「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

二階幹事長 ”慰安婦”合意は最終的 不可逆的合意ではなかったのか

2017-05-11 06:00:38 | 2012・1・1
韓国の文在寅新大統領の誕生に対して、安倍晋三総理は昨日の政府与党連絡会議で”韓国は最も重要な隣国である。未来志向の日韓関係を発展させてゆきたい”と述べたが、僕が知る限り、新大統領に総理が祝電を送ったのか、どうか不明だ。マスコミ報道によれば、文大統領は、選挙の公約として一昨年12月両国間で合意した”慰安婦”問題についての取り決めを見直すと約束しており、こんな大統領に祝電を送るわけにはゆくまい。この合意は両国間の最終的、不可逆的なものではなかったのか。

文在寅大統領は首相に李洛淵全羅南道知事を任命した。李洛淵氏は韓日議員連盟の副会長兼幹事長で知日派の一人として知られており、日本の議員の間にも知り合いが多い。日韓議員連盟の常任幹事、二階俊博自民党幹事長もその一人だと思うが、産経新聞の報道によれば、”(”慰安婦”合意)を振出しに戻すことがあれば、慎重に話し合って行きたい”旨の発言を記者会見でしている。まさかの発言と思うが、政治家の中には”騙されても騙されてもまだ”こんな認識程度なのだろうか。

昨年11月、文在寅大統領は島根県竹島に不法上陸している。大統領は昭和28年生まれだが、竹島は前年の27年、当時の李承晩大統領が国際法に違反しテ一方的に宣言した海洋主権によるもので、わが国の領土であるのを知らないだろうか。昭和40年の主権回復までの12年間に日本の漁師3929人が不法に抑留され、328人が死傷している。日本の統治下35年間の、事実と異なる慰安婦や徴用にいつまでもへばりついていては、両国の未来関係には発展はない。産経新聞の「反日政権の衝撃」という読み物記事の見出しに”(安倍総理の周辺)は、文大統領の誕生に苦笑、不安しかない”とい見出しがついていたが、冗談ではなく、大丈夫といいたくなる。

民進党のヤジと品位と支持率の低下

2017-05-10 05:40:07 | 2012・1・1
連舫代表、小川敏夫元法相、といった民進党の大看板二人が、参院予算委の質疑に立つので、昨日NHKのテレビ中継放送をみた。民放の報道番組が面白おかしく、国会の「森友劇場」を伝えており、また新しい進展の場があるのかと思ったら、残念ながら連舫代表は、代表としての”品位”を気遣ったのであろう。一言も言及はなかった。これに代わって、小川氏が代役として演じたが、小川氏は過去のスキャンダルもあり、安倍総理の言う、民進党の支持率低下に役だっただけと、僕の目には映った。

それよりも、中継を見て目にあまるのは、民進党議員の議場でのヤジだ。答弁に立った安倍晋三総理が当惑し”おとなしくしてくれ、子供ではないだろう”といわれていたがその通りだ。そして、答弁の言葉じりをとらえて、チョロチョロ委員長席に駆け寄る。それも筆頭理事らしい顔なじみの議員である。小川氏の質疑の介添え役までヤジを飛ばしている。NHKは、中継のカメラをもう一台増やし、ヤジ議員の顔を写し、集音マイクで声を拾ったらどうか。

連舫代表は質疑を憲法改正論議に絞ったが、言葉は悪いが、安倍総理に軽くあしらわれてしまった。安倍総理の言うように行政府の長である内閣総理大臣としては答弁論議に限界がる。やはり憲法審査会の場で”深堀り”して検討すべきである。民進党は審査会に自党の案を提出していないのでは、話にもならない。たんに総理の言葉じりをとらえ、”佳境に入った”という言葉の辞書解釈を紹介している場合ではないのではないか。

生活保護受給者と古アパートの火災

2017-05-09 05:23:40 | 2012・1・1
大型連休最後の7日、北九州市小倉北区の築後50年の木造2階建てのアパートから出火、住民6人が亡くなり、5人が病院へ搬送された。この事故を知り、またかと思ったのは僕だけではないと思う。2年前には横浜市のやはり古い簡易宿泊所が焼けて10人が死亡、2011年には東京大久保の、これまた古アパートで5人が死亡、さらに10年には群馬県渋川市の老人施設で10人が火災でなくなっている。いずれも共通点は、高齢者の生活保護受給者が多いということだ。

