「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

4時間警報解除されなかった5月24日東京大空襲

2021-05-23 09:08:34 | 2012・1・1
昭和20年戦争末期の東京大空襲というと僕の記憶には3月10日の下町大空襲、動員先の軍需工場が消失した4月15日の京浜大空襲、それに直接焼夷弾(部品)を消した体験のある5月24日の山の手大空襲の三つである。

戦時下の粗末な亡父の日記帳の5月24日の小さな欄には”寝入りして間もなく警戒警報についで突如空襲警報、とびおきて夜空を眺めると敵機数機飛来し、盛んに焼夷弾をばらまき、ついに付近に数か所火災が起きた。妻子とともに火たたき棒で消火に努めた。

この日の空襲について戦後入手した米国に資料によると、空襲に参加したB-29爆撃機は520機で東京爆撃では最多,投下焼夷弾も446とんでこれまた最高だった。被災区域は旧荏原、品川、大森、鎌田、目黒一帯で消失家屋は6万戸、死者722人。几帳面な亡父の日記帳には当日の警戒警報発令は24日午前零時半、空襲警報発令1時5分、同解除4時20分、延々4時間に近い大空襲であった。