「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

    "南京虐殺”と”アウシュビッツ” NHK「深夜便」

2008-05-11 05:26:42 | Weblog
お年寄に人気のあるNHKの「深夜便」の早朝コーナー”心の時代”をたまたま聞
いていたら”南京虐殺””アウシュビッツ”という言葉が耳に入った。なにやらある
新聞に載った和歌の紹介だったようだが”南京虐殺”と”アウシュビッツ”を同一
視するような歌をなぜ公共放送のNHKが放送するのだろうかー。

語り手は立命館大學「平和ミュージアム」で、ボランテイア・ガイドをしている僕と同
年配の女性。”無傷の負い目からの出発”というタイトルで彼女の戦争体験と戦後
の彼女の「平和運動}についての話であった。”無傷”というのは、戦争で彼女が”被
害者”ではなかったこととその”負い目”から戦争を反省して”戦争は加害"行為と総
括している。いわゆる"自虐”である。

NHKはさすがに新聞社の名前は出さなかったが、聞く者が聞けばすぐ「朝日新聞」
だと判る。紹介された別の歌の中には"日の丸”"君が代"批判ともとられるのもあ
った。NHKは例の「国際女性戦犯」模擬法廷の報道をめぐって"痛い目”にあった事
を忘れてしまったようだ。

数年前、僕はこのミュージアムで開催されたオランダ国立戦争博物館の戦争資料展
を見たが、オランダ側から見た一方的な反日展示であった。この博物館の資料は広
島、長崎の原爆投下によって戦争が終了できたの歴史観をとっている。

僕は歴史は複眼で見るべきだと思っている。大東亜戦争は一方的な他者への加害
行為だっただろうか。南京事件はナチスの無差別殺人と同じなのかー。このような一
方的な見方は公共放送として扱ってはいけない。

          明治生まれの母に感謝

2008-05-10 05:09:02 | Weblog
あす5月の第二日曜日は「母の日」である。いつから「母の日」が日本でも一般に
祝われるようになったのかー。少なくとも僕は母に感謝こそすれ正式に何かプレ
ゼントを贈った記憶はない。母は明治26年生れ、32年前の昭和51年、83歳で亡く
なっている。

わが家でも最近は老妻のところへカーネーションに添えて感謝のプレゼントが届く
ようになった。「父の日」もあるようだが、僕はいつだか知らないし、当然何か感謝
の贈物をされたことはない。

きのう産経新聞の「20世紀のきょう」というコラムを見たら「母の日」初開催として昭
和12年5月9日、東京・豊島園遊園地で開催された「母の日」の写真が載っていた。
12年は日支事変が始まった年だからその2か月ほど前の写真だ。森永製菓のセー
ルス・プロモーションの行事として行われたものだが、僕は「母の日」は戦後進駐軍
がもたらした米国の真似事だと思っていたので興味深かった。

森永製菓の「母の日」がいつまで続いたか判らないが、せいぜい数年だと思う。戦争
が激しくなって菓子類は配給制になり、やがて店頭から姿を消した。母親たちも隣組
の行事に狩出され「母の日」どころではなくなった。

僕の母にとって、この時代はきびしかった。19年5月、21歳の娘(僕の姉)が戦争の
過労から結核で早逝してしまった。一時狂乱状態になった母親だったが、生きて行
くために箪笥から自分の着物を取り出し、農家へ買出しに行き食糧に換えた。今生
きておれば115歳の母親だが、改めて「有難う」と感謝したい。

        海外の"秘境”旅行は気をつけて!

2008-05-09 05:22:18 | Weblog
イエメン北東部のマリーブにあるシバの女王宮殿遺跡へ観光に行った日本人女性
二人が誘拐される騒ぎがあった。幸い無事だったようだが、何故こんな危険な場所
へ女性だけで行くのかー。このあたりは数年前から外国人観光客を巻き込む犯罪が
多発し、外務省が危険情報を出して行かないよう呼びかけていた地域だ。

先日は南米ボリビアのスクレの世界遺産、ウエニ塩湖へ観光に出かけた日本人観光
グループが乗ったバスが、ガソリンを屋根に積んだ対向車と正面衝突して5人全員が
死亡した。運転手の飲酒運転が原因だった。昨年秋にはパキスタンからイラン・ケルマ
ン州の世界遺産アルゲバム城塞へ一人でバックパーカー旅行していた日本人大学生
が麻薬グループに誘拐され、今もって救出されていない。

