「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

70年前にはなかった目黒川の桜

2016-04-04 06:32:34 | 2012・1・1

目黒川の桜がすっかり東京の名所の一つとなっている。東京のお花見といえば、昔は上野の山,墨提、飛鳥山、古くは御殿山だったが、最近はテレビの画面に目黒川の桜ががよく登場するようになった。戦前、目黒川沿いの町に生まれここで14歳まで育った僕にとって名所になった目黒川の桜は目映く誇らしい存在だ。

昭和10年代、僕が住んんでいた省線(JR)五反田駅近くの目黒川は”昔”と”今”が混在していた。川にはすでに生活用水が流れ込み汚染が始まっていたが、一方では駅前の船着場からはお台場行きの乗り合いの釣り船が出ていたし、マルタという魚が汐によっては大挙してのぼってきたりした。下水がなかったので、汚穢(おわい)舟がゆっくりと竿さして航行、お台場近くまで捨てに行っていた。

子供の遊び範囲は限られているが、時々、”冒険”と称して上流まで遊びに遠征したが、せいぜい1キロぐらい、雅叙園ホテルのあるあたりまでであった。子供の記憶で間違っているかもしれないが、当時は今のような桜並木はなかった。東急目黒線のガード近くにあった植物園の桜しか覚えていない。

目黒川沿いに桜が植えられたのは昭和40年代ではないだろうか。家の近くの呑川も暗渠になった、その時代に植えられ今では近所の桜名所となっている。環境への関心が深まってきた時代であった。老妻が外出した際、中目黒駅のホームから満開の桜を映してきた(写真)中目黒は昭和20年の5月の空襲で壊滅している。戦没兵士の手記を集めた記録「聞けわだつみの声」の中にも、この空襲で亡くなった学徒の手記がある。僅か70年の歴史だが、桜を通じて色々と時の移り変りを感じる。