「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

「バカヤロ」と言われたら「スミマセン」外国人実習生の日本語教材

2019-04-08 05:30:10 | 2012・1・1

gaikokujinn 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

外国人

 

 

 

 外国人就労者の受け入れ拡大に伴い、送り出し国はどう対応しているのか。実習生送り出しの歴史も古く数も多いインドネシアンについて現地の日本語紙「ジャカルタ新聞」が連載記事”実習生 人間改造(上)「バカヤロ」「スミマセン」”(4月7日付)で考えさせられる問題を提起している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


誇りを失ったパタヤで捕まった15人の日本人

2019-04-07 05:21:55 | 2012・1・1

タイ中部の観光地パタヤの警察に不法就労で逮捕された15人の日本人が赤い”囚人服”を着せられて土間に座らされているのをテレビの画面で見て、ここまで日本人は誇りを失ったのかがっくりきた。15人はどんな仲間かわからないが、パタヤの海岸の一軒家を借り、ここを拠点に日本向けに振り込め詐欺をしていた容疑である。

タイの隣国のカンボジャでは先月、アンコールワットに観光に来た日本人の若者二人がカネに困り、乗っていたタクシーの運転手を殺し強盗殺人容疑で逮捕された。観光地で日本人が犯罪に巻き込まれることはあるが、逆なケースはあまりない。その昔、ハイジャック事件などはあったが、こんな破廉恥な犯罪はなかった。

タイでは昨年、徳川時代、山田長政が活躍したアユタヤの町でも分譲マンション売買にからむ45億円の詐欺事件が起きている。長政は御朱印戦貿易でアユタヤに渡ったが、国王の傭兵として活躍している。鎖国が解けた明治以降も日本人が東南アジアの各地に足跡を残しているが、それを調べると、先人たちは皆、日本が欧米にならぶ一等国を目指していた。ジャワ(インドネシア)に渡航した人たちの記録をみると、服装まで配慮していた。

今はLCC(格安航空機)時代である。国内並みの安い料金で、しかもネットで簡単な手続きで海外旅行ができる。外国という気の緩みから犯罪に巻き込まれれる危険がある。しかし、先人たちにならって”一等国"の誇りは忘れないでほしい。

 


59年前の読売ジャイアンツ 高橋投手の記録から想う

2019-04-06 06:12:45 | 2012・1・1

昨日(4月5日)の産経新聞スポーツ面に”ドラ1G高橋初登板初勝利”といった大きな活字が躍っていた。読売巨人軍のドラフト1位のルーキ―高橋優貴投手が阪神タイガース戦登板、6対1で勝利投手となった。これは巨人軍の大学出の新人としては1960年(昭和35年)以来、59年ぶりの記録だという。プロ野球ファンを自負している僕も知らなかった記録だ。

"巨人大鵬たまご焼き”ではないが、僕ら昭和1ケタ世代は何故かこれに当てはまる。ワン. パターンで無趣味無道楽の人間が多い。振り返ると半世紀前の若かりし頃もそうだった。せいぜい、モノクロ.テレビの前でビールを飲みながら、巨人戦の試合に夢中になるくらいであった。だから、59年前の巨人軍のことも朧気ながら覚えている。

59年前大学出の新人として勝利したのは青木宥明投手であった。このシーズン、巨人軍は水原茂監督の下で、優勝は逃しているが二位だった(1位は横浜大洋)。主要メンバーは投手、別所、堀之内、藤田といったそうそうたる顔ぶれ、野手も長嶋、広岡、与那嶺などの打陣に王も入団2年目で強力打線の控えにいた。青木投手は、記録を調べると、この中に会って5連勝を含め6勝もあげている。それなのに僕の記憶にないのは、やはり長嶋、王のON打線がいかに偉大だったかだ。

加齢のせいだろう、昔のように野球のテレビ観戦に夢中になれなくなったが、まだ、なにか新しい記録にはワクワクする。高橋投手の次なる記録を期待したい。

 

 

 

 


88歳老人三人 自由が丘カフェでの食事会

2019-04-05 05:15:24 | 2012・1・1

76年前の昭和18年4月4日、桜満開の中、同じ中学(旧制)の門をくぐった、竹馬の友二人と昨日、同じ桜満開の自由が丘(東京)のカフェ.レストランで昼食を共にした。三人ともすでに88歳の米寿を祝い、誕生日が来れば90歳卒寿である。三人のうち二人は杖の御世話になっているが、元気である。半年ぶりの集まりだったが、お互いの長寿を祝し乾杯した。

