「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

ソ連の一方的な参戦通告と領土返還の不履行

2016-08-11 06:26:43 | 2012・1・1
亡父の71年前、昭和20年8月9日(木)の日記の欄に次のような記述があった。「午前10時半、大東亜省に寄って出勤、昼食そこそこに帝國ホテルの岡崎勝男氏の講演会に行く。席上、日ソ開戦。容易ならざる事態発生、憂鬱の気に閉ざされる」。これまであまり、気にしていなかったが、ちょうど岡崎氏の講演会の直前の午前11時2分、長崎に原爆が投下されていたが、亡父の日記は岡崎氏が原爆に触れたかどうかを含めて一切記述はない。岡崎勝男氏(戦後外相)は当時外務省調査局長で、父は大東亜省外郭団体の嘱託をしており、その団体会員だけの講演会であった。

ソ連の対日布告は8日午後5時(日本時間11時)、モスクワでモロトフ外相から佐藤尚武大使に通達され、その僅か7時間後に9日午前零時(日本時間午前6時)ソ連は満州(中国東北部)、樺太(サハリン)朝鮮など国境を接する地域から一斉に侵攻している。対戦布告を受けても日本側は、これに対応できない一方的なものであった。しかも、モロトフ外相は佐藤大使に対して、布告を暗文で送るのを許可したといわれているが、外務省にはその暗文はないとされている。

一方的な”火事場泥棒”で参戦を布告、戦勝国として巨利を得ながら、戦後70余年たっても”御託”をならべ、わが国固有の北方領土を返還しようとしない。日ソ(露)両国は60年前の1956年12月、戦争終結と国交回復をうたった共同宣言に調印し、条約締結後は歯舞、色丹を返還すると明記している。自分の勝手のよい時は一方的、悪い時は文句をならべて引き延ばす。ずる賢い国である。交渉に当たっては要最大の注意である。

寝たきりになられたインドネシアの「友好 寺小屋」老塾長に激励を

2016-08-10 05:59:10 | 2012・1・1
小ブログで何回か紹介させて貰った、中部ジャワ(インドネシア)のテマングンという人口20万人たらずの山間の町で日本語塾「友好 寺小屋」をボランテイアで開いていたバンバン.プルノモさん(91)が体調を崩され、寝たきりになっている。今年7月、断食明けの御祝いに、お見舞いを兼ねて小品を送ったが返事がないので心配していたが、4年前、僕と一緒に「寺小屋」を訪れた知り合いのSさんが、たまたま商用で今現地を訪れており、バンバンさん宅を見舞ってくれ、近況をメールで知らせてくれた。

バンバンさんは一人暮らしで「寺子屋」の一室で暮らしておられるが、寝たきりで世話と看護は近所のワルン(お店)の女性が面倒を見てくれている。Sさんは現地では、なかなか入手できない、オシメ(pampas)や、バンバンさんお好みのィンスタントのお粥などを持参したが、お元気で昼寝のあとSサンと一緒に昔の日本軍の軍歌を歌ったりした。

バンバンさんは、戦争中、日本軍政下にあったインドネシア郷土義勇軍(PETA)のテマングン大団長で、独立後は軍総参謀長を経て駐日大使を歴任したバンバン.スゲン将軍の実弟である。ご本人もPETAのケデり州の班長をしていた。1965年の9.30事件に連座した疑いをかけられ投獄されたこともあるが、大の親日家で、テマングンにある日イ友好の顕彰碑「万報大結」の保存にも努力されている。

最近まで、僕とメール(bambang.terakoya@gmail.com)でやり取りしていた。バンバンさんからの返事は期待できないが、Sさんのメールでは頭はしっかりされている。出来ればバンバンさんにメール(日本語)で激励の一文を送られて頂ければ喜ばられるのではないかと思うのだが。

平成の「玉音」放送 理解できる陛下のご心情

2016-08-09 05:19:43 | 2012・1・1
昨日、天皇陛下の「お言葉」を71年前の同じ8月の昭和天皇の敗戦詔勅の「玉音」放送に想いをはせ、ダブらせながら、老妻と冷房のきいた茶の間で聞いた。昭和天皇の「玉音」放送は有史以来初めて聞く天皇の肉声で、僕は緊張しながら亡母と家の庭に掘られた防空壕の中で聞いたが、ラジオの雑音でほとんど理解出来なかったことを想いだす。

