今日5月27日は116年前の明治38年(1905年)、旧日本帝国海軍が日本海の対馬沖で旧ロシア帝国のバルチック艦隊を迎え撃ち大勝利した日である、戦前までこの日は「海軍記念日」として国を挙げて祝ったものだった。僕ら昭和1ケタ、銃後の小国民世代でも”皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ”との東郷平八郎連合艦隊司令長官の旗艦「三笠」司令塔からの部下への号令をいまだに覚えている。
僕らが銃後の小国民だった時代、周囲にはまだ日清日露の戦役に従軍したお年寄が沢山いた。直接勇ましい戦争の話を聞いたものだが、今は一人もいない。近現代史の一コマとして学校で学ぶだけだ。問題はそれが日本のアジアに対する侵略の始まりとの歴史観に立つ教育だ。戦後一時期、日教組全盛期時代にはそう教えていたそうだ。
先日、菅義偉総理が日本学術会議から指名があった6人の新会員の任命を拒否した。理由は明らかにされていないが、うち一人は戦争に対する近現代史観によるものらしい。戦後の「平和教育」で戦争は悪とされている、これは正しい。しかし日清、日露の役までわが国の一方的な侵略とする歴史感は誤りである。海軍記念日は残すべきだ。
僕らが銃後の小国民だった時代、周囲にはまだ日清日露の戦役に従軍したお年寄が沢山いた。直接勇ましい戦争の話を聞いたものだが、今は一人もいない。近現代史の一コマとして学校で学ぶだけだ。問題はそれが日本のアジアに対する侵略の始まりとの歴史観に立つ教育だ。戦後一時期、日教組全盛期時代にはそう教えていたそうだ。
先日、菅義偉総理が日本学術会議から指名があった6人の新会員の任命を拒否した。理由は明らかにされていないが、うち一人は戦争に対する近現代史観によるものらしい。戦後の「平和教育」で戦争は悪とされている、これは正しい。しかし日清、日露の役までわが国の一方的な侵略とする歴史感は誤りである。海軍記念日は残すべきだ。