自転車ひとり旅★

自転車大好きなTVディレクター日記。

続・河内賞。

2025年01月13日 21時58分06秒 | おしごと日記
以前 会社の大先輩・河内さんから
メールをもらったことを書いた


五郎さんの高知旅を とても褒めてくれて
「また放送があればお知らせください」と言ってくれた



河内さんは 私が入社した頃すでに60代なかばの大先輩で
どんな大物出演者とも対等に渡り合い
どんな緊迫した現場でもニコニコと余裕で
この世は全て日常の延長であるのだと思わせてくれた
まさに神ディレクターである





その河内さんから キルギス旅への感想が届いた



林さま
 楽しい番組のお知らせありがとう! とても心地良く拝見いたしました。
 キルギスの風景にも心惹かれましたが、出会った人々の表情が(なかなかお眼にかかれなくなった)独特のやさしさがあって、心に残ります。
お医者さんになるといった少女の遠くを見つめる表情、遊牧の仕事は自分一代とずっしりと受け止めている母親のことば。
また、ナンを焼いている男性にはなぜか特に近親感が湧いてきました(お饅頭やさんの店先で紅葉形の焼き印を押している親父さんのような…)。
 出会った人々の切り取り方に林さんのやさしい眼を感じました。その眼と、自転車ならではのリズムとスピード感が、この番組が伝えてくれた「素敵なメッセージ」でした。

*ひとつだけ、諸般の事情あってのうえでしょうが、背景音楽をもう少し倹約出来るとよかったなあ、と。
 もちろん、この取材がものすごく大変だったに違いないのを充分くみ取って上のことですが、どこかで「自然の大気・サウンド」を(息づかいの迫力と同じように)挿入出来たらなあ!と、いまだに実用自転車で街を走り回っている「老・チャリダー」からの余計なひとことでした。
 これからも、林さんの眼と(耳)で切り取った世界を見せてください!! 楽しみに待ってます。


※河内さんの許可を得て掲載しています





河内さんからのメッセージを読んで
とにかくワクワクがとまらなかった
こんなに前向きなダメ出しをしてもらったのが
久しぶりだったからだ



「つまらなかった」というような意見をもらうことはある
でも 面白くするにはどうしたら良いかは 教えてくれない人がほとんどだ


なぜなら 文句を言うことは
世の中でいちばん楽な行為だからだ


そして「どうしたら良くなるか」を言えるようになるには
血の滲むような努力が必要になるからだ








文句を言うことには 何の努力もいらない

楽してものを言う人に「じゃあどうすれば良いのか教えてほしい」と聞くと
「それはお前が考えることだ」と
これまた何の努力もいらない言葉が返ってくる(笑)


だから 河内さんのように「どうしたらもっと良くなるか」を言ってくれる人は
とても少なく貴重だ
その言葉のベースには 凄まじい努力と経験が敷き詰められている


そんな人から言葉をもらえるなんて
ワクワクが止まらない






カメラマン兼ディレクターとして行くと
どうしても音声は手薄になる
カメラに高性能なマイクを取り付けたら
あとはオートで録音するしかできない
カメラを回しながら 出演者の会話を理解し
番組構成を考え 次の質問を考え
画角とピントを操作する
その上 音声レベルまで操作することは私にはできない






現場で音声がきちんと録れていないと
編集で音楽に頼ることになる
旅情をかき立てる現場音が録れていたら
音楽は流さないと思う


音声さんを連れて行けば良いだけの話だが
スタッフが1人増えると 車両を大きくする必要がある
となると 場合によっては車両が2台体制となり
一気に動きが重くなる





どうしようもないのだが
これがクリアできたら
番組のレベルが1段上がるかもしれないと思うと
ワクワクする



河内さん ありがとうございます
今年の目標となる大きなプレゼントをいただきました




しかしやっぱり難しい
どうしたら良いかは これから考えるとしよう(笑)






悪い癖。

2025年01月06日 22時47分10秒 | 自転車
トレーニングの途中で 火事に遭遇した



黒煙は遠くからもよく見えた
垂直に登ったあと 天井にぶつかったように水平に流れ
青い空に混ざり合っていく






燃えていたのは 小さな家だった


築70年は経っているような古い木造の二階建てが
柱だけを残した無惨な姿になって
ところどころに炎が残っていた



何かを見ると 分析をしたくなるのが
私の悪い癖である
走りながらしばらく 火事に遭った家のことを考えていた








田んぼに囲まれた小さな集落で起こった
小さく古い家の火事



野次馬たち(大勢いた)の話し声を聞きかじった情報によると
住んでいたのは母子2人らしい
母は70代 娘は50代で
娘との連絡が取れず
消防団員2人が
「もうお亡くなりになっていると思うんすよ」と話していた