インターネットで今は居ながらにして世界中どこの情報も簡単に知ることが出来る。が、
”落とし穴”もある。それは情報が正しいかどうか、またいつの情報かという点などであ
る。それとネットでは知りえない情報もある。

例えば、海外の秘境旅行で交通事故に巻き込まれ亡くなる人が多いが、これは旅行者
が日本にいる時と同じように簡単に現地の旅行社に車を頼むが危険である。日本のよう
に車検制度がきちんと整備している国はないし、交通法規もゆるい。僕も若い時から仕
事で”秘境”旅行する機会が多かったが、事前に出来るだけ現地の情報を調査し、危険
なことはしない、立ち入らなかった。くれぐれも秘境旅行はご注意を!

         対ニャンマー援助の一貫性

2008-05-08 05:16:36 | Weblog
ニャンマー中南部を直撃した大型サイクロンで死者2万3千人、行方不明4万人以
上の被害が出ている。大変な惨事である。わが国は最初発電機など2800万円相
当を緊急援助したが、急きょ、また3600万円を追加した。わが国は昨年9月、軍事
政権が僧侶らの民主化要求デモを弾圧して以来、同国への援助を抑制していたが、
今回の援助は人道的見地から行われた。

当然のことだが、問題は援助の額とその方法それに効果である。サイクロン被害に
対する援助額だけで見ると、最大の援助国はかっての宗主国英国で500万ポンド
(約10億3千万円)でついで米国の325万ドル(3億3千万円)、軍事政権を支援してい
る中国が100万ドル(1億300万円)で、日本の6千4百万より多い。それにいつも感じ
るのだが、日本の場合は他国の"顔色”を伺っているような嫌いがある。

1979年から2004年までニャンマーにとって日本は最大の援助供与国であった。60年
代から70年にかけては歴代の総理が同国を訪問するほどの力の入れ方であった。そ
れはニャンマー(ビルマ)が先の戦争で"パートナー”であったことと、戦後の賠償をめぐ
る政治家の実利もあったのかもしれない。

ニャンマーに限らず、東南アジアでは、よい意味でも悪い意味でもかっての日本に対す
るイメージに変化がきている。例えば、外務省が今年2月ー3月シンガポールに委託して
アセアン6か国(インドネシア、シンガポール、マレーシア、タイ、フィリピン、ベトナム)を
対象に調査したところ"アセアンにとって将来重要な国、一か国をあげよ”という設問に
対してインドネシアを除いて五か国が中国をあげた。

大東亜戦争は、東南アジア地域で大きな犠牲を出した。戦後、インドネシアではこの犠
牲をステップに現在のような友好関係が維持できている。ニャンマーでの犠牲はインド
ネシア以上である。この犠牲を有効に利用して貰いたいものだ。

         日中の”井戸を掘った”日本人

2008-05-07 05:47:45 | Weblog
来日中の胡錦涛・中国国家主席が昨夜、東京の日比谷松本楼で催された福田総理の
プライベートな夕食会に出席した。松本楼は”革命の父”と呼ばれる孫文が日本亡命中
たびたび訪れた明治37年、創業のレストランで、店内には孫文夫人宗慶齢が弾いたとい
う国産第一号のピアノも展示されている。このピアノは、孫文と宗慶齢とが結婚式を挙げ
た梅屋庄吉(現松本楼常務の曽祖父)宅にあったものだ。

日露戦争から大正時代の初めにかけて日本には、孫文のような清国からの政治亡命者
をはじめ留学生が2万人から3万人いたといわれる。阿Q正伝などの作品で知られる魯迅
も仙台医専(現東北大医学部)で勉学後、帰国まで東京に滞在している。後に総理になっ
た周恩来も東京・神田の東亜高等予備校で日本語を学び明治大學に留学している。静岡
県掛川市旧大東町には、この二人に日本語を教えた同地出身の松本亀次郎の顕彰碑
(井上靖揮毫)が建っている。

当時中国留学生が多く集まる場所は、私立大学が集中していた神田の駿河台から神保町
にかけての界隈だった。地下鉄神保町近くの愛全公園には「東亜高等予備校」跡の碑が
建っている.そして、その近くの中華料理店「漢陽楼」は周恩来が留学中よく通った店で、周
が好んだ小籠包が今でもこの店の名物である。