その点、今回の陛下の10分余のテレビ録画による「お言葉」は明快で、陛下のご心情がはっきり理解できた。僕ら夫婦は陛下より少し上だが、ほとんど同世代である。高齢化時代に入り、陛下自身も2回の外科手術もされ、身体に衰えを覚えるようになったというお言葉はよく理解できる。そのために憲法上での国民の統合の象徴として決められている国事が将来支障をきたすのではないかというご心配は痛いほどわかる。

陛下は「生前退位」という語句は使用されなかったが、「お言葉」にはそれが滲んでおられる。現在の憲法下の皇室典範では、天皇の存命中の退位は許されていない。しかし、天皇陛下のお言葉のように、憲法上規定されている象徴としての天皇の国事が出来なくなったらどうするのか。天皇のおっしゃるように公務の回数を減らすというものではない。

戦後、”人間宣言”されるまで、天皇陛下は「神」的存在であった。しかし、今は違う。天皇陛下の国事ご公務は80歳を過ぎた老人には激務すぎる。それに陛下は天皇終焉にまで配慮されている、天皇には国政機能がないのだから、安倍総理も述べているが、この天皇の「お言葉」を重く受けとめ、将来の天皇制度の在り方を早急に検討してもらいたい。

(金)タイ (銀)インドネシア (銅)日本

2016-08-08 05:16:07 | 2012・1・1
リオ五輪が始まって、毎日が”日曜日”の僕の一日も忙しくなってきた。時差の関係で早朝から試合が見られるので、もともとの朝型人間が、いっそう早く目覚めテレビにかじりついてしまう。初日のリオの結果は、競泳個人400メートル.メロデイで萩野公介選手が金メダル、瀬戸大地選手が銅メダル、そのほか重量挙げで三宅宏実選手が銅メダルなど5個のメダルを獲得、幸先良いスタートとなった。

僕が初日の競技で感激したのは三宅選手の重量挙げであった。メキシコ五輪で銅メダルの父親義行さんのコーチと指導で先のロンドン大会では銀メダルを獲得、今回で五輪挑戦は4回目だそうだが、最後まであきらめず、奮闘して演技した姿に感激した。もう一つ、この重量挙げで、僕が驚いたのは、表彰台に上がった選手が(金)タイ(銀)インドネシア(銅)で、あまり聞きなれないタイの国歌が演奏された事だ。アジア大会でもみかけない風景である。メダル獲得国がダイバステイ化してきているのだ。

一つ気になるのは、お家芸の柔道で男女ともに金メダルが獲れるず、初日に続き2日目も銅で、4人が全部、銅メダルなことだ。4年前のロンドン大会の時の小ブログを読み返して見たら、”何故獲れぬ金メダル 日本選手の活躍”(8月5日)というのがあり、やはり期待された柔道選手が金メダルが一つしか獲れないことを記していた。連舫さんではないが”必ずしも1位である必要はない”かも知れないが、やはり1位の方がよい。始まったばかりであるが、今後の選手の活躍を期待したい。

「原爆の日」「リオ五輪」に平和の有り難さを想う

2016-08-07 05:37:31 | 2012・1・1
リオジャネイロの五輪の開幕式をテレビで見て、改めて平和の喜びを噛みしめた。世界204か国と地域選手たちがそれぞれの国旗を先頭に華やかな衣装をまとい行進する姿は見事だ。内戦で戦火がたえないシリア、イラク、イエメンなど中東の国ぐにも、一つの中国を主張している中国もスポーツの世界は別。香港、台湾の選手団がそれぞれ別のユニフォームを着て堂々と行進していた。

五輪開幕式に先立って広島の71回目の平和記念式典のテレビ実況を見て、昭和20年8月6日午前8時15分、原爆が投下され、一瞬にして16万人の尊い人命が失われた惨事に想いを馳せた。あの時代には世界中がスポーツを楽しむどころではなかった。

改まって僕が子供だった1940年代の五輪大会を振り返ってみた。本来なら12回(1940年)13回大会(1944年)14大会(1948年)あったはずだが、実際に開かれたのは戦後の14回だけ。わが国は12回大会の開催国(東京)だったが、戦時のため開催を辞退、13回大会のロンドンも戦火で開催が出来なかった。さらに14回大会(ロンドン)はIOC(国際五輪委員会)から除名を受けていて参加していない。つまり、1920年代後半から30年代生まれの日本人は、青年時に五輪に参加が少ない世代なのだ。

