「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

健康寿命と無尽講との相関関係

2018-03-11 05:51:49 | 2012・1・1
他人からの看護や寝たきりにならず、健康な日常生活を送れる年齢を健康寿命というそうだ、厚労省が3年ごとに調査しているが、最新の平成28年度分がが公表された。それによると、男性は72.14歳、女性は74.79歳で、それぞれの平均寿命、80.98歳。87.14歳との差が縮まってきた。ご同慶の至りである。

健康寿命の番付を見て驚いたのは山梨県の健闘だ、男性はトップで73.21歳、女性も第3位で76.22歳であることだ。後藤斎知事によると、はっきりした理由は判らないが、もしかすると、無尽講が影響しているかもしれないという意外な答えだ。無尽講とは頼母子講ともいい,町村や集落単位の金融制度で、お互いに一定の掛け金を出し、入札または抽選で特定の金額を得られる制度。そのために講の集まりを持ち飲食したりする。後藤知事によると、無尽講でお互いに談笑する機会が健康によいのだというのだ。

たまたまネットの「文春オンライン」に中高年の”早死率”について、原因は”タバコでも肥満でもなく孤独から来ているという記事があった。わが国はOECD(経済開発協力機構)加盟国間の孤独感調査で平均が7%なのに15.23%とと極端に高い。これが健康寿命にも影響しているのかもしれない。そういえば、僕の周囲でも90歳、100歳の先輩は健康寿命の持ち主が多い。僕もそれにあやかって、友人立ち会い、会合にも顔を出すことに努めよう。、

インドネシアの3・11事件の頃

2018-03-11 04:59:49 | 2012・1・1
東日本大震災のあった3月11日は、インドネシアの現代史でも記念すべき日である。1966年(昭和41年)3月11日、初代大統領スカルノが、前年起きた9.30クーデター未遂事件後の政治混乱の責任をとり、スハルト戦略軍司令官(第2代大統領)に政権を全面委譲した日である。当時、僕は特派員として、ジャカルタに駐在していたが、連日、学生たちのデモが続き、中国大使館が焼き払われるなど大混乱だった。
インドネシアでは、3月11日は「SUPERSEMAR}といい、これを頭に冠した大学がソロ(スラカルタ)にある。半世紀以上前の歴史的出来事だ。デモに参加していたユドヨノ第6代大統領もすでに引退している。歴史の流れを感じる。

朝鮮半島の新しい流れ 共同標的にされるな

2018-03-10 05:52:00 | 2012・1・1
平昌五輪を機に動き出した南北朝鮮の話し合いは本物の”雪解け”現象なのだろうか。先日、北朝鮮を訪れ金正恩労働党委員長と会談した韓国の特使の一人がワシントンでトランプ大統領に会い結果を報告したが、世界を驚かせる内容だった。北朝鮮が核ミサイルを抑制し、金正恩がトらンンプとの首脳会談を提案してきた。さらに驚いたのはトランプが5月までに会談しようと応じたことだ。昨年11月、北がICBM(大陸間弾道弾)の実験をし、お互いにののしり合いをしていた時には考えもつかなかったことだ。

政治は”水物”一寸先は闇だという。しかも過去に何回かどんでん返しのある朝鮮半島の国である。半島の平和とさらには統一には,わが国としても異論はない。拉致問題の解決にも期待が出てきた。しかし、決して安心はできない。平昌五輪では半島を型どった統一旗を掲げて共同行進した北だったが、パラリンピックでは統一旗に、日本領土の竹島を表記せよとゴネ出した。早くも自己主張し始めてきた。

何時になるかわからないが、半島の二カ国が統一されることになれば、日本は共同標的にされよう。韓国に対しては、半世紀前、日韓基本条約ですべて清算し、多額な賠償金まで支払っているが、いまだに、慰安婦問題で文句をつけている。かりに南北が統一されることになれば、当然、北への追加を要求してくるに違いない。それに備え、わが国は歴史問題を含めて今から理論武装をして備えておくべきだ。

先日(3月8日)、NHKのBSプレミアム番組「英雄たち選択」の一編”秀吉、家康の日韓交渉”の再放送を見たが、面白かった。安倍総理、訪米までに時間が合ったらご覧になったら如何がー。

