「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

忘れられかけてきたシンガポール上陸作戦

2017-02-07 08:23:00 | 2012・1・1
産經新聞2月6日付首都圏版国際面8面にちょっと変わった記事が載っていた。岡部伸特派員発の記事で見出しには”大戦「シンガポール陥落」 首都では日本領事囲み祝賀会 日本びいきのアイリシュ”とある。75年前の昭和16年2月15日、日本軍が当時大英帝国が東洋のジブラルタルと難攻不落を誇ったシンガポールを陥した時、駐ダブリン日本領事館で別府節弥領事を囲んんで祝賀会が催されたというのである。当時、アイルランドは英連邦ながら中立国で、ひそかに日本に支援を送っていたという。

恥ずかしながら僕は当時の欧州情勢はしらなかったが、この記事から75年前のシンガポール作戦を想い出した。小学校5年生だったが、マレー半島からジョホール海峡を渡り敵前上陸した日本軍(第25軍)が英連邦軍の激しい抵抗にあい苦戦していた。当時はもちろん詳し戦況は伝えれてこなかったが、上陸してから半月後の2月15日深夜、やっと”敵は幾万ありとても”の勇ましい軍歌にのってシンガポールが陥落した事が大本営から発表になった。東京では3日後の18日になって、その祝賀会が開催され、僕も旗行列に参加した想い出がある。

ところが、後年、当時の戦史を調べる機会があり、関係者の本を読むと、陥落後シンガポールでは、日本軍が日露戦争以来常としていた勝利後の落城式も慶祝行事が行われていない。1週間足らずの戦闘で1713人の犠牲者を出しており”勝利はどちらが手をあげてもおかしくない、間一髪の綱渡りの激戦”(国武参謀)で、軍歌”遺骨を抱いて”の入城であったのである。

シンガポールのブキティマ軍事博物館には当時を伝える資料が展示されており、観光地セントーサ島にも僕らの世代なら誰でも知っている”(降伏は)YESかNOか”の有名な降伏式のパノラマがある。軍事博物館では頼めば、当時の日本軍の進撃を伝えるニュース映画も見られるが、靖国神社の遊就館ではどうなのだろうか。今、学校の歴史教科書には、こういった戦史の記述はあるのだろうか。忘れられてきたとすれば残念である。