昨日、小ブログは”終いの棲家”としての「サ高住」(サービス付き高齢者住宅)の問題点にふれたが、生活保護受給の老人にとってはそれどころではない。都会では、それでなくとも老人に部屋を貸したがらない傾向にあるが、低収入の生活保護受給者はどうしてもこういった古い簡易宿泊所やアパート宿泊せざるをえない。今回の北九州市の火事については目下調査中だが、犠牲者のほとんどは生活保護の受給者で、なかには市の関係者の斡旋で入居していた人もいたという。

NHKのテレビ中継で衆院予算委の審議の模様をみた。連休前と同じように辞職した閣僚の失言問題や、あまり直接、国政とは無関係な「森友」疑惑に終始している。そして、総理の憲法改正発言が”総理”としてなのか、それとも自民党総裁としてからなのか、と書生っぽ論議である。全国の生活保護受給者数は216万5000人で、うち老人は76万人、過去最大である。現憲法25条には”健康で文化的な最低限度の生活を営められる権利を有する”とあるが。

   


 

「サ高住」と老人の”終いの棲家”

2017-05-08 05:19:45 | 2012・1・1
ネットの記事を”渉猟”していたら「サ高住」という初めての言葉にぶつかった。早速,ウイキぺディアなどのお世話になり調べたら、サービス付き高齢者住宅の略。2011年の「高齢者住宅法」の改正で、全国の自治体管理下で認可されるようになった、一種の老人ホームのことらしい。全国に21万戸もあると聞き驚いた。60歳以上が入居できる条件だが、朝日新聞の独自の調査によると、入居者の88パーセントが要介護者で、うち30パーセントは要介護3以上の老人だという。朝日が、この「サ高住」で問題にしているのは、最近の1年半だけで、"サービス付き“としながら、全国で死亡を含む3362件もの事故が起きていることだ。

一般の人にとって、老人ホームの種類、制度はわかりにくい。例えば”特養”待ち老人が38万人といっても、”特養”と一般の有料ホームとの違いは、入居費や毎月の施設費が違う程度しか知識がない。その有料ホームも限られた金持ちしか入居できない豪華なものから、この「サ高住」のように、サービスが一日一回の生存確認と生活相談に限られているものまである。さらに、昨年の台風で9人の犠牲者を出した岩手県岩泉町のグループ.ホームみたいな施設があり判別できない。

超高齢化時代といっても高齢者の日常生活の実態はつかみきれていないのではないだろうか。あまにも老人をめぐる事故や事件が多すぎる。それも介護に関するものが多い。僕の周囲にも「サ高住」のお世話になっている友人、知人が多くなってきた。家族制度が事実上崩壊した日本では、生存確認がサービスでも”終いの棲家”でも良しとする、老人が増えてきている。その”終い棲家”でも事故が起きるよ鵜では、いったいどこを”終いの棲家”にしたらよいのだろうか。

街路樹の躑躅(ツツジ)の花に”戦後”の時代を想う

2017-05-07 05:52:24 | 2012・1・1

自宅から近くの私鉄沿線の駅へ行く途中横断する目黒通りの街路樹の躑躅の花が真っ盛りだ。(写真)つい最近桜の花を楽しんでいたのに季節の移り変わりは早い。僕は今の地に戦時中の昭和20年3月から住んでいるが、戦後数年間、まだ目黒通りは完成しておらず、道路予定地に外地から引揚げて来た人たちのバラック建ての住居兼店舗があった。低地で大雨が降れば、たちまち洪水になるような劣悪の地であった。

引揚者マーケットと僕らは呼んでいたが、昭和39年の東京五輪近くまでマーケットはあった。とくに食糧難、衣類など物のなかった時期には、僕ら付近の住民は、配給外の”ヤミ物資”と知りながら購入、役だったものだった。当時、全国各地に生活に困った引揚げ者救済用のマーケットや飲食街が建てられた。

この時代(昭和21,22年)なぜか、銀座の街路樹、柳を歌った流行歌が二つヒットしている。”青い芽をふく柳の辻に花をめしませ花を”で始る「花売り娘」(21年)。そして”柳青める日、燕が銀座を飛ぶ日”の「夢あわき東京」(22年)である。当時、銀座の柳は空襲でほとんど壊滅し、歌のような柳の街路樹はなかった。

洪水が出るたびに水浸しになった引揚者マーケットの横を流れていた「呑川」は、今は暗渠にされ桜並木が植えられている。躑躅の街路樹をみると、あの国全体が貧しかった時代が、いとおしく想い出される。