戦前スラバヤにあった大鳥居 年寄りの好奇心

2018-03-09 06:20:07 | 2012・1・1
北スマトラ(インドネシア)のメダンに旧日本軍が建てた紘原(ひろはら)神社の建物が現存しており、その写真を昨年12月小ブログで紹介したところ、そのご縁で一昨日、海外の戦前、戦中の神社跡を研究されている、神奈川大学の中島三千男名誉教授とお会いでき色々と資料を頂戴した。

その資料の一つが戦前ジャワ島第一の都会,スラバヤにあった大鳥居(写真右)である。中島教授によると、この写真は昭和10年代にバタビア(現ジャカルタ)とスラバヤの日本人学校に通っていた作家の有吉佐和子さん関連の「ジャカルタ歴史今昔」という本に載っていたという。僕はこの半世紀にわたり、50回以上、旧蘭印(インドネシア)の地を訪れており、スラバヤにも何回か出かけ、歴史にも多少興味を持っていたが初めて見る写真だ。

年寄りの好奇心である。早速帰宅して、戦前蘭印の地にいた人たちの集まり、じゃがたら友の会編纂の「写真で綴る蘭印生活半世紀」(昭和62年刊)を見直したところ、同じ大鳥居がある(写真左)。その写真説明には昭和12年、和蘭ユリアナ内親王ご成婚記念祝賀鳥居前、日本人会武者行列とある。、即断はできないが、もしかすると、この大鳥居はご成婚祝のためのものかもしれないが、残念ながら、その建立を伝えるを歴史も判らないし、場所も特定出来ない。

スラバヤは日本人の足跡が古い町だ、最近までは、かって日本人街であった地域に「日本橋」という地名まであったが今はない。戦後すぐの独立戦争には大勢の日本兵が参加、犠牲者まで出ているが、それを伝えるまとまった記録もない。好奇心はあるのだが、残念ながら体力がついていけなくなった。

「南北会談」北の変わり身の変化はなになのか

2018-03-08 06:28:10 | 2012・1・1
昨日の新聞に金正恩北朝鮮労働党委員長が訪朝した韓国の文在寅大統領の特使とニコヤカに握手している写真(韓国大統領府提供)が載っていた。金正恩委員長の顏に微笑みが見え、心なしか安堵感さえ感じられるように僕には見えた。韓国側の発表によれば、特使と金正恩氏との会談は”満足のゆく”もので、南北の首脳会談が4月末に板門店の韓国側の建物で行われる。北側は米国と対話する用意がある。南北対話中は核実験やミサイルを飛ばしたりしない―などなどである。

たった100日ほど前の昨年11月北朝鮮はICBM(大陸間弾道弾)実験を行い武力を誇示したばかりである。それが平昌五輪をきっかけに選手団まで送り、一挙に和平路線に切り替えた。テレビでフランンスの報道番組を見ていたら、解説者が、早くも南北間の統一が実現するかのような話をしていた。過去の南北の和平交渉を見れば、そんなに一朝一夕で統一が実現できるわけはない。

しかし、北朝鮮側に政策の変化が見えてきたのは事実だ。わが国とって半島の和平には異論がないし、核.ミサイル実験の停止は歓迎するところだ、この北側の変わり身の変化には今一つ信用できない、変わり身の類語、連想語には不誠実、無節操、無責任、身勝手、ちゃらんぽらんなどがある。会談の写真にみえる微笑は何を意味するのか。国連安保理決議による、世界各国からの制裁措置が浸透してきたのであろうか。金正恩委員長の顏には、南からの話し合い提案が救いの手に見えたのではないか。

いずれにせよ、わが国としては慎重に今後の去就を見守らなければない。国家間の約束事を守らない半島の人たちである。

”生き残れるか”フジテレビの4月番組改変

2018-03-07 05:59:24 | 2012・1・1
低視聴率が続くフジテレビが”変えなければ生き残れない”と、4月の番組改編に大ナタを振るう。改変率は全日(6.00am-深夜)28.2%。ゴールデン(7.00pm-11.00pm)29.8%、プライム(7・00pm-11.00pm)29.5%と日本テレビなど他局が、ほとんど手つかずなどに比べ3割近い変りようだ。

改変に当たり、フジテレビは20年以上続いている「ちんねるずのおかげです}など看板バラティを打ち切ると同時に低迷するニュース番組を”統一ニュース.ブランド"にするという。”統一ニュ―スブランド”とは解かりにくいが、各時間帯ごとに異なっていたニュース名を統一し、番組のイメージカラー、スタジオセットを新しいものにするらしい。

