ひまわり先生のちいさな玉手箱

著書「ひまわり先生の幸せの貯金箱〜子どもたち生まれてきてくれてありがとう」

いじめ自殺を繰り返さないために

2016年11月30日 | こころの子育て
熊本県長洲町の児童館だより2016年12月号を
送っていただきました。

ありがとうございます。

「こどもたち生まれてきてくれてありがとう」の詩を
拙著「ひまわり先生の幸せの貯金箱」から抜粋して載せていただきました。

この詩は、千葉市の「子どもと笑顔で過ごすための子育て講座」でも採用していただいています。

さて、
また、青森県でいじめで自殺した子どもさんの実名が公表されました。

どうして、こう青森県でいじめで自殺が相次いでいるのか
親から学校に相談された際に「いじめ」という言葉がなかったからという理由で
対応が遅れたというのは、

相談を受けた側にも当事者意識が足りないのではないかと思います。

ご相談されたお母さん、お父さんの当事者意識とは、相当かけ離れているように思います。

せっかく、生まれ、育んだ命。

生きていれば、前に進むことが出来る。

親が学校に相談した時に「いじめ」ということばが使われているかどうかではなく
学級で、嫌な思いやつらいと訴えて相談されて来られたのなら
対処してもらいたいです。

以下
昨日29日の報道から転記します。

***
いじめ自殺 届かなかったSOS、「繰り返さぬため」 亡き娘の実名公表
TBS系(JNN) 11/29(火) 18:06配信

 いじめにあった子どもたちが学校へSOSを発したのに、それが生かされなかったケースが相次いでいます。

青森で、おととし自殺した17歳の少女。両親は、自分たちのような悲しみを繰り返してほしくないと、実名での公表に踏み切りました。

 娘がいなくなって2年以上が経ちました。今でも娘を思い出さない日はありません。カレンダーはあの日のまま。

 「台所にいたりすると、『お母さん、きょう何?」って、部屋から出てくる音とか、娘の声とか・・・。本当に会いたくてたまりませんね。毎日毎日、会いたい会いたいって思っているんですけど」(大森七海さんの母親)

 大森七海さんは、おととし7月、青森の海に身を投げ、自ら命を絶ちました。17歳という若さでした。七海さんの父親は、娘に近づけると思い、何度も海を訪れています。

 「助けてあげられなかったのが悔いてならない」(大森七海さんの父親)

 七海さんは、同級生から無料通信アプリ「LINE」などで、いじめを受けていました。七海さんが残したノートには、「LINE」で自分に向けて投げかけられた言葉がつづられていました。

 「存在自体がうざい」「ひがい者ぶんないで」

 異変に気づいた母親は、七海さんが自殺する半年以上前から養護教諭と担任に複数回にわたって嫌がらせをされていると訴えました。しかし、七海さんが自殺した後、学校側は面談の中で、「いじめ」という言葉がなかったことから、「いじめは認識できなかった」と両親に説明しています。

 「そんなわけないでしょ、あんなに言ってたのに。家族が訴えているのに、いじめととらずに。でも本当にそうなのかなって。本当は分かっているんじゃないか」(大森七海さんの母親)

 今年、同じ青森県では、いじめが疑われる子どもの自殺が相次ぎました。

8月、東北町の中学1年の男子生徒が、いじめを示唆するメモを残し、自宅で自殺しました。

また、そのおよそ1週間後には、青森市の中学2年生・葛西りまさんが、いじめを受けていたことを記した遺書を残し、自ら命を絶ちました。

 七海さんのケースと同様に葛西さんも、事前にりまさんが受けていた、いじめについて、母親が学校の担任に何度も相談をしていたといいます。

 「(去年)9月ごろからは何かされる度、担任に伝えていました。1回や2回ではありません。それこそ何十回もです。当時の担任はこちらが『いじめ』という言葉を使わなかったため、相談内容をいじめと認識しなかったと言います」(葛西りまさんの父親)

 学校に届いていた子どもたちのSOS。

なぜ救うことができなかったのでしょうか。

当時、両親は、娘の名前と写真は伏せて取材に応じていました。

 「14歳かな」

 亡くなって2年以上が経ち、両親は七海さんの名前と写真の公表に踏み切りました。

いじめによって、辛い思いをする子どもたち、家族が、これ以上出ないでほしいという思いからです。

 「やはり繰り返されるんだな。自分たちの教訓が生かされていない。現場にいる教員たちに、それが行き届いていないということなんでしょうね」(大森七海さんの父親)

 「(学校は)何件起きれば危機感をもつのかなって。誰にでもあり得るというか、それは親だったり、子どももそうですけど、先生だったり、いろんな人に気付いてほしい」(大森七海さんの母親)




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ほどよい母親(good enough mother)

2016年11月30日 | こころの子育て
アメリカのYさん、フランスのTさんに続いて
コメントありがとうございます(^-^)/

遠くてもこうやって繋がっているのかと思うと、Blog更新のエネルギーになります。

忙しいと思うけど たまには コメントくださいね。

スペシャル ニーズって、日本人の私には 新しい心地いい響き!

手のかかる子どもでなく、スペシャルニーズの子ども…

親がスペシャルに 選ばれた感じ。

人は、誰もでも ニーズ(欲求)を持って生まれ
一生ニーズ(欲求)を持ち続けます。

ご飯食べたい、寝たい、甘えたい、そして 愛されたいと。

子ども時代に どの程度、どの様に
それらの欲求が 満たされたかが
その人の人格形成に大きく影響します。

イギリスの小児科医、ウィニコットが提唱した
「ほどよい母親(good enough mother)」が大切。


ほどほどが大事だということ。

抱っこを求めてきたら、応じる。

笑顔で近づいてきたら、必ず笑顔で返す。歓迎する。

辛い時は安らぎを与える。

怖がったら、守る。

助けてと求めたら、助ける、励ます。

でも、自分でやれる時、やりたい時は、無駄な介入はしないで、あたたかく見守る。

失敗させてあげる。


子育ては、独身の頃に何とかごまかしてきた
親自身の子どもの頃の満たされなかった欲求と
その時に感じた不快感情を感じてしまうので、
自分に向き合わざるを得なくなる時期。

だから、親も成長する。

逆に、自分の問題を見ないようにして子どものせいにしてしまえば
親に成長はないし、子どもは苦しむ。

完璧な親はいないんだから
まあ、気合を入れ過ぎずに
ぼちぼち 楽しんでね。

以下、Wikiより
***
ほどよい母親(good enough mother)とは、

適度の心身の世話によって、
快適な環境と、対象としての恒常性を与える母親およびその機能を指す。

これは普通の良い母親のことであり、
ほどよい母親になれない例として、

強迫的に自己に没頭して幼児に関心を向けられない母親、

また幼児に過度に没頭しすぎて同一化し、そのあと急に撤退する母親などが挙げられる。

絶対依存の段階で母親が乳児の欲求を満たすことで、乳児は万能感をもつ。

そこから母親が幼児へ少しずつ不適応を重ねていくことは、幼児に環境を提示することとなり、そうして幼児は万能感を脱却し、現実を認識できるようになっていく。

明らかに完璧とはいえないお母さんの子が、まずまず正常に育っていくことができるのは、
そこには十分な「ほどほどによい子育て」があるからである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする