ひまわり先生のちいさな玉手箱

著書「ひまわり先生の幸せの貯金箱〜子どもたち生まれてきてくれてありがとう」

【感受性の豊かな人が、頑丈な人より、生き延びることができた】

2016年11月22日 | こころ
今日は、長崎です。
博多駅の陥没箇所は、あっという間に修復されました。
ご心配おかけしました。


【感受性の豊かな人が、頑丈な人より、生き延びることができた】

感受性が高いと傷ついたり、怖がったり、怒ったりと心が忙しい

だから、少し鈍くなりたいと思うことがありますが、フランクルのこの文章を読んで
感受性が豊かなのもまんざらでもないのかと
思い直しました。

***

そこで私が発見したのは、感受性の豊かな人のほうが
体の頑丈な人よりも
収容所での過酷な生活に耐えうることが多かったという
逆説(パラドックス)であった。

『夜と霧』フランクル著より引用

フランクル
1905年にウィーンに生まれる。ウィーン大学在学中よりアドラー、フロイトに師事し、精神医学を学ぶ。

ウィーン大学医学部精神科教授、ウィーン市立病院神経科部長を兼任する。「第三ウィーン学派」として、また独自の「実存分析」を唱え、ドイツ語圏では元々知られていた。フランクルの理論にはマックス・シェーラーの影響が濃く、マルティン・ハイデッガーの体系を汲む。精神科医として有名であるが、脳外科医としての腕前も一級であった。

1933年から、ウィーンの精神病院で女性の自殺患者部門の責任者を務めていたが、ナチスによる1938年のドイツのオーストリア併合で、ユダヤ人がドイツ人を治療することが禁じられ、任を解かれた。1941年12月に結婚したが、その9ヶ月後に家族と共に強制収容所のテレージエンシュタットに収容され、父はここで死亡し、母と妻は別の収容所に移されて死亡した。フランクルは1944年10月にアウシュビッツに送られたが、3日後にテュルクハイムに移送され、1945年4月にアメリカ軍により解放された。その後1946年にウィーンの神経科病院に呼ばれ、1971年まで勤務した。1947年に再婚している。

強制収容所での体験をもとに著した『夜と霧』は、日本語を含め17カ国語に翻訳され、60年以上にわたって読み継がれている。発行部数は、(20世紀内の)英語版だけでも累計900万部に及び、1991年のアメリカ国会図書館の調査で「私の人生に最も影響を与えた本」のベストテンに入ったという[1]。他に読売新聞による2000年の「読者の選ぶ21世紀に伝えるあの一冊」のアンケート調査で、翻訳ドキュメント部門第3位となったとされる。
Wikiより引用
コメント (3)
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