三人の合計年齢は264歳、過去の話を語るには事かかないが、やはり話の中心は最近の身辺のことだ。物忘れが日ごとに激しくなってきたこと。耳の聞こえが悪くなってきたこと(三人とも補聴器はつけていない)足腰が弱り、転倒防止に注意していること、漢字がすぐに書けなくなってきたことなどなど。しかし、日常身辺の話が一段落すると、話はやはり戦争期と戦後すぐのあの時代のことだ。

僕らの学年は20年1月、2年の3学期から学徒動員され、軍需工場で働いている。しかも、僕を除く二人は5月の空襲で家を焼失していて、中でもK君はお父さんがサイパンに出征中であった。戦後の23年3月、中学を卒業(一人は24年新制高校)しているが。物のない食料難の時代あったが、救いは戦後復活した中等野球(高校野球)で、K君が母校のエースとして活躍した話だ。いつも会うと同じ話になるが、僕らの中学時代の唯一の楽しかった想い出なのだ。

僕ら三人の長寿の秘訣は何なのか。僕なりに考えてみたら、幸い僕らの健康に留意してくれる伴侶が健在なこと。パソコンでお互いに近況を知り合うことができることではないだろうか。改めて伴侶に感謝。


花冷えの桜

2019-04-04 18:28:50 | 2012・1・1

このところ、東京地方は花冷えが続き、満開の桜がいつまでも楽しめている。開花宣言が3月21日だったから、半月もお花見しているわけだ。記録を調べてわけではないが、80余り年生きている僕でも初めての経験である。写真はわが家近くの吞川緑道(暗渠)の桜。(4月1日撮影)


南スラウェシの慰安婦 売淫施設は性奴隷の場ではない

2019-04-04 06:35:05 | 2012・1・1

戦時中のインドネシアの軍政を研究している僕のところに大阪大学のM教授と桃山学院大学のS講師が南セレベス(スラウェシ)の慰安婦について現地調査して、その結果を報告しているがどうなのかと知人から問い合わせがあった。早速、報告書を読ませて貰ったが、お二人が”性奴隷”があったとあげている日本側の資料(1)「南セレベス売淫施設」と、これに基づき戦後の和蘭戦争法廷に提出された(2)「調査報告書」であり、どうもお二人は戦争中のセレベス軍政について疎いようである。

(1)の文書は、戦時中セレベス全島の軍政を担当していた海軍民生部の担当官が、昭和19年、豪北(オーストラリア北部)の戦線からセレベス島に司令部を移してきた陸軍の第二軍の要請にこたえ売淫施設を提示したに過ぎない。若い世代には理解しにくいが、わが国は残念ながら売春は戦後の昭和34年まで公認されていた。当時の軍は戦地においても慰安所を何のためらいもなく設置していた。これは、あくまで売淫施設であって、韓国が主張している性奴隷制度ではないのだ。

お二人の報告書を見て、僕は平成8年、当時名古屋大学の教授だった倉沢愛子教授らがジャワ島のスカブミを中心に、兵補協会の一部と組んでテレビで元慰安婦を募集して大騒ぎになったことを思い起こした、あの時の騒ぎの構図と今回も同じなのだ。変わったのは時代が移り、訴えているのが兵補本人ではなく、その二世になったぐらいだ。

インドネシア政府は同じ平成8年、当時のアジア女性基金からの申し出にこたえ、社会文化大臣名でインドネシアにおける慰安婦問題について見解を発表、戦時中、インドネシアに慰安婦があったかどうかわからないとして、事実上、この問題に幕引きをしている。今回、性奴隷の舞台になっている町は第二軍の集積所があった地で、ここに駐屯していた兵士の記録も残っている。住民との間で何もトラブルはない。当時の日本軍の軍規は厳しく性奴隷的な行為は、この町にかぎらず、ありえない。

 

 


「旗日」だった4月3日神武天皇祭

2019-04-03 06:08:08 | 2012・1・1

戦前昭和の時代(正式には22年まで)初代天皇、神武天皇が崩御された4月3日の神武天皇祭は国の「旗日」であった。戦争中、東京の国民学校の生徒であった僕の脳裏には、今なお、桜満開の中、日の丸の国旗が門(かど)ごとに春風にはためいている風景が浮かぶ。御陵のある奈良県橿原では今も厳かに式典が行われてるが、あまり、一般国民の間では昔ほど神武天皇祭」の名前はは知られなくなった。