たまたま耳に入ってきた情報しかないが
分析を始めるには十分である




・この農村であの広さと古さの建物で暮らしているのは
 かなり貧しかったことが予想される
・敷地内に農機具がある気配がなかったため
 2人は農家ではなかった可能性がある
・母子2人とも まだ働ける年齢であるのに貧しい暮らしをしていたとすると
 どちらかに知的障害や身体障害のあった可能性がある
・連絡が取れない娘が火事から逃げられなかったことから
 何らかの障害を抱えていたのは娘だった可能性がある
・母親の姿は 現場では(私が通りすがった範囲では)見かけなかった
 救急車で運ばれたか もしくは出かけていて戻ってきていないのか
・現場に近づく間に聞こえたのは消防車のサイレンだけで
 救急車の音は聞こえず 現場近くで待機する救急車が1台いたのみ
 母親は出かけており まだ戻ってきていない可能性もある



家の塀はトタンでできており
どこが入り口なのか分からないほど隙間なく囲っていた
まるで他人を寄せ付けたくないと言っているように



ここまで考えて 私は想像した
知的障害を抱える娘と 生活保護で生計を立てている母が
近所との付き合いもほとんどなく 2人でひっそりと暮らしている
母親が正月明けの買い物に出かけたとき
娘がストーブの火を何かに移してしまった
娘は慌てる
「お母さんに怒られる」
知的障害のある娘にとって 母親は世界そのものだったに違いない
「お母さんが戻る前に 火を消さなきゃいけない」
だが火はみるみる広がり
娘は煙を吸い込み気を失った


・・・・・・・・・・・・


すみません
完全なる想像でしかありませんが
あの火事を見て 私はそんなことを考えていました





再び遠く離れた黒い煙を眺めて
あの煙は娘さんを空に運んでいたのだなあと
胸が痛かった



母親の心痛はいかばかりか…と思ったが
ここは一番分からないところだった
母親は介護に疲れていて 娘が亡くなったことにホッとしている…
という可能性もゼロではない
他人の家族関係ほど難しいものはない






物や状況を見て人物を想像することは
私の職業病のようなものだ
例えば その人の着ている服や持ち物から
どんな暮らしをして どんな趣味を持っているのか
何を目標に生きているのか
何を褒めたら喜んでくれるのかを考えておくと
インタビューが深く切り込める


だからつい 普段からこうしてあれこれ想像してしまう
まったく悪い癖である

やりたいこと。

2025年01月03日 22時54分31秒 | おしごと日記
今年やりたいことがいくつかある


やってみたい番組企画もあるが
個人的にはプライベート旅を撮影してみたい


去年のフィリピン旅のようなやつを撮影して
短いVTRにしたらどうなるか 実験してみたいのだ



私は人前に出るのが苦手なので
これまで頑なに出演を拒んできたのだが
先日 とてもえらい人に「君はやったほうがいい」と言われた


うーむ…
それならちょっと試してみるか ということで
次のプライベート旅の計画を始めた






行きたい場所は2つ
中国・雲南省のシャングリラと
同じく中国東北部の鞍山だ





シャングリラは標高3000mを超えるエリアにあるので
真夏に行きたいところだが
時間が作れる3月では寒さが厳しいので断念






鞍山は 中国・遼寧省にある大都市で
かつて満州国と呼ばれた時代に 私の祖父が暮らしていた場所だ






鞍山に今もある 巨大な製鉄所


当時は昭和製鉄所と言ったそうで
祖父はここで働いていた
どれぐらいの地位だったかは 聞かなかったが
戦後 戦艦ミズーリに呼ばれて尋問を受けたというので
平社員ではなかったと思う



当時の日本は 乏しい資源を得るために
他国から奪い取ることを考えたようで
昭和製鉄所は国を挙げた大プロジェクトだったようだ
そこに 製鉄の技術者だった祖父は雇われたか何かで
家族で鞍山に移り住んだ



