「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

「築地市場の誇りと涙」 昭和初期の活気

2017-02-05 07:27:02 | 2012・1・1
昨日インドネシア関係の集まりがあり、会員の一人で一族が築地の仲卸し一家であるAさん(90)から頂戴物をし,夕食にそれを頂きながらテレビのNHK.BSプレミアムを見たら、豊洲市場移転で揺れる築地市場の1年をカメラでおった”魚河岸の誇りと涙”が放映されていた。世の中にはこういった偶然がよくあるものだ。画面ではAさんの甥子に当たる方が市場の伝統行事を守るリーダーとして紹介されていた。Aさん一家は市場が日本橋にあった頃から三代続く仲卸一家で、Aさんの実兄(故人)は、戦争中ジャカルタのパサール.イカン(魚市場)に動員された方だ。

築地市場が日本橋から移転してきたのは昭和10年(1935年)で、市場へのアクセス勝鬨橋が完成したのは15年であった。当時橋が可動で開閉するのが、珍しく、小学生であった僕はそれを見ながら市場も見学した想い出がある。子供だったので知らなかったが、この辺一帯は関東大震災(1923年)からの復興事業計画の一環で、戦争で中止になったが15年には月島で万国博覧会も開催される予定になっていた。

関東大震災からの復興は震災後7年目の昭和5年、帝都復興祭が賑やかに開催された。しかし、東京では次の目標である皇紀2600年(昭和15年)に向けて五輪、万博を開催するなどのインフラ整備が行われていたのだ。”レバタラ”になるが、昭和12年の日支事変、次いで16年に大東亜へ戦火が拡大したため、すべて計画は水の泡に帰してしまった。

豊洲への市場移転問題は依然として先が見えない。2020年の五輪までに解決されるのだろうか、”魚河岸の誇りと涙”の番組を見て家康入府400年来の、江戸っ子の食文化と伝統を守る意味でも早期の解結を期待する。