「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

         "官から民へ”は年寄り泣かせ

2007-12-11 06:16:41 | Weblog
わが家の電話が数日前から調子が悪い。固定電話の使用頻度は少なくなったとは
いえ、無ければ不便だし、かけてくる人に失礼だ。老夫婦2人で、あれこれチェックし
たが原因はわからない。回線使用料を支払っているNTTの相談窓口「113」番は親
切に対応してくれたが、後期高齢者には理解出来ない。どうもADSLとの接続回線に
問題があるらしい。

”官から民へ”の先がけとして電々公社がNTTが民営化してから、すでに20数年にな
る。年寄りの繰言だが「官」だった頃は、電話が故障すれば係りがきて直してくれたも
のだった。「民」になったため、結果的にはサービスは低下し、老夫婦2人は今日も買っ
てぃたばかりの電話機のマニュアルと”格闘”するはめだ。

郵政が民営化されてから1か月すぎたが、郵便事業(JP)についてはサービスは低下
している。先日もわが家に送られてきた小包が、あて先が誤記(郵便番号は正しい)
されていたため、数日間も放置され、指定の時間にも配達されなかった。近くの郵便
局はいつも混雑、利用者は迷惑している。民間企業では考えられない。

都市再生機構の民営化推進のため、多摩ニュータウンの団地を視察した渡辺喜美行
政改革担当大臣は、高齢者の住民から、民営化反対の陳情を受けた。首都圏の民間
住宅は高齢者には貸さない。もし団地が民営化されれば、追い出される、のではないか
という住民の不安からだ。”官から民へ”のかけ声はわからないでもないが、年寄りなど
への弱い者にヒワ寄せされては困る。

         気配り、思いやりを忘れた日本人

2007-12-10 06:09:13 | Weblog
先日のある新聞のコラムに欧米では電車内で乗客同士が少しでも身体に触れると
「エクスキュウズ・ミー」と声をかける。だが、日本では黙ったまま、これが最近のギ
スギスした車内の雰囲気を作っている。日本でもこれに似た便利な言葉があれば、
と書いていた。

コラム担当だから若い記者だとは思わないが、日本にも昔から”すみません””ごめ
んなさい””失礼”といった言葉がある。少なくと僕ら昭和一桁以上の世代は、その場
に応じてこの便利な言葉を使っている。コラム子の世代が使用しなくなっただけだ。

気配り、思いやりは昔から日本人の美徳であったが、残念ながらこれが失われかけ
てきた。車内でよく見かける風景だが、混雑した車内で、一人でも多くの人に座って
もらおうと、おばあさん世代が席をつめているのに、若い世代は大股拡げてケータイ
に夢中になっている。降車寸前にあわてて黙って他人を押しのける無作法者はたい
ていイヤホーンをつけている。他人のことなど知らん顔なのだ。

気配り、思いやりが失われてきたのは、われわれ老人世代の責任でもある。きちんと
次の世代へ教えなかったからだ。今からでも遅くない。僕は電車やバスの優先席に
は率先して座ることにしている。僕ら世代は自分より年寄がくれば、席を譲るが、若い
人の中には優先席でも立とうとしない。”いやがらせ”と見えるかもしれないが、まず
は率先励行である。坂本九の歌ではないが、態度で示すのが大切なのだ。コラム子
も古来からある日本語を使ってみてはいかが。



      昭和16年12月8日 大東亜戦争勃発の頃

2007-12-09 05:32:45 | Weblog
昨日、12月8日、同期入社の会があった。大東亜戦争が勃発した日である。僕らは
アプレゲール(戦後派)世代で従軍していないが、毎年、この日に会があるのを忘れ
ないため、この日を選んだにすぎず、戦争とは直接関係ない、だが、僕ら世代にとっ
ては、やはり忘れられない日なのである。

昭和16年12月12日の亡父の日記に「今次英米戦を支那事変をくるめて大東亜戦争
と呼ぶ」と書いてある。その大東亜戦争が始まったとき、僕は国民学校5年生、66年
も前のことだが、はっきりと覚えている。子供ながらに大変になった、という記憶がた
き火のシーンとオーバーラップして想い出される。家の隣に母の実家が経営する運送
会社の小さなガレージがあって、その前で運転手や上乗りの人夫が廃材を赤々と燃
やし、輪になってたき火にあたっていた。それと真空管ラジオから聞こえるアナウンサ
ーの臨時ニュースの発表である。