私が祖父から聞いたことは たった1つのエピソード
日本が戦争に敗れ 製鉄所をソ連に明け渡すことになった時
多くの日本人が 製鉄所を破壊しようと主張した
敵に財産を譲り渡すことを よしとしなかったのだ
だが 祖父は製鉄所を無傷で明け渡すことを主張した
そして製鉄所は無傷でソ連の手に渡り
今は中国の企業として操業を続けているという




どうして工場をそのまま明け渡そうと言ったのか
高校生だった私は 祖父からその理由を聞かなかった
これは想像でしかないが もしも工場を破壊していたら
鞍山の日本人たちは無事に帰国できなかったのではないかと思う




そんな祖父の思い出の地を 一度見てみたかった
だが ここも3月は寒すぎて断念
しかも中国の観光ビザを取らねば見に行けないので さらに断念




いろいろ難しいもんだ
とりあえず今年は3月に行きやすい場所で
カンタンに撮ってみることになりそうだ…

寝正月。

2025年01月01日 22時04分08秒 | 自転車
年末はロケからの体調不良で
ずっと寝て過ごした



自分はきっと貧乏性なのだろう
ロケに行くと 少しでも番組が良くなるようにと働いてしまう



↑ロケ先 どこかわかった人は素晴らしい地理感覚をお持ちです










撮影後 食事が終わってホテルについて
出演者のバイクとウェアを整備洗濯していたら
あることに気づき ハッとした


部屋のカギをロックインしたことに気付いてしまったのだ(笑)





時間はすでに深夜1時
ホテルのフロントは閉まって 電話も通じない


「マジかよ…」
大量の洗濯物と一緒にホテルのロビーに置き去りになった








「こんなことでブルーになってたまるか!」
私はこの状況を楽しむことにした


まずは誰もいないロビーに洗濯物を広げて干し
床でゆっくりストレッチをした





結局 朝5時になってようやく部屋を開けてもらい
6時半の出発には間に合ったが
次の日はダルかった






まあそんなことしてるから疲れるわけで(笑)
年末はひたすら寝ていた






31日の深夜は 恒例の年越しライドへ
ひたすら地図を見ずに 東京を走り回る





ロケが終わってずっと寝ていたので
実は久しぶりのライド
30kmがものすごく遠く感じた
でも 自転車に乗ったら心の垢がすっ飛んでいった気がした



新年になったとて 自分は何も変わりはしませんが
ぼちぼち頑張っていこうと思います★


※読み返したらあまりに冗長だったので
 2つに分けました(笑)

五郎さんが叫んだ日。

2024年12月14日 21時29分57秒 | 自転車
何にもする気がおきなくて
今週はずっと家で仕事して ほとんど外に出なかったのだが
重い腰を上げて 宇都宮へ行ってきた






オフロードの自転車レース シクロクロスの
全日本選手権を見るためだ








以前 ジロ・デ・イタリアを取材したとき
自転車の世界は「村」のようだと思った
選手もスタッフも 全員が顔見知りで
移動遊園地のように移動し続けている


シクロクロスの世界は もっと小さく濃密な村のようで
お互いに信頼し合っているような暖かい空気感がある
全日本選手権の会場にも その空気感が満ちていて
とても良い空間に感じた





午前11時30分
男子50代
五郎さんが走る





スタートが苦手だといつも言っている五郎さん
最前列スタートでも 第1コーナーでは8番手まで落ちた
だがこれはいつものことだそうで
周りは全く慌てていない





傾斜のある地面とクネクネが続くテクニカルな区間で一気に抜いて
2周目に入った時には先頭2人の争いに持ち込んでいた






今年の夏 股関節の手術を受けるとき
五郎さんが「目標がない」とボヤいていたので
シクロクロスのチャンピオンにならないとできない企画を考え
必死にプレゼンをして通した


最初は「良い目標ができた」と喜んでくれたが
だんだんプレッシャーがキツくなったのだろう
その仕事を辞退したいと言い出した


「自転車に楽しく乗りたい」


真剣にそう語る五郎さんの気持ちが 痛いほど分かったので
全日本で勝たなくても企画が成り立つようにすると約束した






約束したはいいが
どうやって成り立たせるかは思い浮かばなかった(笑)
でも 五郎さんが楽しくレースを走れるなら
それが一番なのだ
たとえ勝ったとしても 心が満たされなければ意味がない
それ以来私は「全日本」「頑張って」という単語を一切言わないようにした



五郎さんが勝つとも勝たないとも思わないようにしていたので
応援は「カッコいいよ!」とだけ言った(笑)









