「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

君子蘭が咲きました

2019-04-22 05:36:29 | 2012・1・1

今年も老妻が手入れしてきた君子蘭が見事に花を咲かせた30年近く前、親しくしていた隣人が引っ越しのさい株分けして頂いたものだ。毎年、桜が散るこの頃に几帳面に花を咲かせてくれる。

蘭の名前がついているが、蘭ではなく、彼岸花科に属しているそうだ。原産地は南アフリカのスワ―ジーランドの原産地の森林だそうだが、いつ頃、どうやって日本に渡来してきたのだろうか。戦前昭和の頃、母親がオモト.ブームの頃、観葉植物として育てていたような気もするがはっきりしない。

残念ながら、わが家の君子蘭の葉は一部色が褪せている、老妻は公害だといっているが、大気の気温と関係があるのだろうか。株分けしてくれた隣人を偲びながら写真におさめった。


高齢者の交通事故 従心 孔子の教え

2019-04-21 05:48:06 | 2012・1・1

東京東池袋の都道で87歳の男性が運転する車が信号を無視して横断歩道を3か所も暴走して母親(31)と幼児(3)をひき殺し7人にケガをさせた。テレビの現場写真を見ると、母親の自転車は大破し、幼児のヘルメットなどが路上に散乱していて痛ましい。男の話だと、運転していた車のアクセルが元に戻らなくなったのだという。僕は車は運転しないが、長い人生生きてきて、さらにアクセルまで踏んで加速させる必要があるのだろうか。

高齢者の運転する交通事故が年々増加社会問題となっている。政府も運転免許証の自主返還や再訓練を実施するなどしているが事故はあとを絶たない。公共交通機関の少ない地方では、車は必要なことは理解できるが、東京ではなくても済むような気はする。しかし、事故を起こした男性は普段足が悪く杖を突いていたという。老夫婦だけの家族構成のようで、同じ杖つき老人として同情できるが。

高齢者の痛ましい事故を知るたびに、僕は30歳(而立)から始まり70歳(従心)で終わる孔子の教えを思い出す。40歳では不惑、50歳では知命そして60歳では耳順だと説いている。耳順とは”何を聞いても素直に理解でき、従心になれば”自分のしたいようにしても人間の法則をこえることがない境地に達する(「慣用句ことわざ辞典」)という。80歳について孔子は何も言っていないが、70歳にして人間の法則を越えない境地に達してなくてはならない。孔子の時代とは違うが、高齢者の車の運転は、人間の法則を越えているのかもしれない。


荻生田失言 安倍政権の緩み 弛み 遊び

2019-04-20 05:32:35 | 2012・1・1

政府は4月の経済報告で「景気は一部に弱さはみられるが、緩やかに回復している」と戦後最長77か月続く回復局面を評価した。中国経済の先行き不安など、僕は素人なりに心配していたのだが、やれやれと安心した。ところが、ふいて沸いたかのように、安倍総理の側近の一人と言われる自民党の萩生田光一幹事長代行が”今後の経済指標の動向によっては10月の消費税10%引き上げの延期の可能性もある”と言い出した。

 消費増税の10月実施は閣議決定事項であり、安倍総理は繰り返し”リーマン.ショッククラスの経済不安がない限り実施すると明言している。増税の目的は、政府の社会保障財源確保であって、延期されれば、幼児教育、保育の無償化もできなくなり、高齢者全般の医療福祉政策も実施が不可能になる。

萩生田幹事長代行はネット.インタービュでのこの発言は政治家としての自分個人の発言としている。しかし、最近の安倍政権に対する”忖度”政治について理解が足りないのではないだろうか。菅官房長官も記者会見で政府との関係を否定しているが、それでも政局は、夏の参院、衆院同時選挙まで頭に入れている。

萩生田発言はやはり、”戦後最長の景気”でみられる安倍内閣の緩み、弛み、そして遊びがあるのではないだろか。10連休の後の”宴の後”が老爺心として心配である。政局を遊びにしていてよいのだろうか。

 

 

 


ジョコ大統領再選 ブンガワン.ソロの歴史の流れ

2019-04-19 04:32:42 | 2012・1・1

インドネシア大統領選挙は、世論調査の推測では現職のジョコ.ウイドド大統領が再選間違いないようだ。インドネシアは人口が世界第四位の大国、1945年の独立以来、わが国からの被経済援助はトータルで最大と関係が深い。しかも初代のスカルノ大統領は日本人女性デビ夫人と結婚歴がり、二代目のスハルト大統領も日本の軍政時代、郷土防衛義勇軍(PETA)の小団長(小隊長)と話題には事かかない。

ジョコ大統領はスカル、スハルト料大統領に比べて日本での知名度は低い。生まれ故郷の中部ジャワのスラカルタ(通称ソロ)の市長を経て首都ジャカルタ特別市長を歴任2014年の選挙で大統領に始めて選ばれた。スカルノ大統領は在任中、賠償交渉もあったが、数えられないほど来日しているが、ジョコ大統領の公式訪問は2015年の一度しかない。

