「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

      "ばら撒き”か”点撒き”か 補正予算

2009-05-21 05:27:08 | Weblog
参院予算委員会の補正予算審議で与謝野財務・経済担当相が野党からの予算"ばら
撒き”批判に対して"ばら撒き”ではなく”点撒き”だ、と反論した。"点まき”とは大きな
種はばら撒くのではなく、点で撒く、つまり必要な分野に予算を重点配分した、という意
味のようだ。与謝野大臣は"検証して貰えばよくわかる”といっていたが。

予算委員会の模様はNHKが中継すので、時間がありすぎる老人にはあり難い。新聞は
活字になるものしか報道しないが、テレビは委員会の模様がそのまま伝わってくる。民
主党のネクスト財務相、峰崎直樹氏の質問は"中福祉中負担”といった抽象的な陳腐な
ものだったが、関連質問の大塚耕平氏の質問は具体的で面白かった。

大塚氏によれば、補正予算案の中に「アニメの殿堂」をお台場に建設する費用が計上さ
ている。世界的に日本のアニメ技術がブームとのこと。麻生総理も漫画好きだし、決して悪
いとはいわないが、与謝野氏の言う"点撒き”予算とは思えない。さらに疑惑なのは大塚
氏の質問に対して所管の塩谷立・文科相が答弁に立たなかった(立てなかった)事だ。

塩谷文化相について小ブログ(3月6日)は”予習ぐらいは塩谷文科相"で、答弁に立たな
い同氏を批判した。所管の大臣が野党の質問に答えられないのでは、なんのための大臣
なのかー。不勉強なのか、不適格なのかわからないが、総理の任命責任を問われても仕
方がない。

         大鉄傘の国技館の頃

2009-05-20 05:36:34 | Weblog
今年は「国技館」が出来て100年だという。「国技館」といっても今の国技館で
はなく、昔、両国の回向院の境内にあったドーム型のものだ。通称、大鉄傘と
もいわれた国技館だが、ここで大相撲を見た日本人も少なくなってきた。旧国
技館は空襲で内部が焼けたが、戦後改装されて進駐軍に「メモリアール」とし
て接収され、解除後は日大講堂だったが昭和47年、解体され今はない。

双葉山の69連勝の時代(昭和11年ー14年)僕は亡父が相撲記者をしていた関
係で旧国技館で大相撲を好く見る機会に恵まれた。記録によれば、旧国技館
の建物の内径は62m、天井の高さは25mとあるが、子供の目にはとても大きく
見えた。内部の周囲には支度部屋の他、飲食店や土産物を売る売店があり、人
ごみを分けて一周するのが大変だった。戦前の本場所は年2回(1月、5月)で、そ
れ以外は花相撲やボクシングなどの催し、菊人形展に使用されたりした。

戦前、この国技館で大相撲が催されたのは昭和19年1月場所までで、戦争の激
化に伴い、建物は軍に工場として接収され、一説には「風船爆弾」を製造していたと
いわれる。このため5月場所と20年1月場所(冬季のため繰り上がって19年11月)
は野外の後楽園球場で行われている。(僕は11月場所を友人と一緒に見ている)

戦前の大相撲と今との違いは土俵だろう。四本柱が撤去されて吊り屋根になった
のは戦後の事。それと打ち出しの時間が今のように夕方6時前後になったのはテレ
ビ放送に併せてからだ。双葉山時代には午後9時打ち出しという日がある。国技館
百年の歴史の中にも色々と変化がある。




           新型インフルのマニュアル

2009-05-19 05:31:00 | Weblog
新型インフルの感染者がここへ来て急速に関西地区で増え、高校生を中心に150
人を越えたという。大阪府や兵庫県では小中高校、幼稚園など4000校が休校を決
め、一部企業活動にも影響が出てきた。政府の対策行動の第3段階、満延期に入
ったのだろうか。幸い僕の住む首都圏では発生していないが、対岸の火災視して
よいものだろうかー。

昨日、僕が自分のメールを開けたところ、数日前一緒に食事をした親友が37度の熱
でダウンしている。そのあと老妻が用事で娘の家を訪れたら、やはり37度を越す熱
で勤めを休んでいる。10日ほど前、僕は海外旅行から帰国したばかり。二人と接触
している。発生地からの帰国ではなく、体調もよいから大丈夫とは思ったがー。午後
になって娘は医者の診断で普通の風邪とわかり一安心した。