戦後、五輪大会は政治問題がからみ20回モスクワ大会(1980年)のようなことがあったが、今回のリオ大会も事前には開催が危ぶまれたが、順調に進行している。2020年東京大会も平和裏に開催できることを願っている、

小池百合子都知事のボキャブラリー

2016-08-06 05:49:01 | 2012・1・1
小池百合子都知事の就任後初の定例記者会見を昨日テレビで見た。就任後僅か5日目の知事とは思えぬ堂々たるものだった。選挙戦以来マスコミへの露出度が高いので、改めて彼女の使う日本語を通じて幾つか気の付いた点を列挙してみた。

(手打ち式 撃ちかた止め)記者会見で(自民党都連幹部の辞任について)”これで手打ち式は終わりましたね”と問われ、”私どもはヤクザではありません”と答えていた。自民党幹事長が”撃ちかた止め”といったかどうかについて無言で不快感を示していた。

(ダイバー.シテイ)東京大改革三つの方針として三つの”シテイ”、「セーフ.シテイ」「スマート.シテイ」「ダイバー.シテイ」をあげている。”シテイ”のゴロ合わせなのだが、「ダイバ―.シテイ」という英語はない。ダイバーシテイ(diversity)=多種多用=を無理してひっかけたものだが、diversityそのものが日本人には、あまりなじみのない英語だ。

(前広)前後関係は忘れたが、知事は問題を”前広に”見当すると述べていたが、前広に”は役所言葉でお役人には解るが、社会で一般的には使用されていない。”前広に”は一つの問題を提案するには、出来るだけ早く多数の人に知らせよ、つまり、根回しせよという意味だが、日常的には使用されていない、

小池知事は経歴から見て国際派で、マナーは世界的に通用するが、知事の表敬の挨拶に”相手(小池知事)が手を出してきたから手を出したといっていうような国際マナー(女性に対して男性から握手を求めてはいけない)知らずの都議を相手に仕事されるのだから大変である。時にはハンカチを雑巾に使用してもよい。しかし、独りよがりの横文字の使用は止めた方がよい。

八日間の蝉 大臣たちの辞任の涙

2016-08-05 05:34:30 | 2012・1・1

▽ 八日間の蝉であっても文科省
今回の安倍内閣の改造で文科大臣の座を去る馳浩氏の句である。蝉の幼虫は10年余に渡って地下で生活しているが、成虫となって地表に出ると、僅か8日間の生命だそうだ。馳大臣は、1年余りだった文科大臣の職を去るに当たって、この句を詠んだ。顏には涙さえ浮かべていた。

老妻が昨日、階下の庭を掃除していて蝉の”抜けガラ”を見つけたと拾ってきた(写真)。80年近く前、少年時代には、蝉の”抜けガラ”など珍しくもなかったが、最近は蝉の鳴き声さえ聞こえてこない。宝物になってきた。しかし、脱カラして成虫になったセミは地表に出て8日間も、コンクリート.ジャングルの中で寿命をまっとうできているのだろうか。

馳浩氏については、プロレス出身という予見から、あまり期待していなかったが、一生懸命職務をしていて好感が持てた。辞任に当たっての句の気持ちもよく理解できる。しかし、気になったのは顔に浮かベていた涙である。仕事半ばしての無念の涙であるのだろうか。いずれにせよ、昔の男はあまり涙しなかった。が、最近、日本の男性は弱くなり、女性が強くなってきたのだろうか、馳大臣だけでなく、中谷元防衛大臣も辞任会見で涙していた。防衛大臣の先輩小池百合子都知事の泣き顔は見たことがない。

自民党の定年内規と二人の喜寿幹事長

2016-08-04 05:32:20 | 2012・1・1
テレビの昼間の情報番組で面白おかしく小池百合子都知事の”難敵”を紹介していた。一人は都議会のドンといわれる、自民党都議蓮幹事長の内田茂氏(77)、もう一人は五輪組織委員長の森嘉郎元総理(79)。お二人とも75歳を超えた後期高齢者である。ところが、もう一人、関係がよじれている自民党の幹事長に二階俊博氏が任命された。二階氏も内田氏も昭和14年生まれ、今年、喜寿を迎えられた同じ歳である。

超高齢化時代を迎えている。昨年度のわが国の後期高齢者人口は1,573万人で全体の12.5%だが、団塊世代が皆、後期高齢者を迎える2025年には、2、200万人、4人に1人が75歳を超えるお年寄りだ。だから、閣僚や党3役の中に後期高齢者がいても不思議ではないがやはり何か抵抗がある。先の知事選挙でも、自分の心身の衰えが解らず、落選したジャーナリストがいた。