あの頃、東京ではたき火が外で暖をとる日常風景であった。
               たき火(作詞 巽聖歌 作曲 渡辺茂)
            垣根の垣根の曲がりかど たき火だたき火だ落葉たき
            あたろうかあたろうよ 北風ピープー吹いている
            
            山茶花山茶花咲いている たき火だたき火だ落葉たき
            あたろうかあたろうよ しもやけお手てがもうかゆい

この歌はNHKの「ラジオ小国民」12月号に発表され、9日、10日と「歌のおけいこ」の時
間で放送されたが、たった2日間で軍部から”この非常時にたき火とは何事だ”と横ヤ
リが入り中止された。たき火は敵の飛行機の攻撃目標になるという理由だったようで
ある。

大東亜戦争勃発から15か月後の昭和20年3月10日、たき火どころではない。東京は
大空襲で火の海と化し壊滅した。戦争とはおろかなものである。

  

      ”オイル・マネー”と”オイル危機”

2007-12-08 06:46:47 | Weblog
昨夕"オイル・マネー”でリッチなUAE(アラブ首長連邦)の独立36周年の
の祝賀パーティに招かれ、末席を汚した。会場の帝国ホテルの大宴会場
は皇室関係者から共産党委員長まで、幅広い招待者で一杯。原油価格の
高騰による”油断”への関心の強さか”オイル・マネー”で”一儲け”しようと
いう思惑なのかー。

僕は45年前、この国が英国の保護領で「休戦海岸」(Trucial coast)と呼ば
れていた頃、主都ドバイを訪れた。砂漠の中、空港もホテルもなく、もちろん
高層建築などなかった。ところが、今や世界一高層のホテルが建ち、中東
一のハブ空港が出現した。そして、セレブな観光地に変身した。

この国の急成長は20世紀の"奇蹟”ともいえよう。21世紀に入ってからも成
長は続き、2000年ー2005年の5年間の平均GDP成長率は13・4%。そしてこ
の成長の”牽引”は、オイルだけでなく観光、建設、金融サービスである。”石
油”以降の国家グランド・デザインを描き、本年4月発表された今後3年間の
GDP成長率目標も11%としている。UAEの推定石油埋蔵量は978億バレルあ
り、枯渇するのはまだまだ先である。

原油価格の高騰で、わが国の石油レギュラー店頭値段も1㍑あたり154・9円、
灯油も96・4円と高値を更新続けている。第一次オイル・ショックの経験を踏ま
えて、当時とは比較できないが、石油危機であることには変わりがない。

宴会場の一角に設けられた遊牧民のテントの中で、アラブ茶と乾しなつめをご
馳走になりながら、45年のUAEの高度成長と、化石燃料に依存している、わが
国の国家としてのグランドデザインは果たして大丈夫なのか、余計な心配をした。





          アンデスに響く「君が代」

2007-12-07 05:40:09 | Weblog
僕の「お気に入り」ブログの一つ”Find Create and Act"(Yahoo 検索)の最新ブログに
「コロンビアで君が代」が載っている。ブローガーは今年3月、日本を出発、アジア、ヨー
ロッパを経て現在、南米大陸を世界一周旅行の途次にある人だ。現地からのブログは
文章も写真もすばらしい。

アンデス山中の地図にもない、小さな町、ボバヤンで、彼は現地の音楽バンドの青年7、
8人と知り合いになり、日本人について質問攻めにあった。そして最後に請われて日本
の国歌を歌ってくれと頼まれる。彼が「君が代」を歌うと大勢の町民が集まってきたとう
話である。

先月僕は新聞で、北海道教育委員会主催の「道文化賞」贈与式の席上、76歳の受賞
者が式典で国旗に背を向け、国歌を歌わなかった、という記事を読んだ。その理由は
”多くの仲間が特攻隊で戦死した。とても歌う気にはならない”というのだ。なんとも幼
稚な男がいるものだ。世界の国々には、それぞれの「国旗」「国歌」があり、敬意を払う
のが常識なのを知らないのだろうかー。それがイヤなら、他国へ行き、公的な賞など受
けるべきではない。

先日の北京五輪アジア予選の”星野ジャパン”の采配と戦いぶりはケチのつけどころが
なくよかった。ただ残念なのは国旗掲揚、国歌斉唱のさい選手の姿がバラバラであった
ことだ。ある者は胸に手をあて、ある者は直立したまま、歌っている者もいたし、口を閉
じた者もいた。北京五輪では一つに統一したほうが見栄えがよい。こんなことを提案す
ると、国旗や国歌に反対する連中から抗議がくるかな。