関西の感染者のほとんどが海外渡航の履歴がないという。しかし、国の症例マニュア
ルには、渡航歴があるかどうかの一項があったという。そのため茨木保健所は、管内
の高校から集団欠席の報告を受けながら、渡航歴がないので遺伝子の診断をしなか
った。これが蔓延の一因になったとの報道もある。

新型インフルは、感染経路さえ特定できていない。その段階で作ったマニュアルであ
る。厚労省は、これまでの症状を見て、軽症は自宅療養など対策の緩和を検討してい
るようだが、それでよいのだ。最近の若い世代はマニュアル人間が多く、応用が利かな
いという声をよく聞くが、人間の生命にかかわる問題だが、あまり杓子定規でも悪影響
があるかも。

      バラが咲いた バラが咲いた 隣のバラが

2009-05-18 07:19:28 | Weblog
いま隣家のバラが真っ盛りだ。赤白黄の花が咲き誇り、一部がわが家の二階の塀越
しに顔をのぞかせている(写真)昭和41年”バラが咲いた バラが咲いた 真っ赤なバ
ラが 淋しかった僕の庭にバラが咲いた”(浜口庫之助・作詞作曲 マイク真木唄)で
始まる歌が大ヒットした。日本の経済発展が始まった頃の歌だが、歌詞をみると、まだ
あの頃は"僕の庭”にも淋しいながら庭があった。

都会では庭がある家が減り、かわって集合住宅のベランダや屋上を利用したガーディニ
ングが盛んである。交通の激しい大通りに面した高層の集合住宅のべランだに季節
の花がプランタンに植えられているのを見ると心がなごむ。昭和27年、松本市で始った
"花一杯"運動は半世紀を経て全国に根ついてきた。今はどこの公園にいっても四季折
々の花で埋まっているが、あの頃は戦後まもなく世相もすさんでいた。

毎朝参加しているラジオ体操の会の世話役から、会場に隣接する集合住宅の住民の一部
から、ラジオの音がうるさいとクレームがあったと報告があった。ラジオの音は出来るだけ
音を絞っているのだが、やはりうるさく聞える人もいるのだ。会場の周辺には6階建て中層の
集合住宅が何棟か建っているが、構造的な理由からか、ベランダには花が見られない。
管理している区が、公園内には花を植え植樹しているのだが、コンクリートむき出しの住宅の
ためか、殺風景な印象を与えている。せめてベランダに花をと思うのだが、余計なお世話なの
だろうかー。

              民主党の"大掃除”

2009-05-17 06:31:38 | Weblog
民主党の新代表になった鳩山由起夫氏が当選後の記者会見で"世直し”と"大掃除"を
訴えた。"世直し”"はぜひ、やってもらいたいが"大掃除”の意味が、僕には今一つわら
ない。小沢一郎氏が、西松建設の不正献金問題をめぐって代表を辞任したとき、彼の政
治生命は終わった、と見たのは僕だけではないと思う。"粗大ゴミ”とまではゆかないまで
も、彼の存在がここ数年の日本の政治の低迷の一因になっていた、と指摘する評論家も
あり、ほっとした向きさえあった。

”大掃除”は、昔は都会の風物詩であった。その日は町中、一家総出で畳を上げ、外に持
ちだし思い切り埃をたたいた。子供たちは、畳の下に敷いていた古新聞を読み耽けり、足で
まといになると親に怒られた想い出がある。団塊世代,良家のお坊ちゃんの由起夫氏はこの
”大掃除”を体験したことがあるのだろうか。"大掃除”は徹底的なゴミ出しだった。

新代表の鳩山氏は記者会見で人事に触れ、小沢氏の処遇についても語っているが、これか
らみると、小沢氏が完全引退したわけではないらしい。大変失礼かもしれないが、人には引き
時というのがある。それを自覚できないのは不幸であり、それを掃除できないのは、いっそう
不幸な話だ。

西松建設の政治献金をうやむやの内に"幕引き”するのもおかしい。"大掃除”をいうのならば、
この問題についてもけじめをつけてもらいたい。



          "大東亜”の国々の歴史理解

2009-05-16 06:59:17 | Weblog
観光客で賑うバリ島のクタ海岸の沖合いに日本の沈船があって、現地のガイドが
戦争中、沈められた日本の軍艦だ、と説明していると従軍世代の人から聞いた。
緒戦に「バリ島沖海戦」はあったが、海岸に近いこんな沖合いではない。沈船は昭
和40年代、賠償引当援助で日本が建てたホテルで使用したコンクリート運搬船らし
いのだが。戦後60余年も経つと、こんな話も出てくる。

