写真は、博多駅周辺のクリスマス。
精神分析医ヴィクトール・E・フランクルは、ユダヤ人強制収容所で
辛い辛い思いをしながらも
あの環境の中で、生き残る人たちを観察しました。
『人間とは何か――実存的精神療法』(ヴィクトール・E・フランクル著、山田邦男監訳、岡本哲雄・雨宮徹・今井伸和訳、春秋社)より抜粋
フランクルの著作の中で、死についてこう書いています。
「時間における人間の有限性、
人生の時間的な有限性、
すなわち死という事実は、
人生を無意味にしうるかどうか、
という問いに答えることにしよう。
われわれは、どれほどしばしば次のように責め立てられることであろうか――
死は人生全体の意味を疑わしいものにするのではないか、
死はすべてを最終的に無にしてしまうのだから、
すべては結局、無意味なのではないか、と。
しかし、死は本当に人生の有意味性を破壊することができるのだろうか。
その反対なのである」
また、フランクルは、生き方についてこう書いています。
「――あたかも、あなたが今なそうとしかけているように一度目の人生は過ちばかり犯してきたが、
いまや新たに二度目の人生を生きているかのように生きよ。
この想像的観念に専心することができたときには、
人間は同時に、自分の人生のあらゆる瞬間に担っている責任の重大さを意識するであろう。
この責任は、そのつどの次の瞬間から生ずべきものに対する責任であり、
いかに次の日を形成するかということに対する責任なのである」
フランクルは、私たちは、死の訪れを覚悟した上で、
苦しくても、最後の日まで生きなさいと言っています。
そうして生きた自分人生が、
自分自身の生きる意味を教えてくれる。