「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

新聞離れと休刊日

2017-02-13 06:37:03 | 2012・1・1
今日は年に10回ある新聞休刊日である。ウィキペディアによると、新聞販売店の従業員の慰労と輪転機などのメンテナンスのために設けたものだそうだが、僕が入社した昭和28年(1953年)当時は春秋二回しかなかった。その休日には”全舷”といって、どこの社も一つの部署全員が温泉地などへ全員一緒に出掛け大騒ぎした。日頃の激務からくるフラストレーションなのだろう。大酒を飲み、仲間同士のケンカが始まるなど今思うと忸怩たるものがある。

電通社員の過労自殺事件をきっかけに、政府は日本人の働き方改革に乗り出し、残業にも上限を設定しようと検討しはじめた。好い事である。”モーレツ”時代の企業戦士にとっては考えられないことだ。今、考えると、60年前、僕は地方の支局時代、支局に寝どまりし、毎日が宿直勤務で、残業時間に換算すれば大変な時間だったが、残業代は貰っていない。当時の新聞社ではそれが当然のように思われていた。

新聞休刊日はそんな当時の習慣の名残りみたいなものだ。今は新聞社の就業環境も改善されてきたと思うが、年に新聞休刊日が10日が果たして妥当かどうかだ。IT時代、デジタル版も普及してきている。かっては新聞は朝夕刊セットが当たり前だったが、今は朝刊だけの購読者も増えてきている。若者中心の新聞離れが進んできており、新聞経営も大変な時代だが、思い切って日曜日の新聞は廃止したらどうだろうか。

活字時代に育った僕ら老人には困るが、新聞の宅配制度も検討の曲がり角にきている。戦争中のある時期には宅配制度は廃止されていた。販売店の経営も大変のようだが、依然として時代離れした拡材競争が続いているが無駄な話だ。