ひまわり先生のちいさな玉手箱

著書「ひまわり先生の幸せの貯金箱〜子どもたち生まれてきてくれてありがとう」

馬鹿は死ななくても治り、救いの道はある

2014年11月27日 | カウンセリング
《馬鹿は死ななくても治り、救いの道はある》


「馬鹿は死なねば治らないのであり、救いの道はないのである。」

と書いたのは
「大衆の反逆」(1930年)の著者スペインの思想家ホセ・オルテガである。

私の中にもばかな面があり、それは、永遠に治らない
というか、死ぬまで治らないと思っていた、
カウンセリングに出会うまでは。

ところが、今では、生まれつきの馬鹿はいないと思うようになった。

ここでいう馬鹿とは、IQや記憶力の問題ではなく、
自分の問題に気づいたり、問題解決を考えることが苦手だという意味合いだと思います。

生まれた後の育った環境の中で学んだこと、
取り入れたこと、
感じたこと、
考えたこと、
思い込んだことが
脳の奥にしまい込まれていて、
人を愚か者に見せるのです。

インナーメッセージとも言える決断理論では、
このインナーメッセージは、
主に幼少期に殆ど無意識に
自分について、
他者について、
人生について、
決めて取り入れることだと考えられています。

これは自分で決めて取り入れたものですから、
いくつからでも変えることができます。

ただし、本人が変わろうと思った時にだけ。

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「大衆の反逆」ホセ・オルテガ著 白水社より抜粋


従って我々は、ここで、愚者と賢者の間に永遠のに存在している相違そのものに突き当たる。

賢者は、自分がもう少しで愚者に成り下がろうとしている危険をたえず感じている。

そのため彼は、身近に迫っている愚劣さんから逃れようと努力するのであり、その努力のうちにこそ英知があるのだ。

ところが愚者は自分を疑うことをしない。

彼は自分が極めて分別に富む人間だと考えている。

愚鈍な人間が自分自身の愚かさの中に腰をおろして安住する時の、
あの羨むべき平静さはそこから生まれている。

われわれがどうやっても、住み着いている穴から外へ出すことのできない昆虫のように、

愚者にその愚かさの殻を脱がせ、
しばしの間、盲目の世界の外を散歩させ、
力ずくで日頃の愚鈍な物の見方より鋭敏なものの見方と比較するように強制する方法は無いのだ。

馬鹿は死なねば治らないのであり、救いの道はないのである。

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コメント
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