インドネシア大統領選挙は、世論調査の推測では現職のジョコ.ウイドド大統領が再選間違いないようだ。インドネシアは人口が世界第四位の大国、1945年の独立以来、わが国からの被経済援助はトータルで最大と関係が深い。しかも初代のスカルノ大統領は日本人女性デビ夫人と結婚歴がり、二代目のスハルト大統領も日本の軍政時代、郷土防衛義勇軍(PETA)の小団長(小隊長)と話題には事かかない。
ジョコ大統領はスカル、スハルト料大統領に比べて日本での知名度は低い。生まれ故郷の中部ジャワのスラカルタ(通称ソロ)の市長を経て首都ジャカルタ特別市長を歴任2014年の選挙で大統領に始めて選ばれた。スカルノ大統領は在任中、賠償交渉もあったが、数えられないほど来日しているが、ジョコ大統領の公式訪問は2015年の一度しかない。
僕はこの半世紀に30回以上インドネシアを訪れているが、中でもジョコ大統領の生まれ故郷ソロが一番多い。日本でも知られているジャワ民謡「ブンガワン.ソロ」の作詞作曲シンガー,ゲサン(故人)の日本への紹介者として1966年以来8回訪れている。この年ソロ川が氾濫して日本から見舞金を贈っているが、ジョコ大統領はまだ5歳の少年で記憶にあるだろうか。
ジョコ大統領は庶民派の政治家だといわれている。その理由の一つは出自にあるのではないだろうか。ソロの貧困家庭の生まれで父親は家具商人であった。12歳の少年時代、ジョコ少年は父親の作った家具を市内のスリブダヤ公園の夜店で手伝って売っていたという。この夜店には僕は何回もいったことがあり、にわかに大統領に親しみを感じた。
僕が最初にソロを訪れた1966年3月11日、スカルノ大統領は事実上、軍部を代表するスハルト少将によって追放されている。インドネシアでは、この政変が起きた日を「スペルスマル」と呼び。ソロの大学は校名にこの名前を使用してる。今回の大統領選挙で敗退したブラボウ氏はスペルスマルの立役者、スハルト大統領の娘婿である。悠久の流れを歌ったブンガワン.ソロの歴史である。