「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

         ”官民あげて”の「インフラ輸出」を!

2010-05-03 06:05:22 | Weblog
先日、連休中の鳩山内閣閣僚の海外出張が多すぎると苦言を呈したが、しっかり仕事を
していた大臣もいた。例えば、前原誠司・国土交通相は出張先の米国で今、米国で計画
中の高速鉄道の受注について"官民あげて”のセールスに活躍していたし、また直島正行
経済相はインドへの原発プロジェクト輸出について現地で話し合いをしていた。直島大臣
はこの後、ベトナムに行き、上海の万博式典に参加した仙石国家戦略相と落ち合ってべト
ナムへの原発プロジェクト売り込みをはかるという。

このところ世界的な傾向なのかもしれない。政府と民間企業がコラボレーションして「國際
政治資本」への入札参加が盛んである。いってみれば、官民あげての「インフラ」の商談で
ある。昨年暮、韓国の李明博大統領がトップセールでUAE(アラブ首長国連邦)の原発プロ
ジェクトを総額400億ドルで受注した。韓国にとっては建国以来最大の受注だという。

李明博大統領は政治家になる前は、韓国の大手ゼネコン現代建設の社員で、1960年代か
らタイの高速道路の建設やサウジアラビアの工業港プロジェクトにかかわっている。言って
みれば、この道のプロでもある。インドネシアに駐在したこともあり、最近韓国の対インドネシ
アの貿易量が増えているのには李大統領の影響力もあるという。

小子高齢化、国内の消費も頭打ち、自動車、家電の輸出もかってのような勢いがない。今
わが国が成長するには、高い技術力を持つ"インフラ輸出”かもしれない。普天間の基地移
設問題も大切だが、もっと目を広げて国力アップの成長路線に力をいれたらどうか。

          くい打ち桟橋 自然への冒涜

2010-05-02 06:17:23 | Weblog
普天間基地移設問題をめぐって辺野古沿岸にくい打ち桟橋を造る案が政府案として
浮上している。4日に鳩山総理が沖縄を訪問した際、おそらく正式に提示されることに
なろう。鳩山総理は辺野古の沖を埋め立てる、現行案については"自然への冒涜だ”
と強く反対しているが”くい打ち桟橋”案は、冒涜ではないのだろうか。

僕は海洋工学の専門家ではないが、10年ほど前、インドネシア人のマングローブ研修
員に同行して沖縄西表島で琉球大学馬場繁幸先生から、マングローブの養殖について
講義を受けたが、その際、海上に構造物を設けると汐の流が変わり、自然形態に変化
が出てくるという話を聞いた。それが何故かまだ耳の奥に残っている。

琉球新報によると、辺野古の現地の人たちは”埋め立て”でも”くい打ち桟橋”でも太陽
の光が海に届かないという点では同じで自然破壊に通ずると反対している。

鳩山総理は、いつも思うのだが、言葉の使い方が乱暴である。総理がメンツ上"埋め立
て”に賛成できないのは解かる。しかし”埋め立て”は必ずしも"自然への冒涜”ではない。
一つの例を挙げよう。鶴の飛来地として全国的に有名な鹿児島県出水市の平野は、江
戸時代、薩摩藩が財政確保のために有明海を干拓したものだ。年に一万羽の鶴がシベ
リアから飛来してきている。果たしてこれが自然への冒涜だろうか。問題は沖縄県民へ
の負担が多すぎるということだ。




           若狭の遠敷 江戸の牛込

2010-05-01 05:16:50 | Weblog
福井県小浜市に遠敷という地名がある。”おにゅう”と読むのだが、まづ土地の人以外
正確には読めない。その遠敷の土地の由来について知り合いの若狭郷土史家の永江
秀雄先生から貴重な資料を頂戴した。先生は半世紀にわたって遠敷の地名の由来を研
究調査されてきている。

平成7年、僕は15世紀初めに小浜の海岸に南蛮船に乗って渡来した象について先生か
らいろいろご教示を賜った。以来、先生の知己を得て若狭地方の郷土史の資料を頂戴し
勉強させて貰っている。

今回頂いた資料によると、遠敷は奈良時代の木簡などには”小丹生”(おにゅう)と記され
ている。丹は朱と同意語で朱が採れる地という意味である。事実、最近遠敷の地でその
朱の採掘跡の洞が発見されている。

古い歴史を持つ若狭に引きかえ東京はせいぜい江戸幕府3,400年の歴史しかない。にも
かかわらず、東京の人間は自分の住んでいる町について知識もないし関心も薄い。僕が
生きてきた80年の間だけでも江戸時代から続いてきた地名が消えてしまった。例えば牛
込である。子どもの時歌ったザレ歌に"火事はどこだ牛込だ。牛の○○丸焼けだ”というの
があったが、今の人はなんの事だかわからない。神田鍛治町という地名はかろうじて残っ
ているが、”神田鍛治町,角の乾物屋のかちぐ栗かたくてかめない”という江戸ザレ歌の面
白さは伝わっていない。

たかが地名の損失ではない。それは郷土愛の損失にも通じるものがある。