戦争中「大東亜共栄圏」建設の中で育った銃後の小国民に世代にとって、最近”懐
かしい”国の名前が二つ新聞紙上に出た。一つはミャンマー(旧ビルマ)のスーチー
さんが再び軍事政権によって訴追され、自宅軟禁が延長されるのではないかという
ニュース。他の一つはスリランカ(旧セイロン)の内戦で民間人が”人間の盾”に使用
されているのではないかという懸念だ。

このうちミャンマーのスーチさん問題について、小ブログは彼女の父親、アウンサン将
軍が戦争中、日本に亡命、そのごBIA(ビルマ義勇軍)指導者として日本軍と共に首都
ラングーン(ヤンゴン)を陥れたと書いた。スーチーさん問題とは直接関係ないのだが、
僕らの世代にとっては、戦争中の日本軍政の失敗の反省もこめて、同国の混乱を同情
的な目で見た。

スリランカについても同じ視点だ。かって英国の植民地時代の昭和17年6月、日本の海
軍機動部隊が首都コロンボと軍港トリンコマリを爆撃し被害をだしている。これも現在の
内戦には関係はないし、単なるノスタルジアで書いているのでもない。相手国との過去
の歴史の理解の一助になればよいと思うからだ。

戦後のわが国の歴史教育の中で、戦争中の出来事が欠落している。先の戦争が侵略
戦争であったとか、大東亜共栄圏建設のための聖戦だったかという以前の問題である。
戦後の世代は、これを知らないため、アジアの国々の人たちと同じテーブルで同じ話し合
いが出来ず、いたずらに卑屈になって謝罪したり、逆に傲慢な発言も出てくるわけだ。

            麻生総理の鈍感度

2009-05-15 06:39:17 | Weblog
鴻池官房副長官が"健康上"の理由で辞任した。医師の診断は「間質性肺炎」だそうで
美空ひばりの52歳の短い人生を奪った同じ病気だ。医学事典には”症状は強い咳が
出て、時には非常に致命的、治療も困難”とある。とても数日前まで女性とゴルフを楽し
んでいた身体ではない。

「週刊新潮」によれば、鴻池氏は先月末、政府が新型インフルエンザ対策で懸命の最中
知人の女性を連れて熱海へ2泊3日のゴルフ旅行に出かけたという。しかも国会議員に
公務用に与えられたJRの無料パスを使ってである。政府の要の職にある官房副長官の
行動とはとても考えられない。河村官房長官も辞任を受けた後の記者会見で、女性との
"不倫問題”が引き金になったことを認め旅行の費用は弁償すべきとさえ言っている。

ところがである。麻生総理は鴻池氏の辞任については、あくまで"健康上”のこととかばい
任命責任についてはないと、強く突っぱねていた。"健康上”のことまで、わからないという
のである。医学事典によれば「間質性肺炎」はとっさに発病するのではなく、普段から階段
の上り下りにも苦しくカラ咳が多いとある。

安倍総理の頃、政治家の鈍感力という言葉が流行した。小泉・元総理が内閣の支持率が
下がったことに関連し、作家の渡辺淳司氏の著書を引用して、政治家は時には鈍感力も
必要といった。たしかに一理はあるかも知れない。が、今回の鴻池問題についての麻生
総理の発言は国民とはかけはなれ、鈍感だと思っていたが、誰かにいわれたのだろう。
訂正し、鴻池氏も旅費を弁済したらしい。当たり前の話だが、鈍感でなくて好かった。




        ミャンマーへの関心の温度差

2009-05-14 05:08:34 | Weblog
ミャンマーの軍事政権によって自宅軟禁されているスーチーさん(63)が血圧低下と
脱水症で点滴を受けているというニュースを先日読んだが、今度は軟禁をさらに延長
する訴追手続きに入るためか身柄を刑務所内の裁判所に連行されたという。この国は
いったいどうなっているのだろうか。心配だ。

先日、滞在先のドバイのホテルでベッドメーキングにきた若い男女はミャンマー人の
夫婦だった。彼らは僕が日本人だと判るとミャンマーの窮状を訴え、アウンサン将軍
の名前をあげて軍事政権に対して批判を始め日本からの支援を求めた。しかし、今
の日本人でアウンサン将軍の名前を知っている人はどのぐらいいるだろうか。「大
東亜共栄圏」の教育を受けた一握りの僕らの世代だけだ。