五郎さんは 集中していた
ノーミスで走って3周目から独走体制に入った


そして2位に20秒の差をつけ トップでゴールした






ゴールした五郎さんは ずっと叫んでいた
そしてサポートしてくれた師匠の横井さんのもとへ向かい
絶叫しながら抱きついて 泣いた


探し求めていたお父さんに全力で抱きついた子供のようだった






私にも握手を求めてくれたけど
手を差し伸べずにシャッターを切ってしまった(笑)







五郎さん すごかったです
無理して出かけてきた甲斐がありました







しかしレースの写真というのは 独特なテクニックが必要で
ぜんぜん上手く撮れなかった
次はもうちょっと上手くなりたい



↑40代でエントリーしたシンゴ




↑シンゴ6位
 勝つつもりで来て勝てなかったのを 初めて見た




↑五郎さんの弟子マー君
 追い込みすぎだ(笑)




ブルーな日。

2024年12月10日 22時44分43秒 | 自転車
全てを捨てて逃げ出したくなることがある



張り詰めた仕事の後や
夫婦喧嘩の後など
自分の価値がわからなくなった時に
仕事も金も家族も 全て捨ててどこかへ行きたくなる






こんなにも全てを捨てたくなるのは
自己肯定感の低さが原因である気がする
そしてそれは 幼い頃に褒められた経験によるのだと思う



自分は 人生であまり褒められた記憶がない
学年で1位になっても親も教師も褒めなかったし
同級生たちは「カンニングに違いない」と噂した
もっと自分が認めてもらえて
頑張れば褒めてもらえるような人生だったら
もう少し自分を認めることができたような気もするが
よく分からない



とにかく 年に数度やってくる
「逃げたい病」が発動して
全てを捨ててどこかへ行きたくて
旅の計画を立てた






今すぐ逃げ出したいところだが
小心者なので スケジュールが確保できる来年である(笑)
前回フィリピンに脱出した3月をターゲットにした


行きたい場所ナンバーワンは中国雲南省 シャングリラ周辺なのだが
いつの間にか観光にもビザが必要になったらしく
さらに報道関係者だと分かれば ビザ取得が超絶にめんどくさいという
とにかく今の中国は面倒だといろんな人から聞き断念した


休みは1週間ぐらいだし
直行便で行けるところが飛行機輪行には安心だ などなど
思考がどんどん小さくなっていく
全てを捨てて逃げ出すんじゃなかったのか(笑)









とりあえず仕事からも家からも逃げたくて
サイクリングに出かけた







1年ぶりにパンクした






こんな日に限ってチューブを持っていない
CO2ボンベは1本
マクハルで直す一発勝負だ


15分かけて直したが
どうもわずかに空気が洩れ続けている
急いで帰れば 家まで空気がもつかもしれない






側で見ていた 工事のおっちゃんが
「はい! コーヒーブレイク!」と飴玉をくれた


龍角散じゃなくてよかった(笑)


少し気持ちが救われた








そして無事に家へと帰り
家出作戦は早々に終わりを告げたのだった


若者応援特集。

2024年12月05日 00時33分43秒 | チャリダー★




12月6日(金)と20日(金)の前後編で
若者たちのフランス遠征密着取材が放送です



今年の若者たちも 全員がナイスガイでした
熱くて 優しくて オチャメで
見ればきっと応援したくなると思います
そしたら ぜひ応援してあげてください






今年もツール・ド・ラヴニールを撮らねばと
8日間連続モト撮影の地獄を覚悟していたが
なんとまさかの日本代表不参加となってしまった


資金もスタッフも浅田監督が集めると言っているのに
JCFが不参加を決めた理由は結局よく分からなかった
ロードよりもトラックに注力したいとか
大人同士の人間関係とか
いろんな理由があるのだろうとは思う


だが結局 割りを食うのは若者たちで
ラヴニールを目標に頑張っていた若者たちは
さぞ無念だったろうと思う





どんな人にも
どんな気分の時でも
自転車は平等だ









働き方改革以降
1週間のロケで1日休むように指導されるようになったので
休みにかこつけた撮影をしてきた(笑)