「漢陽楼」だけでなく、昭和30年代頃まで神田には中国留学生が通ったと思われる小さな
中華料理店が多く残っていた。胡錦涛主席の来日を機に日中関係の井戸を掘った先人た
ちを偲んでみた。



      ”いらっしゃい”と言えぬ胡錦涛氏の来日

2008-05-06 05:09:15 | Weblog
胡錦涛氏が中国の国家主席としては10年ぶりにわが国を訪れた。本来なら隣国の
NO-1の来日,”いらっしゃい”と暖かく迎えたいところだが、今回はとてもそんな気持
にはなれない。毎日新聞の電話調査によると、日本人の51・2%が対中関係を今よ
り厳しくのぞむべきだと答えている。半分以上の人が胡錦涛さんウェルカム・ムード
ではない。

中国で反日暴動が起きたのは2005年の3月から4月、僅か3年前のことだ。中国各
地で「歴史教科書問題」「日本の国連安保理常任委入り」反対の暴動が起き、上海
では総領事館の建物に投石され、日本料理店やスーパーが破壊された。当時町村
外相が抗議したが、中国側はいっさい謝罪や賠償をしていない。そして昨年来の”毒
入りギョーザ”事件と先日の長野の聖火リレーにおける傍若無人の五星紅旗の乱立
である。

こんな空気の中では”いらっしゃい”と言える日本人が少ないのは当然だ。”中日には
二千年余の友好往来の歴史がある”と胡錦涛氏は来日前の記者会見で何度も語って
いる。それを強調したいならば、まず、福田総理のいうように他人の嫌がることはしては
いけない。真実からほど遠い南京の「大虐殺博物館」の閉鎖から始めるべきだ。

今回の来日で胡錦涛氏は八世紀に来日、奈良・唐招提寺を開基したの鑑真の足跡を
たどるそうだ。また、パンダを貸してくれるそうだ。日中双方の関係者が決めた日程や
シナリオだろうが、チベット動乱の最中、また両国関係の現状をみると、かえって水
をさす。世論は”パンダなんかいらないよ”なのである。

     なぜ今「シベリア抑留者」補償問題なのかー。

2008-05-05 06:03:12 | Weblog
昨日のNHKニュースで民主党が今国会に「戦後抑留者に関する特別措置法」を
提出すると報じていた。この法案は、簡単にいえば戦後ロシア(当時ソ連)によっ
てシベリアなどに連行され強制労働された旧日本軍関係者に未払いの特別給付
金を支払うといものだ。民主党案は抑留期間によって25万円から150万円として
いる。

敗戦後シベリアなどに連行され不法に強制労働させられた旧日本軍関係者は56
万から65万人ともいわれる。このうち現地で4万人を越える人が亡くなられ、残り
の方が帰国されたが、皆さんすでに80歳をすぎた高齢である。この補償問題につい
ては、2006年12月、民主党など三党が30万から200万円支払うという共同決議案を
国会に提出したが否決されている。かわって2010年に終わる「平和祈念事業基
金」から銀杯と10万円の旅行券が贈られる。

民主党がこの時期に廃案になったものを何故再提案するのか真意はわからない。し
かし、解散、総選挙をにらんだ同党の党略のように僕にはみえる。80歳を越えた老人
が10万円の旅行券を貰っても本人名義の使用では、実際問題として使い道に困る。
ねじり国会で、この辺のところをついてくるのだろう。旅行券といった役人の発想も
困ったものだが、一度廃案になったものを再提出するのも公党として”如何なる”も
のだろうかー。それもバナナの叩き売りではなかろうに、補償額を下げて行う魂胆は
僕には理解できない。



        若者の海外旅行離れは何故

2008-05-04 05:09:39 | Weblog
大型連休は後半に入ったが、僕ら老夫婦には関係がない。大手旅行社から送られて
くる旅行パンフレットをながめ、目で世界旅行を楽しんでいる。そのGHの最中に南米
ボリビアの名前も聞いたこともない観光地で日本人5人が交通事故で亡くなった。痛ま
しい。まだ僕らより若い人ばかりだ。

ところが、一方で若者の海外旅行離れが進んでいるのだという。日本旅行業協会(JTP)
の資料によると若者(20歳ー29歳)の海外への旅行者数は1996年には463万人もあっ
たのが2006年には298万人激減している。35万人も減っている。