フジテレビのニュース番組は他局に比べて今一つ魅力に乏しい。日本テレビ、TBS,テレビ朝日など他局は同資本の新聞社の主張路線を番組に反映しているが、フジテレビはあまり産經色がでていない。逆に同じFNN系列のテレビと新聞かと思う番組さえある。FNN系列の地方局の中には極端に産経色を嫌う局があって、それに配慮しての忖度なのかもしれない。

フジテレビの低視聴率は2011年夏ごろから始まった”韓流番組偏重”に対する同局への市民デモからである。経営的な理由からかその当時、フジテレビの番組には”韓流”番組が多かった。これは産経の韓国報道とは相いれないものだ。他局の場合は同系列の新聞社色を上手に利用して高視聴率を稼いでいるが、フジテレビは逆である。4月改編で”統一ブランド”にするのは結構だが、問題はニュースのコンテンツである。産経の「正論」路線の解説者を起用し特色を出したらどうか。

中国国防費8.1%増と”石垣の砦”

2018-03-06 07:06:43 | 2012・1・1
新聞の見出しはとかくセンショーナルになりがちだが、産経新聞の3月5日付け首都圏版の二つをそのまま引用してみる。一面の評論家桜井よしこ氏のコラムの見出しは”要衝 石垣に迫る中国”。それに五面総合面の記事は”尖閣周辺 中国の動き活発 石垣の砦守れるか”である。いずれも11日投票の石垣市長選挙をめぐっての焦点になっている、陸自のミサイル部隊の島への配備の是非に関連したものだ。

10数年前、僕はJICA(国際協力機構)の研修事業で石垣島に三回長期滞在したことがる。東京から直行便でも2時間30分、那覇経由では4時間もかかる、文字通り先島である。冬でも暖かく風光明媚、絶好な観光地だ。その石垣島(市)で今、市長選挙が行われている。焦点は、陸自ミサイル部隊の島への配備である。現職で再選をはかる自民党の中山義隆氏は賛成、これに対して立憲民主党など野党支持の宮良操氏は反対の構図だったが、もう一人保守系から砂川利勝氏が立ち三つ巴の様相。保守系が共倒れになれば、陸自の配備にも影響してくる。

僕が石垣島に滞在していた頃は尖閣の問題は表面化していなかったが、最近は中国の公船が尖閣領域や接続水域への航行が日常化してきており、新聞にも伝えられない。そこへきて、昨日の中国人民代表者会議で、本年度の国防費が発表になった、前年実績8.1%増の1兆1069億5100元だという。あまりにも多額で理解できないが、日本の3倍に当たるという。

尖閣諸島はわが国が実効支配しており、石垣島からは130-150キロの距離で、まさしく日本の砦であり要衝である。そこへ僅か1000人足らずの陸自部隊の配置をめぐって反対している。平和ボケも至れりである。

蕗のとう つくし誰の子 早春賦

2018-03-05 05:41:49 | 2012・1・1
雛(ひな)の節句も過ぎた昨日の日曜日、東京は最高温度が21.2℃まで上がり一挙に春が来た。この陽気につられて老妻が猫の額のような階下の庭に蕗のとうを探しに出かけたら、娘夫妻がすでに天ぷらにして食べてしまった。折角、小ブログで紹介しようと思っていたのに残念だ。

戦前、僕が住んでいた東京の省線(JR)五反田駅から目黒駅にかけては、盛り土されて土手になっており、僕らはその土手の線路を渡って毎日登校した。踏切番のおじさんが旗を持って僕らの安全を守ってくれた。放課後は、その土手は僕らの遊び場になったが、ちょうど今の季節は摘み草の場であった。
草餅にするヨモギに混じってつくしん坊も摘んだ。
♯ つくし誰の子スギナの子 オタマジャクシは蛙の子
一緒の歌か別の歌か。メロディがあったのかどうか忘れてしまったが。口ずさんだものだ。