 

        犯罪 子供への過大な期待

2007-12-06 04:55:49 | Weblog
肉親同士の不幸な事件が多すぎる。和歌山市内で52歳の男が82歳の父親と
実妹と甥の小学生を刺殺した。男は無職で、被害者の妹は医師で離婚後実家
へ戻って生活していた。新聞によると、男は犯罪の動機について”テロ事件を
仕掛けられた”と意味不明なことを警察に述べているが、父親との”幼い頃”か
らの確執が原因のようである。

この事件を読み、僕は医者一家がからむ二つの事件を想い出した。一つは東
京の歯医者一家で妹が実の兄によって殺害された事件。もう一つは奈良市で
高校生が、医者である母親と義妹を殺した事件である。東京の事件は犯人の
男が医科大学へ受験に何回も失敗、これを妹から馬鹿にされたのが直接の動
機。一方、奈良の事件は、進学校に通う高校生が成績が落ちたことを父親から
きびしく叱られたの原因のようだ。いずれも”医者の子は医者”という精神的負
担が背後にあった。

和歌山事件の詳細については知らないが、もしかすると、父親との確執の原因
に、父親の子供に対する過大の期待があったのではなかろうかー。犯人の男の
心のうちに、親の期待に応えられぬ精神的コンプレックスがあったのではなかろ
うかー。妹が医師になったことが彼の心の負担になっていたのではなかろうかー。

知り合いの精神医の話だと、最近統合失調症の患者が増えていて、彼のクリニ
ッでは、かなり先まで予約で一杯だという。昔、精神分裂症と呼ばれたこの病気
は、患者の心の負担が引き金になって起きる場合があるという。人によって違う
が、親の過大な期待が子供に心の負担になるのならば、考えなくてはならない。
不思議と政治家二世に医者の子供のような事件がない。多分ずぶとい神経の持
主が多く、負担にはならないからであろう。

       ”徴兵制あってもよい” 東国原知事発言

2007-12-05 05:47:19 | Weblog
宮崎県の東国原知事が先日の”徴兵”発言について民社党県議代表に陳謝した
と新聞に出ていた。僕は謝る必要はないと思う。今どき、日本に軍隊などないのに
”徴兵”などありえない。知事の発言の真意は、若者の道徳感の養成と、日本農業
の大切さを学ばせるため"徴農制”を説いたものに過ぎない。社民党の代表も知事
も"徴兵”のなんたるを知らない若い世代である。

現在、実際に徴兵されて軍隊に入隊した経験を持つのは80歳以上の方々だ。老人
の僕でさえ体験はない。戦争が激化した昭和19年に徴兵法が改正されるまで、日本
人の男性はは満20歳になると、徴兵検査を受け、体格の良さ、病気の有無などによ
って甲乙(第一、第二)丙丁戊に格付けされ、甲乙は即時強制的に入隊した。敗戦直
前は、徴兵年齢は満18歳に引き下げられ、丙種まで徴兵された。

関東学院のラグビー部員が大學が部員のために借りていたマンションの一室で大麻
を栽培していて捕まった。大麻を吸っていた部員は、なんと12人にのぼり監督が辞任
した。日本一に何度もなった"名門”校でさえ、この始末だ。東国原知事の発言をまつ
ばかりもなく、若者の道徳の退廃が日本を虫歯っている。一方、わが国の農業、とくに
林業の衰退も知事が心配する大問題だ。

”徴兵”という言葉が間違っているだけで、知事の言う”徴農制”に類似の発想は教育
再生会議でも一部の委員から提案されている。徴兵制があったころ”徴兵が終わるま
では一人前ではない”、つまり軍隊生活を体験するまでは一人前ではない、という意味
だったようだ。若い時の集団生活で、規律、協調性などを学ぶことは大切なことだ。日本
の国を悪くしている連中に誤る必要はない。"大麻大學”もラグビー部員だけの問題だ
けではなく、一部教授の間違った反日教育にも責任がある。


            秩父夜祭り(2)

2007-12-04 10:50:20 | Weblog
すごい人出と迫力である(写真)。おそらくこの夜の人出は"11万人”はゆうに越えているに違いない。
"違いない”というのは、実は僕はせっかく重要民族文化財を見に行ったのに実際の笠鉾二基と屋台四基のけん引はみていないから、正確な人数はわからない。写真は神社横の「秩父まつり会館}に収められている鉾とそれを見る観衆なのだ。