原因は何なのか?色々取沙汰されている。ネット情報が増えて居ながらにして世界中の
旅行が楽しめるーつまり「頭の中の旅」が出来るようになったからだという説もある。いや
若者がケータイなどの支払いに追われ、海外旅行に行きたくとも彼らの"可処分"小遣い
がなくなってしまったという見方もある。

孫の高校では卒業記念の修学旅行の積立を今からやっているが、何故か海外旅行の希
望が少ないそうだ。父母の負担を考えての遠慮とは思えない。とくに人気のないのが”戦争”
を引きずっていると彼らには思えるのか中国、国内では沖縄だそうだ。

その昔”なんでも見てやろう"という時代もあった。つい最近までもパッカーの貧乏旅行も人
気だった。若者の気持ちに変化が出てきたのは事実だ。これが若者の未知なものへの興味
の喪失だったら問題である。

         "福田内閣”への黒枠の手紙

2008-05-03 06:05:27 | Weblog
千葉県木更津市の後期高齢者に対して黒枠の通知書が届いたそうだ。貰った老人は
どんな思いをするのか。まったく、どうなっているのだろうか?一地方都市職員のポカ
とは片付けられない。日本人の公務員全体のタガがどこか緩んでいる。その責任は行
政のトップにある福田総理にある。

今から30数年前、ちあきなおみの「喝采」という歌が流行した。”いつものまにか幕が開
き、恋の歌う私に届けた報せは黒いふちどりがありました”ーあの歌である。ちょうど団塊
世代の結婚適齢期で、結婚式がやたらと多かったが、この歌を式で歌う人はいなかった。

福田内閣の支持率がついに20%を割り、民主党への支持が自民党を上回ったという。そ
の一因は公務員の倫理の喪失だ。道路財源をめぐって国会が空転している最中に国交
省職員のムダ遣いが次々と明らかにされる。防衛省次官のゴルフ三昧、社保庁の年金を
めぐる疑惑などなど枚挙にいとまがない。

毎日のように後期高齢者医療保険の問題がマスコミで取り上げられているのに、僕の家へ
は正式には何も通知がない。なんとなく事務手続きの遅れで10月に延期され、昨年度の所
得が確定する7月以降に通知があるのは解っている。それならそれで何故広報誌で通知し
ないのか。10月になれば、また問題が再燃するのは必至だ。

国会内で与野党が懲罰動議を出し合っている時ではない。中国の胡主席の来日、洞爺湖
サミットなど外交スケジュールが込み合っているのは解るが、福田内閣は国民から遊離して
しまった。パンダを中国から借り受けられないかといっているような総理には黒枠の手紙し
かない。


       民主党"ガソリン値下げ隊”の"非国民”

2008-05-02 06:09:53 | Weblog
歳入関連法案の再議決前の民主党若手議員でつくる"ガソリン値下げ隊”の騒ぎは
常軌を逸していた。プラカードや横断幕を手にして河野衆院議長の議場入りを阻止し
ようとした図は"選良”のすべき行動ではない。僕の目には彼らは神聖な国会をメーデ
ー会場とはきちがえているように見えた。あまりにも子供じみていてがっくりきた。

ガソリン値下げ隊は「道路利権vs国民生活」「増税反対」「解散して民意を問え」などと
声を張り上げていたが、再度いうが国会はメーデー会場ではない。僕にとって聞き捨て
ならないのは「与党は非国民」という文言だ。戦前の大政翼賛会当時の日本の政治は
政府に反対する勢力は非国民であった。冗談にしてもいけない。僕は民主党の将来を
みたような気がした。

与野党の変な意地の張り合いで、4月だけで1800億円の税減だったという。額が大きす
ぎてぴんとこないが、やがてこれは国民へのツケとしてまわってくる。それなのに自民、公
明両国対委員長が暫定税の議決を祝して新橋の料亭で祝杯を上げたという。どうも”非国
民”呼ばわりされても仕方がないところもあるようだ。

これでは国民の政治不信はつのるばかりだ。責任は与野党双方にある。一方は解散風を
吹かせ、一方はそれに怯えているように見える。今こそ福田総理の正念場である。児戯
に似た"ガソリン値下げ隊”の行動を見て、変に総理に同情したくなった。総理一つ親父の
威厳を発揮して政治を正常化して欲しい。日本丸が沈没しないようしっかり舵取りをお願い
します。