80老の端午の節句

2017-05-06 05:19:06 | 2012・1・1
わが家の猫の額ほどの庭の雑木の叢から昨日”ホーホケキョウ”と鶯の初音を聞いた。早春の春告鳥とされているのに、随分と遅い訪れだが、緑が少なくなった東京では野鳥のサエズリを聞けるだけで有り難い。

まさに季節は風薫る五月だが、無為の80老人は、ただただ過去の追憶にふけっただけだ。かって5月5日は、男の子だけの端午(たんご)ン節句であった。東京のわが家でも、五月人形を床の間に飾り、柏餅やチマキを供えて食べた。五月人形は、鍾馗(しょうき)様など勇ましい武者人形だったが、姉の桃も節句のひな人形にくらべて華やかさにかけ、子供心にものたりなさを感じたものだ。東京には高い建物がすくなく、甍(いらか)の波が続き、わが家でも鯉のぼりを大空にたなびかせた。

老妻が隣の駅の商店街まで行き「青柳」で柏餅を買ってきた。東京には漱石の時代からある和菓子の老舗が多い。「岡埜」「塩瀬」「虎屋」とならんで「青柳」もその一つで、老妻が出かけた「青柳」は暖簾(のれん)わけした店だが、さすがに老舗の伝統を守っている。柏の葉はむろん本物を使っているし、餅はスーパーなどに比べ倍近くある。値段も一個140円と安い。(写真)

チマキも土産に頼んだのだが、5本で900円もしたと買ってこなかった。多分。僕の血糖値を心配してのことだと想うが残念だ。やはり童謡「背くらべ」で育った世代には年に一回のチマキの味が恋しい。そう言えば、昨夜”菖蒲の湯”にも入らなかった。多分、これは、そのような習慣のない地で育った老妻だからであろう。

小池都知事とのツウ.ショットの写真

2017-05-05 06:04:46 | 2012・1・1
7月2日投開票の東京都議会議員選挙に向けて2か月を切り、事実上始まっている。小池百合子知事の地域政党「都民ファーストの会」は大型連休中にもかかわらず3日、”悪しき慣習を一掃しよう”と、議員の政務活動での飲食禁止など、都民の視線に立った公約を発表、39人の公認候補を発表した。

昨日「みどりの日」の休日、わが家に公明党の関係者が創価学会のネットワークを通じて党の広報紙の号外を持って挨拶にきた。号外には、わが選挙区からの候補予定者が、小池知事とニコニコ顔で握手して降り、党の公約として、議員報酬の20パーセント削減、政務活動費の減額、ネット公開など三つを載せていた。

既成政党もそれぞれ選挙活動を始めているのだろうが、まだ、僕の目には入ってこない。わが選挙区の自民党都議は、前回初当選の際、大学が同学ということで、小池知事の支援を前面に出し、二人のツウ.ショットの写真をパンフに載せていたが、今回はそうはゆかない。民進党候補は、昨年、知事が当選時は、自分の広報誌に二人の握手の写真を載せていたが、民進党から離脱したという話をきていないから、ツウ.ショットを利用するわけにも行くまい。

”都民ファースト”の視点にたてば、豊洲市場への移転問題は都議選の争点の一つと思うのだが、マスコミの報道では選挙前には解決のメドがつかないようである。5月中には市場地下水の汚染調査が発表になり、これによって知事が決断を下すものと期待しているが、ウヤムヤのままならば、豊洲移転を主張している自民党が勝利するかもしれない。小池知事の正念場である。

砂漠の戦争 「みどりの日」 自然の恩恵に感謝

2017-05-04 05:19:30 | 2012・1・1
大型連休後半2日目の5月4日、はて今日はなんの日だったかなと、ふと思った。ボケの始りかもしれない。改めてチェックすると、”自然に親しむと共に、その恩恵に感謝し、豊かな心を育む日”として、昭和天皇誕生日だった4月29日が、陛下の崩御後の1989年に制定され、さらに2006年、祝日法の改正で5月4日に移行した祝日でる。

加齢とともに自然が喪失した東京から外に出る機会が少なくなってきたが、先月、二回続けて北海道と福島に旅し、改めて日本の国には、まだまだ自然が残っているのを実感した。列車や高速バスの車窓からみると、北海道の広大な原野は健在だし、多少、荒れてはいるが、杉やヒノキ林も手つかずである。