僕らの乗った大型の貸切バスは朝早く東京を出発、紅葉の長瀞を見て午後2時にはバスの駐車場に到着した。秩父神社から笠鉾や屋台が氏子に挽かれて集合する「御旅所」と呼ばれる会場までの道は厳重な交通規制が布かれていて入れない。バスの駐車場は花火の打上げ会場の羊山の裏手にある。夜までたっぷり時間があるので、僕らは歩いて神社まで参拝、そのあと並んで「秩父まつり会館」で、祭りの模様のビデオを見学した。それから笠鉾、屋台が巡行する道を歩いた。両側ともぎっしり出店がならび、やっと歩けるほどだ。そして、くたくたになってバスへ戻った。

駐車場は花火の打上場の直下にある。猛烈な音がして暮れかかる夕空に花火が散る。それを眺めながら、買ってきた"たこ焼き”でカンビールを一杯飲んだら、お仲間の老人たちはぐったり、もう一度歩いて往復3キロの道を歩いて夜祭を見学に行く元気はなくなってしまった。

老人たちは寒空に打上げられる”真冬の祭典”を見上げながら、ひたすら飲み続け、笠鉾や屋台が”御旅所”に集合し、祭りが終わった午前1時すぎ家路に着いた。

              秩父の夜祭り(1)

2007-12-03 05:02:33 | Weblog
京都の祇園祭、飛騨の高山祭とならんで秩父の夜祭は日本三大曳山祭の一つで、
国の重要民族文化財だ。前から一度行きたいと思っていたが、近所の知人に誘わ
れて、きょう3日見に行く。祭りは4日午前0時すぎまで続くとのこと。その模様は明日
のブログで紹介したい。

日本の祭りというと、普通は夏、秋の季節のよい時だが、秩父の夜祭は12月の寒い
しかも真夜中に行われる。何故なのか、僕は疑問に思い調べてみた。理由はやはり
日本の神事が農業に関係があるように、農事とつながりがあった。「秋蚕仕舞うて麦
撒き終えて秩父夜祭」なのである。

秩父地方は「秩父銘仙」でも有名なように昔は名高い"養蚕王国”であった。この地方
では年に5回蚕の掃き立て行われるが、晩秋蚕の作業が終了するのが11月中旬すぎ、
ちょうど、この頃には小麦の種撒きも終わる。これから本格的な冬を迎える前の農民に
とって、この時季ははほっと一息つける頃なのだ。

今や、その養蚕も小麦も日本の農業ではマイナー的存在になってしまった。小麦の90㌫
近くは外国からの輸入に頼り、養蚕も化繊や外国からの安い絹に押され、生産農家は
ほとんどなくなった。これも時代の流れである。しかし、逆に夜祭は寒い冬の行事として
近年人気が出てきた。何事も発想の転換である。

       師走 家庭クリスマス・イルミネーション

2007-12-02 06:11:26 | Weblog
早や師走である。12月をなぜ師走と呼ぶのか語源は判らないが、一説には昔は
師(先生)は貧乏で、年の終わりの極月には、借金を清算しなくてはならない。そ
のやりくに駈けずりまわったからだという。それはどうか知らないが、戦前の師走
は子供心にも、なんとなくせわしかった記憶がある。街を行く人が寒そうに背をま
るめ、凍てつく道を走るように歩いていたーこれがこの時季の東京の原風景であ
った。

季節感の喪失した東京では、一度からっ風が吹いただけで、小春日和が続いて
いる。気候までが昔と変わってきた。そんな中で、家の周囲のリッチな家のクリス
マス・イルミネーションが夜空に映え始めた。今年は”天神様"の隣家も装飾をした。
わが家の四方50mにはなんと4軒も飾りつけをしている。すっかり師走の風物詩
化してきた。

かって都会では、歳末風景の一つとして銀行の前には大きな門松が立っていた。
金持ちの家の門前にも"富”を象徴するような大きな門松が飾ってあった。森林保
護の立場からか、これらの門松が消え、最近は形だけの松の枝が玄関先に飾っ
てあるだけの家が増えた。

家庭のイルミネーション販売のTVコマーシャルによると、一晩中電飾しても電気代
は百数十円だという。第2次オイルショック後だったと思うが、テレビ局が深夜放送
を中止したことがあった。原油価格が高騰を続け、ものみな値上がりの世の中だが
あの当時に比べれば日本経済の足腰はしっかりしてきたのだろうか。経済にうとい
僕にはわからない。