新元号「令和」が決まり、今上陛下の譲位、新天皇の即位の儀式も迫り、国民の間で伝統的な皇室の祭祀への関心が深まってきた。即位後初めての新嘗祭(にいなめさい)を大嘗祭(だいじょうさい)といい、即位の重要な儀式であることを僕は初めて知ったが、戦前の国の祝祭日は宮中の儀式に関連していた。1月1日の元始祭(元旦)から始まって春秋の皇霊祭(お彼岸)、10月17日の五穀豊穣に感謝する神嘗祭(かんなめさい)、11月23日の新穀を食する新嘗祭など。

宮中儀式にそって一般家庭が特別なことしたわけではないが、子供心に普段聞きなれない”嘗める”という言葉から皇室の儀式に変な親しみを持ったものだが、戦後、新憲法の下で、天皇陛下が国の象徴になって以来、こういった伝統的な皇室儀式が国民から遠ざかってきた感じがする。元号もそうだが、世界で今や一つのものだ。皇紀2679年の皇室の祭祀行事をもっと、大切にしてもよいのでは。

 


今風で響きがよい新元号「令和」

2019-04-02 05:36:02 | 2012・1・1

昨日一日、日本列島は平成につぐ新元号の話題で沸いた。わが家も老夫婦そろってテレビの前で、安倍総理の事前の言葉などから色々忖度したりしたが、結局当たらず「令和」に決まった。菅官房長官の発表では.出典は万葉集の梅の春三十二首をよんだ序文”初春の令月には気淑(きよく)風和(やわ)らぐ”からだという。

「令和」の漢字「令」をみて、正直いって僕は“命令”、”省令”の「令」を思い起こし違和感を感じた。事実、手元の辞書を調べると、「令」の第一の義は、きまり、おきて、いいつけであり、令嬢、令夫人など敬う意味は第二義である。しかし、耳から入る”reiwa"は不思議と響きがよい。若い人向けなのかもしれない。

元号が最初に採用された「大化」から1300年の歴史、過去247のうち、出典が手日本の国書は今回の万葉集が初めてだという。意外な感じだが、安倍総理も言っているように時代の変化であろう。総理の記者会見で、これを”国際政治”に無理に関係させようとするような質問が出ていたが、馬鹿げている。

世界の国々の中で、その国独自の元号を持っているのは、今やわが国だけである。”人々が美しい心を持ち、心を寄せ合い、来るべき「令和」の御代にしよう”(安倍総理談話)(写真は今年3月、わが家に咲いた初春の梅)

 


AM放送廃止と真空管ラジオへの郷愁

2019-04-01 06:03:16 | 2012・1・1

ラジオのAM放送を廃止して2028年までにFM放送に移行したい旨の要望書が民放連(民間放送連盟)から総務省に提出された。有識者会議で検討されるようだが、受理され実現すれば、戦前、戦中、戦後の一時期まで、真空管ラジオでAM放送だけを親しんできた僕ら昭和1ケタ世代にとっては、郷愁を感じ寂しい。

昭和28年(1953年)テレビ放送が開始されるまで、ラジオ(AM放送)は国民の貴重な情報源であり娯楽源であった。”前畑カテカテ”のベルリン五輪(11年)の水泳放送の実況や、戦中の「大本営」発表、敗戦時の天皇陛下の「玉音放送」。そしてまた戦後の焼け跡で聞いた「話の泉」「二十の扉」「鐘の鳴る丘」「赤胴鈴之助」などなどすべてAM放送であった。真空管ラジオ貴重品であった。たいがいの家は茶の間の箪笥の上に置いてあった。大相撲の実況放送時になると、外で遊んでいた僕らは一斉に帰宅して茶の間のラジオの前に座った。

昭和40年代だった頃だっただろか、民間放送を中心に受験生を対象にした深夜放送ブームがあった。しかし、そのあと、カラーテレビが出現。テレビのUHF化が進んで民放業界は、スポンサーが離れ経営的に苦しくなってきた。今回のFM化への動きの原因もこれから来ている。今、僕ら高齢者の間ではNHKの深夜放送「深夜便」が人気だ。これも10年先にはFM放送に移行するのだが、この世にいるかどうかだ。