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その五輪時から約10年、僕は札幌に居住したが、新鮮なサカナ、肉、野菜、それより何よりもも汚染されていない空気に恵まれた生活(当時東京は大気汚染が問題になっていた)を送れたが、一つ、困ったのは毎日食べるお米のまずさであった。安サラリーマンであり、わが家では東京と同じようにスーパーから安い「標準米」を購入したがその不味さである。当時あった食管法で各地ごとに「標準米」が定められており、北海道では不味い道産米が「標準米」であった。
アジア大会に触発されたわけではないが、昨日、老妻がスーパーから5キロ入りの「ゆめぴりか」を買ってきた。北海道での体験から帰京後も道産米は、すすんで食べなかったが、噂にたがわず美味しいこと。40年前食べた「標準米」とは雲泥の差だ。歳月の流れをを感じる。「世界」と「アジア」との違いはあるが、45年前の五輪ではメダル獲得数は”日の丸飛行隊”の3個にすぎなかった。それでも日本中がアジアで初めての冬季五輪に沸いた。