僕はこの半世紀に30回以上インドネシアを訪れているが、中でもジョコ大統領の生まれ故郷ソロが一番多い。日本でも知られているジャワ民謡「ブンガワン.ソロ」の作詞作曲シンガー,ゲサン(故人)の日本への紹介者として1966年以来8回訪れている。この年ソロ川が氾濫して日本から見舞金を贈っているが、ジョコ大統領はまだ5歳の少年で記憶にあるだろうか。

ジョコ大統領は庶民派の政治家だといわれている。その理由の一つは出自にあるのではないだろうか。ソロの貧困家庭の生まれで父親は家具商人であった。12歳の少年時代、ジョコ少年は父親の作った家具を市内のスリブダヤ公園の夜店で手伝って売っていたという。この夜店には僕は何回もいったことがあり、にわかに大統領に親しみを感じた。

僕が最初にソロを訪れた1966年3月11日、スカルノ大統領は事実上、軍部を代表するスハルト少将によって追放されている。インドネシアでは、この政変が起きた日を「スペルスマル」と呼び。ソロの大学は校名にこの名前を使用してる。今回の大統領選挙で敗退したブラボウ氏はスペルスマルの立役者、スハルト大統領の娘婿である。悠久の流れを歌ったブンガワン.ソロの歴史である。

 

 

 


東京の牡丹桜も満開

2019-04-18 12:26:46 | 2012・1・1

今年の東京の桜は、春の彼岸の中日に早々と開花か宣言されたが、長持ちして1か月近くたっても葉桜になっていない。それなのに家の近くの呑川緑道の牡丹桜が満開で散り始めてきた。花が牡丹に似ているので、牡丹桜というが、八重に咲くことから八重桜ともいう。染井吉野の山桜に対して里桜ともいうそうだ。

世の中は三日みぬまの桜かなというが、今年は例年になく桜を長い間楽しませて貰った。長寿に対する天からのご褒美なのかもしれない。(写真左二つは牡丹桜、三つ目はまだ葉桜にならない染井吉野)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


介護老人の事前”不在”投票

2019-04-18 05:36:26 | 2012・1・1

選挙公報の届くのを待って、昨日、東京の区議会議員選挙の事前投票を老妻と一緒に早々と済ませてきた。ここ数年、僕は選挙当日ではなく、事前に投票する慣習だ。当日”不在”ではないのだが、大雨など天候が悪いと、老人はとかく棄権しがちだからだ。同じような考え方が多いのだろう。投票所へ行く道は杖を突いた御老輩が目についた。

区政選挙は国政、都政と違って地元の政治だから関心度が高い。それに立候補者の中には”街”の魚屋さんの主人や薬局の娘さん、PTAの元会長もいて親しみがある。わが家では老妻が地域の老人会の習いごとに参加している関係上、支援者からしっ切りなしに電話がかかってくる。老妻がどの党の誰に投票するか知らないが、老妻はいつも゛頑張って下さい”で電話を切っている。

僕は原則として政治は若い世代にまかせるべきだと思っている。しかし、区政については違う。地元の身の回りの政治は経験者優先だ。僕は今住んでいる区政に反対であり,この区政に終始反対の立場で過去四期連続トップ当選している無所属候補者に一票投じた。立候補者のうち80歳と最高齢だが、百歳時代、高齢者の立場からの政治もあってもよい。

高齢者の事前投票率を調べてみてもよいのではないか。特別介護老人施設などでの投票はどうなっているのか。在宅の介護老人を含めて巡回投票などはできないのか。超高齢化時代、一考してよい問題に思われるのだが。

 

 


対岸の火としたくないノートルダム.インフェルノ

2019-04-17 06:09:18 | 2012・1・1

パリの観光名所のノートルダム寺院が15日の大火災で威容を誇った大尖塔が焼失、屋根瓦もほとんど焼け落ちてしまった。12世紀に200年以上かけて建立、ユネスコから文化遺産にも指定されていた。僕ら夫婦も昭和の御代の終わりごろ観光旅行で内部まで拝覧したが、火災後の姿はまさにノートルダム.インフェルノで痛ましい。

僕ら昭和世代にとってノートルダムの名前は寺院そのものより、子供の時見た「ノートルダムのせむし男」の題名のほうで知られている。戦争がまだ激しくならない、”エノケン.ロッパの喜劇全盛時代だったが、子供たち間では、主人公の怪異の姿が話題になり、他愛もなくその真似などして遊んだ。映画の原作は文豪、ユーゴだが、読んだこともないし,映画の筋もいまだに知らないのだが。

重要文化財の焼失という面からは、戦後すぐの時代の昭和24年1月の法隆寺の火災による壁画の焼失,翌25年6月の金閣寺放火事件を想い出す。とくに金閣寺事件は、三島由紀夫の小説によって紹介され、犯人が僕と同時代の学僧だったことあり、忘れられない。今考えると二つの火災とも敗戦後の世相の混乱期に起きている。

ノートルダム寺院の火災の原因は調査中だが、修理中の木枠やぐら付近の失火らしい。フランスでは今年に入ってから毎週のようにマクロン大統領に対する反対デモが続いている。こういった政治混乱が失火の引き金になっていることはないか。対岸の火災とせず、貴重な文化財が多いわが国だ。いっそう注意を怠らないことに越したことはない。