中東のアルラジーラ放送を見ると、シリア、イラク、イエメンなど毎日砂漠の上でのむなしい戦闘が続いている。半世紀も前だがイエメンのアデンからタイズまで、砂漠の上のワディ(昔の川の跡)を車で走ったことがあるが、一面、緑がない風景は不気味であり、人の心にも影響してくるのではないだろうかと思った。。緑のない殺風景は、風景だけではなく、人の心をも殺してしまうのではないのだろうか。

最近、日本でも昔はなかった残虐な犯罪が多発している。それも大都会に多い。都会では緑の喪失に伴い、自然に感謝し、豊かな心を育む余裕がなくなってきたのだろうか。そういえば、僕らが子供だった戦前昭和の頃は、東京の区部でも至る所に”原っぱ”がり、自然に親しむことができた。杉やヒノキは花粉症の悪者にされているが、悪いのは杉やヒノキではない。

めでたく迎えられたのか70年前の新憲法

2017-05-03 06:25:47 | 2012・1・1
日本国憲法が昭和22年5月3日施行されて今年で70周年にあたる。亡父の残した日記帳は欄外に”民主日本の新出発、新憲法けふ(今日)より公布、雨の中、宮城(皇居)前広場で式典行われる”と書いてあるだけ。父が公布と記したのは誤りで、新憲法はすでに前年の11月3日、公布され、この日から施行されたのが正しい。

亡父は「憲法記念日」の5月3日の日記には、上記のように、おざなりの感想を述べているだけだが、憲法が公布された11月3日には皇居二重橋広場で催された祝典に参加、天皇皇后両陛下のお顔を遠くから拝見し、吉田茂首相の発声により万歳を三唱している。父は町内会から貰った招待券で祝典に参加しているが、会場の広場は人で埋まり、その中を進駐軍兵士が”わがもの顏”に整理に当たっていた。厳粛な式典にふさわしくなかったと、その日の日記に記し、さらに次の感想を書いている。

「新聞やラジオにとると、新しい日本に自由と平和をもたらす歴史的なめでたい日であると、吉田首相や色々な名士の話を載せているが、民主日本の前途を祝福しているが、われわれ大衆、なかんずく、私のように戦後の生活苦に悩みにく浪人者にとっては、何がめでたいのか感銘がない。インフレによる物価高、ゼネストといった事象がなくならない限り、新憲法の有難味も平和も自由もない。新憲法を祝うなら、本当の自由と平和の天地となってから、大いにやるべしだ」

ちなみに亡父は明治17年生まれ、当時62歳、明治23年2月11日の明治憲法公布の祝日、祖父に連れられて上野の「がん鍋」という料理屋の二階から憲法を祝う花車行列や夥しい人々の群れを見たと別な書に記してある。新憲法施行当時、僕は旧制中学5年生(16歳)だったが、何故か、特に感慨もなかったし、あまり記憶にもない。

車検制度がない怖い外国でのバス旅行

2017-05-02 05:08:12 | 2012・1・1
ジャカルタの南90キロの西ジャワ州のチアンジュールでブレーキの故障からバスが暴走、数台の車と衝突した後、坂下に転落、運転手と乗客11名が死亡した。ジャカルタからバリ島までを含めて過去に何度か車で陸路旅行したことがあるが、”またか”と思うほど、この国は大きな交通事故が多い。かって、日本でも”神風タクシー”といわれた時代があったが、原因はスピードの出し過ぎと車体の整備の不良からきている。

鉄道が少ないこの国では、長距離旅行も、料金の安いバスに頼らざるをえない。しかも暑い昼間を避けて夜間バスが多い。僕も1回、北スマトラのメダンから西スマトラのパダンまで乗ったことがあるが、生きた心地がしなかった。途中の山道でもスピードをあげたままである。最近はバスの車体もよくなったが、僕が乗った当時はトラックの車体を改造したもので、屋根の上にも乗客の荷物を積んでた。

30年ほど前だが、JICA(国際協力事業団)の途上国研修で、自動車工学をコーディネートしていた時、参加国の車検制度を調べたことがあったが、日本のように制度が確立した国はなかった。アフリカの国の中には制度さえなかった。途上国を旅行した人ならご存知だが、日本ではとっくの昔に廃棄処分になったようなオンボロ車が走っている。定期的な車検をしているかどうかわからない。

世界に冠たる自動車王国日本である。車を輸出すると同時に、これも冠たる車検制度も紹介したらどうだろうかー。規制のないまま経済発展を遂げ、公害に悩む中国の車検制度は今、どうなっているのだろうか。