鐘の行方は全く不明だったが、大正8年(1919年)スイスの美術館にあることが判明した。当時の住職の努力で日本外務省を動かし、スイス側の好意で梵鐘は昭和5年品川寺に返還された。戦後の平成3年、品川寺のある品川区はジュネーブと姉妹都市関係を結び、新たに梵鐘を鋳造してスイスの美術館に寄贈した。その記念のプレートが境内にある。
(写真は(1)荒神様で呼ばれる海竜寺(2)品川寺の山門(3)鐘つき堂(4)ジュネーブとの友好記念プレート