スーチーさんの父親、アウンサン将軍は反英独立運動の志士で、昭和15年、旧日本
軍の支援を得て、日本に亡命「面田紋二」の日本名で浜名湖の弁天島の日本旅館に
匿われていた記録もある。戦争勃発とともに故国に帰りBIA(独立義勇軍)を結成、日本
軍と共に昭和17年3月,ラングーン(ヤンゴン)を陥落させた。その後日本の軍政をめぐっ
って紆余曲折があったが、戦後の1947年9月、完全独立を前に彼は凶弾に倒れている。

軍事政権以前のビルマと日本との関係は親密であった。僕も個人的な体験だが、昭和
59年、来日したビルマの技術研修員の面倒を見たことがあったが、同じ仏教徒で礼儀
正しく親日的な人たちであった。昔を知っている僕らの世代からみると、ミャンマーへの関
心度にはかなり温度差があるようだ。僕らの世代は昔のよしみもある。正常化に向かっ
てもっとコミットしてもよいと思うのだが。

           小沢一郎氏の次なる一手

2009-05-13 05:14:49 | Weblog
民主党の小沢一郎氏が記者会見で代表辞任の意向を明らかにした。三月に公設秘書
が西松建設からの違法献金問題で起訴されて以来、辞任を求める声が澎湃と起きて
いたのに小沢氏は頑として、これに耳を傾けなかった。それなのに何故ここへきて辞める
つもりになったのかー。党首会談で勝ち目がないと判断したのか。でも、このまま政界を
引退するとは思えない。彼の次なる一手は何なのか。過去が過去なので関心がある。

小沢氏の政治家評を漢字であらわすと「豪腕」「破壊」など色々あるが、彼が好む囲碁の
棋風は"真面目で堅実で忍耐強くそして大局をみる目がある”と評判がよい。辞任の記者
会見の中で、彼は"辞任は政権奪取のため”と強調していた。”身を投げ出して”と古い言
葉を使って、時には顔に笑みさえ見せていた。"違法献金”の反省はまったくない。

政局は一寸先は闇だとよく言われる。小沢氏は囲碁について"最後に勝てばよい。途中の
経過については悲観的になるな”といっているそうだ。僕みたいなヘボ碁打ちからみると、
小沢氏は政権奪取の最後の詰めの段階で打つ手を誤ったと思うのだが、そうでないのかも
しれない。

国家の政治を遊び事にたとえては不謹慎だが、小沢氏の棋風に大局を見る目があるのなら
今、国民が一番望んでいるものが何なのか判断してもらいたい。国民は衆参のねじり国会か
らくる民主党の悪戦術に嫌気をさしている。小沢氏の次の一手が妙手であるのを期待したい。

     戦友の”遺骨を抱いて" ある女性舞踊家の死

2009-05-12 05:47:59 | Weblog
現代舞踊家の先駆け、宮操子さんが亡くなられた。102歳という天寿を全うされての
死である。僕は10年ほど前、九段会館の第25軍戦友会で彼女にお会いし著書の「陸
軍省派遣極秘従軍舞踊団」(星雲社平成7年)を頂戴した。当時でも90歳を越える高齢
だったが、舞踊で鍛えられた小柄の身体はかくしゃくとされていた。

「従軍舞踊団」のご本は、彼女が戦争中、戦地の日本軍将兵慰問のため中国大陸から
南方地域を慰問された時の体験記だが、昭和17年7月、昭南(シンガポール)慰問の際
には乗船した船が魚雷攻撃を受けそうになり九死に一生をえた。その昭南では、上陸
一番のりの兵士の血染めの兵士の軍服と日の丸で即席の「遺骨を抱いて」の踊りを披露
した。

        ♯ 遺骨を抱いて(睦原実作詞 松本孝三作曲)
         一番のりをやるんだと 力んで死んだ戦友の
         遺骨を抱いて今はいる シンガポールの街の朝

宮操子さんは本の中でこう書いている。「戦後50年たった今、戦争を体験したこともない
人たちが、いとも簡単に答えを出そうとしている。”あれは侵略戦争だった”"日本は謝罪
しなければならない"云々。あの時代に生まれもしていなかった人間がなぜそんなことを
言い切れるのか私は疑問に思う。あなたたちは戦場で命がけで戦った兵隊たちの苦労を
知っているのか問いただしたくなる」
宮操子さんは明治生まれ最後の大和撫子の一人であろう。