「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

小学校の「参宮旅行」で橿原神宮に参拝した時代

2016-04-05 06:54:39 | 2012・1・1
天皇.皇后両陛下が神武天皇の二千六百年忌に当たり、奈良県橿原(かしわら)市の畝傍(うねび)山の御陵と橿原神宮を参拝された事を新聞で読んだ。すっかり忘れてしまっていたが、4月3日は戦前まで、初代天皇、神武天皇の亡くなられた「神武天皇祭」で国の祝日であった。東京の公立学校は、この「神武天皇祭」のあと、新学期が始まった。

「神武天皇祭}は皇室の祭祀の中の大祭で、毎年勅使が橿原神宮に派遣され、宮中でも儀式が行われているが、今年は神武天皇ご逝去2600年の節目の年なので、両陛下が直接、橿原に赴き参拝された。陛下の親拝は大正5年の二千五百年忌以来、100年ぶりである。

戦前、皇国史観の教育を受けて育った僕らの世代には橿原の名前は懐かしい。昭和17年、東京の小学(国民学校)6年生だった僕らは緒戦の勝ち戦のご褒美だったのだろう。前年まで中止されていた関西への修学旅行が「参宮旅行」の名前で復活し、伊勢神宮のあと橿原神宮にも参詣した。歴代天皇の名前を”じんむ、すいぜい、あんねい、いとく、こうしょう、こうれい....."と棒読みで暗記させられていた時代である。

戦後、僕は一度も橿原に行ったことがない。多分、首都圏からは京都、伊勢へ観光へ出かけても、わざわざ橿原まで足をのばす人は少ないのではないだろうか。でも、考えると、これはおかしい気もする。”天皇は日本国の象徴であり、国民統合の象徴である”(憲法第一条)。かりに神話であっても、畝傍の御陵は初代天皇の墳墓である。皇国史観は別として、もっと国民が皇室について関心を持ってもよいのではないか。せっかく、世界にはない二千六百年の歴史を誇る国である。