昭和10年代も終わりになると、摘み草どころではなかった。山の手線と並行して走っていた貨物線路の上を兵隊さんを一杯乗せた列車が多くなった。品川駅から戦地へ向かう列車である。戦後、あの兵隊さんたちは無事復員できたかどうかー。
僕は童謡「早春賦」(吉丸一昌作詞 中田昌作曲 大正2年)の第3節が好きだ。
♯ 春と聞かねば知らでありしを 聞けば急がる胸の思いを
 いかにせんとこの胸を いかにせんとこの胸を
80歳半ば過ぎた老人の心境でもある。

平昌のイチゴ 東北など8県からの水産物禁止 感謝の気持ちがない韓国

2018-03-04 08:01:44 | 2012・1・1
北見の”カー娘”が”モグモグ.タイム”(ハーフタイム)で食べた現地産のイチゴが思わぬ波紋を投げている。斉藤健農水相が先日の閣議後の記者会見で”現地産のイチゴは流失した日本産品種に現地の品種をかけあわせたものだ”と発言した。2012年までは、厳しい法の規制がなく勝手に日本産農産物が流れていて現地産イチゴは非合法ではないが、斉藤農水相の頭には、礼儀を知らない、自己中心な韓国農政に対する批判があるに違いない。

あと数日で東北地方を中心に襲った東日本大震災の7回目の記念日がやってくる。関係者にとっては長いのか短いのか。僕のような直接被害のなかった者にとっては非常に長く感じる。その7年が経過したのに韓国は依然として福島、宮城、岩手、青森、茨城、千葉など8県の水産物を、原発事故の汚水を理由に禁止している。それだけではない。わが国が、この不当差別に対してWTO(世界貿易機構)に提訴し、WTOでも差別をやめるよう勧告しているが、韓国はそれでも不服として上告審に提訴している。

韓国は自己中心的で感謝の気持ちがないように思われる。戦後の日韓関係をみると、1965年の日韓基本条約とそれに伴う賠償協定で戦前の植民地体制は清算された。以後、日本側は誠意をもって事に当たり、慰安婦問題一つをとってみても2015年の合意で最終的、不可逆的解決を見たわけである。それでも韓国は不満のようで相変わらず、少女像を建て、反日政策を続けている。先日新聞の本の広告欄に、日本は発想を変え、戦前、わが国が朝鮮半島で行ったインフラ整備などに対して補償を求めるべきだと主張する本が出版された。そうも思いたくなる。

斉藤農水相の発言の前後関係は不明だが、韓国のWTOの上訴を念頭においてであろう。しかし、この程度の”嫌味”が通じる国ではない。日本からの技術移転が続かかないように官民あげて注意しよう。国と国との約束事も簡単に反古にする国である。

「海行かば」は軍歌ではない

2018-03-03 05:41:26 | 2012・1・1
千葉県八千代市の民間団体「日本の心を歌う集い」が市の後援依頼を申請したところ、歌う曲目の中に軍歌「海行かば」があるとの理由で断られたという。主催者側は唱歌など昔から伝わる美しい旋律を通じて参加者で感動を共にしようというのが開催の企図だったのだが。果たして「海行かば」は、市教委のいうように軍歌なのだろうか。

♯ 海行かば(大伴家持の長歌 信時潔作曲)
海行かば水漬く屍(かばね)山行かば草むす屍 大君の辺(へ)にこそ死なめ、かえりみはせじ

この歌は、万葉集に出てくる大伴家持の和歌に昭和12年(1937年)11月、国民精神総動員法強調週間にちなんで作曲家の信時潔がNHKの依頼を受けて作曲したものである。戦時中、小学から中学生であった僕らは、戦果を発表する大本営の冒頭曲として耳にしたり、戦死した英霊の遺骨を駅頭に迎える際に歌った。YOU TUBEによれば「海行かば」は準国歌とか第二の国歌で、国民の間で熱狂的に歌われたという解説があるがこれは誤りだ。

戦争中、中学校(旧制)には「教練」という学科があり、僕らは軍隊並みに「軍歌演習」があった。教官を中心に輪になって「抜刀隊」「愛国行進曲」「軍艦マーチ」など勇ましい歌を声張り上げて歌ったが、「海行かば」を歌った記憶はない。

戦後、軍歌は一時右翼の街宣車の歌と化し、カラオケからは毛嫌いされているが、戦時中、銃後の小国民だった僕らには歌は軍歌しかなかった。「海行かば」は僕らにとっては軍歌ではない。英霊への鎮魂歌である。「海行かば」を聞いて戦争賛歌と思う日本人はいるだろうか。