自民党には衆院比例区73歳、参院70歳という立候補制限の内規があるそうだ。小泉内閣時代に設けられ、この制限で中曽根元総理が立候補できず、政界を引退した。85歳の年齢の僕から見て、この年齢制限内規は正しいと思う。確かに人によって、それぞれ違うが、75歳を後期高齢者とするのは、今の日本社会では妥当のように思える。先年引退したが、旧民主党の総理経験の長老が杖をつき他人の手を借りて登院していたが痛ましかった。

たとえ内規とは言え、年齢制限を設けて”若さ”を標榜している党の幹事長が喜寿とは矛盾する。後進に席を譲るという格言が昔からここの国にはある。

自民党都議の礼儀知らずの"田舎者”

2016-08-03 05:06:54 | 2012・1・1
東京の新しい顔、小池百合子新知事が昨日、消防庁の吹奏バンドと1000人の職員の温かい拍手の中、白いスーツで颯爽と登庁する姿をテレビの画面で拝見した。小池氏に投じた290万人の一人として、心からおめでとうと言いたい。公党や組織の推薦もなく、女性初の知事に当選した小池氏の奮闘ぶりには、すなおに手を叩きお祝いを述べたい。

テレビ画面が新知事の分刻みの初登庁の行事を紹介していたが、都職員への挨拶、記者会見などどれも新知事として合格点だったが、本来なら、形だけでも祝意を表すべき、自民党都議の礼儀知らずと”田舎者”ぶりが二つ、僕には目がついた。一つは小池知事が都議会の議長(自民党)副議長を表敬訪問した際、カメラマンが小池知事を挟んで正副議長の記念写真を要望したところ、議長の”マスコミの言いなりになる必要もない”の一言で中止になったという。なんとも、礼を失した大人げない話だ。

もう一つは知事が都議会の自民党室を表敬したときの対応だ。主要各党は幹事長を筆頭に祝意を述べたが、最大党派の自民党(56名)は総務会長とあと一人の二人だけの対応。それも予定の時間は5分だったのに僅かに30秒だけだったという。自党は推薦しなかったが、同じ自民党議員同士である。選挙が終われば、“ノーサイド”かもかと期待していたが、これでは、最初から”戦闘ムード”である。

今後の都議会での新知事への対応が注目されるが”都議会のドン”で象徴される自民党都議の”悪名”は高い。来年都議会選挙があるが、かりに小池氏が新党を結成すれば、だれも「TOKYO自民党」候補には投票しない。

猪瀬元東京都知事の厳しい”都議会のドン”批判

2016-08-02 05:43:45 | 2012・1・1
小池百合子氏の都知事当選を受けて昨日のテレビは”百合子”一色だったが、日本テレビ系の関西発昼の情報番組”ミヤネ屋”で猪瀬直樹東京都元知事が電話で番組参加し小池氏の勝因に関連して、都政のドン”こと内田茂自民党都連幹事長を名指しで厳しく批判していた。公共の電波を使って、こんなに激しく個人攻撃しをして大丈夫なのかと気遣うほどの内容であった。

猪瀬氏は、自民公明推薦候補、増田寛也候補の敗因の一つは、自民党都連(石原伸晃会長 内田茂幹事長)が、投票前に国会議員、地方議員に配った”党紀保守”の文書であると指摘し、違反すれば家族まで除名するという文言は”北朝鮮”だと批判、文書作成の直接の責任者、内田茂氏の名前をあげながら、東京五輪に絡む工事に内田氏が監査役をしている会社名まであげた。

寡聞にして知らなかったが、猪瀬元知事は自身のツィートでも内田氏を批判しており,関連のネット上には、2011年、内田氏の”いじめ”にあい自殺した元都議の遺書までみられる。しかし,”ミヤネ屋”での批判は国民の電波、しかも単なる私人の無責任な批判ではない。元都知事の発言である。番組司会者の宮根誠司氏の顔に”当惑”の色が読み取れるほど具体的な内容だった。

小池百合子新知事は今日2日、初当庁して、これまでにない都政方針を明らかにするが、その一つはクリーンな都政の確立と、東京五輪パラリンピック予算の透明化と精査である。そのための刷新委員会が設置される。かりに猪瀬元知事の告発が事実とすれば、さっそく、内田茂氏を刷新委員会に呼び真相を究明してほしい。