ジャカルタのMRT マナーの向上でも日本から協力

2019-04-16 05:20:06 | 2012・1・1

インドネシアの首都,ジャカルタに日本の全面協力で待望のMRT(都市高速鉄道)が開通、折から大統領選挙もあって町中沸いているそうである。半世紀以上にわたって30回近く、ジャカルタを訪れている僕も是非乗ってみたいのだが、足腰も弱り、パスポートの期限も切れていて実現しそうもない。

関西在住のインドネシア通の友人からMRTの資料を頂戴した。ジャカルタは、僕が在住していたころから、交通渋滞で泣いていたが、開通したのは中心部を走る南北線15.7キロだが、駅名を見ると、じゃがたらお春が昔住んでいたコタから、和蘭時代のハルモ二―、独立記念塔のあるモナスなど懐かしい。僕が在住していた頃にははまだ、和蘭時代の市内電車のレールも残っていたが、。

頂戴した資料の中に現地の邦字紙「じゃかるた新聞」の"ホームにゴミ箱なし、飲食禁止、罰金50万ルピア(約4000円」という記事があった。また別の記事には、MRT建設に協力したJICA(国際協力機構)の専門家の話として、JICAでは、路線建設、車両運転などハード面だけでなく、乗客のマナー向上のため、日本の横浜市営鉄道の例などを実地に教示したそうだ。

僕の体験ではインドネシア人の日常モラルは、日本に比べて低いように感じたが、最近はそうでもなくなってきた。東京の短い乗車時間の中でも飲食したり、化粧したりする女性も見かける。しかし、降車優先のマナーなどは安全性からいっても学んで貰いたい。前よし、右よし、左よし、発車オーライを願う。


4月15日の京浜大空襲の日の父の日記帳

2019-04-15 05:21:48 | 2012・1・1

亡父の昭和20年(1945年)の日記帳は縦17センチ、横14センチというB5版を少し小さくした備忘録であった。父はこれを平日は1日半分にして2日分、日曜は1ページを使用していた。仙花紙の粗末なものだが、京浜地方に大空襲のあった4月15日は、日曜日だったので、1ページをフルに使い、14日も13日夜の皇居(一部)や明治神宮本殿が焼けた焼けた、と赤インクで真っ赤に染めて書いている。几帳面な父は毎日の警戒、空襲警報も発令、解除の日時を赤インクで記していた。(写真)

4月15日の空襲は午後9時57分、空襲警報発令、16日午前1時30分解除という長時間にわたるものだった。当時、僕は父母と一緒に東京の自由が丘の近くに住んでいたが、後の記録によると、B-29爆撃機202機が飛来、品川、大森,蒲田、川崎など京浜南西部を中心に空襲している。幸い、わが家は被害にあわなかったが、父は”各所火の海と化す。従来始めて脅威を感ず”と日記に記してある。

この空襲で、僕が勤労動員されていた六郷(蒲田)の軍需工場も焼失した。交通機関がストップしたため、空襲から翌々日の17日、家から8キロほど往復歩いて通勤した。父は日記で、”敢闘精神の発露”とお褒めの言葉を頂戴しているが、僕の記憶では、工場の食堂の焼け跡から、焼け米を探しだすのが目的だった。空襲下の東京を撮影したカメラマンの石川光陽氏の写真集「昭和の東京」(朝日文庫)にも東京荏原の農林省倉庫焼け跡に焼き米拾いに集まる写真があるが、敗戦までの数か月の東京は、僕にとって忘れられない。

 


昭和天皇の靖国神社臨時大祭ご親拝

2019-04-14 05:53:39 | 2012・1・1

平成の御代もあと半月となり、最近”平成最後”という言葉が目に入り耳にする。しかし、昭和1ケタ生まれの世代の僕には、戦争を挟んだ前半30年の体験が強烈だっただけに、それほどのことだった感激はない。東日本大震災をはじめ自然災害の多く、経済的にはバブルが発生、はじけたりしたが、戦争がなかったのは、何より幸せだった。

加齢と共に記憶力が薄れ、資料の整理力が劣ってきた。”平成最後”の言葉に刺激を受けて、書庫の奥を探していたら古い週刊誌(昭和7年「日曜報知」6月号)のコピーが出てきた。(実物は10年ほどまえ資料館に寄贈)「戦死者遺族の感激」という見出しで、昭和天皇、香淳皇后両陛下が上海事変で戦死された700柱の英霊参詣に参殿する写真と荒木貞夫陸相が九段坂に膝まづく遺族に敬礼する写真である。

戦前から戦後にかけて天皇陛下が靖国神社に親拝されることは珍しくなかったが、昭和50年11月の昭和天皇を最後に途絶えている。「A級戦犯」合祀が理由とされているが、今上天皇も平成時代、これまで勅使は派遣されているが、ご自身では参詣されいない。明治天皇が創設された招魂社以来、皇室とは深い関係がある。今年も4月21日から3日間、春の例大祭が催される。ご譲位でご多忙とは思われるが、皇室との深い関係を引き継いで頂きたい。