ひまわり先生のちいさな玉手箱

著書「ひまわり先生の幸せの貯金箱〜子どもたち生まれてきてくれてありがとう」

ダメじゃない

2018年07月31日 | カウンセリング
カウンセリングの先生のワークショップで、カウンセリングを受けました。

勝手にシェアします。

私は、良く、まだまだ、もっともっとと思ってしまう、
不全感についてカウンセリングを受けました。

講演をやっても、やっても、
勉強をやっても、やっても「私はダメ」だと思ってしまいます。

これは、いかん!

ある程度できれば、今の自分で、まあまあでいいと思えたら、楽なのに。

と、いうわけで、カウンセリングの契約は、まあまあでいいと思えるようになる。

たとえば今度の試験は、6割で合格だと聞いているからです。

まだまだと思った最近場面は、数日前の講演のあと。
昨日、試験勉強した時。

その時に感じる落ち込んだ感じ、私はダメだと思う感じは、小さい頃から。

ふっと浮かんだのは、5~6歳の頃、私の手を叩いて否定したピアノの先生。

怖い、固まる、頭が真っ白。

左肩が上がる。力が、無意識のうちに入ってしまう。

そういえば、ピアノの先生は、いつも左側に居た。

ピアノのレッスンの時、時々、力が入ってると、私の手を叩く。

怒りが苦手な私は、涙が出る。

けど、もう私は知っている。

この涙が、にせものの怒りの代理感情であることを。

「その教え方、おかしい」と私。

カウンセリングの先生は、言い方を変えてと私に。

「そんな教え方、イヤ」と。

なるほど、私は「イヤ」という感情を抑えてきた。

自分がなくなりかけてた。

「イヤ」を感じていい。

6年間、週に一度、何百回も否定されてきた。

イヤでいいと思ったら、身体が熱くなる。

まるで、温泉に浸かった後の様に。 イヤは、案外、心地いい!

「私はダメじゃない」

小さい頃の両親もイヤを抑えていたから、私もイヤと言えなかったんだと思いました。

勉強しなさいと言われれば、自分の部屋で勉強しているふりをして受け身の攻撃、受動攻撃をしていました。

だから、イヤを抑えている両親の空き椅子にも「イヤ」を感じた。
勉強させられるの、イヤ!

イヤでいい。

そう思ったら結構、自分の家の事じゃなく自分のしたいことやってるなと気がつきました。

自分の道が、目の前に開けている、

透明なチューブの様なしっかりとした私の道が見えました。
コメント (1)
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