私に休みを与えると
仕事よりも疲れることをするハメになるのだ





トゥールマレー峠を上って
景色や人を撮影した
ここに来るサイクリストたちは
全員 幸せそうだった






世界を目指せる環境を 私たちは若者に用意してあげたい
その一助となれたらと思って作りました
ぜひご覧ください



チャリダー「フランス武者修行に密着!」
前編 12月6日(金)23時30分〜
後編 12月20日(金)23時30分〜
@NHK BS



山奥にて。

2024年11月29日 20時22分21秒 | おしごと日記



山奥にいました







林業のおっちゃんたちが
「まさかここまで自転車で来るたあ思わんかった」
と笑ってくれた


そして
「この先ぁ自転車じゃ無理ぜよ」
と忠告してくれたのだが
そう言われると行きたくなるもので(笑)






だが道は砂利道ですらなくなり






とてもバイクに乗れない状況となり
※勾配20%あります






そして道は山へ消えた




「自転車じゃ行けない」どころか
歩いてすら行けない道だった(笑)








ようやく辿り着いたヤマザキショップは光り輝いて見えた




店内で何を買おうか迷っていると
50代ぐらいだろうか ひとりの女性客が
他のお客に愛想笑いをし
レジの順番を次々と譲っていた


この人は何がしたいのだろうか?
私はその女性の異様さに警戒した



「どうぞお先に! 寒くなってきたわね〜。いいのよどうぞ」



店内をぶらぶらしている割には 手に持つ商品が増えていかない
ただ店内に居座るためだけに レジの順番を譲っているらしかった




私以外の客がすべて店外に出ると
その女性はようやくレジに並んだ
そしてレジの店員に こう耳打ちをした



「ごめんね、これツケちょって。いつもごめんねぇ」



そうか
地元の知り合いに これを聞かれたくなかったのだ
そして 店員(おそらく店長)は最初からこうなることを察していたようだった


「明日払いに来るけんね」


店員は黙ってうなずき
女性は酒のつまみ900円分ほどを手に持って
エンジン音のうるさい軽自動車で帰っていった






あの女性は 本当に明日支払いに来るだろうか?
おそらく明日来なくても この店からは何も言われない気がした




ヤマザキショップは この地域にとって
なくてはならない店なのだった









数時間ぶりに手に入れた補給食は
心に沁みた











キルギスの旅を終えて。

2024年11月23日 20時28分01秒 | チャリダー★



キルギスの旅 ご覧いただき
ありがとうございました


今の自分にできる 全力の作品でした






ロケ前は 不安しかありませんでした
行ったことのない場所で
まともに自転車が走れるかどうかも分からず
キルギスの人たちがどんな反応をするかも分からない




そして一番の不安のタネは…





そう ジュンヤでした

撮影の経験はほとんどなし
旅の経験もゼロに近い
出演者をジュンヤにしたいと提案したとき
大勢に「大丈夫なのか?」と聞かれました




撮影って 独特のスキルが必要なのです
例えばカメラから常に表情が見える位置に立つとか
カメラの前を横切らないとか
とにかく「カメラが何を写しているか」を察知することが大事になります


だって 写せなければ番組になりませんから






心配のとおり
ジュンヤは最強に撮影が難しい出演者でした


しゃべっている時にひたすら背中を向けたり
食事の撮影なのに 撮影前に食べ始めてしまったり
スタッフの存在をすっかり忘れて走り去ってしまったり…



↑ずっと350Wで漕ぎ続けるジュンヤ
 後ろの私の存在はすぐに忘れる





結局6日間の撮影が終わっても
カメラのことを考えられるようにはなリませんでした


でも


出来上がってみると とても素敵な番組になったのでした







もちろん編集は大変でした
でも 旅への強い気持ちを持った人が
本当に行きたかった場所を旅すると
こんなに素敵になるのかと気付かされました




↑ジュンヤに置いて行かれた私(笑)




↑電波がない場所が多いキルギス
 初めて衛星電話を使った



↑ソンクル湖で出会ったフランス人たち
 他にシンガポール人とドイツ人 ロシア人も来ていた







ドライバーの父っつぁん


まさかの雪で 標高3000mのソンクル湖を撤退するとき
道は真っ白で 車の轍はぬかるんで
四輪駆動車が何台も立ち往生していた

こりゃあ無理だと思ったその道を
普通のワゴン車の後輪を滑らせながら
素晴らしいテクニックで下山してくれた


鏡に映ったその表情が 真剣さを物語る



あと数時間 出発が遅れたら
そしてドライバーが父っつぁんでなかったら
ソンクル湖から戻れなかったと思う



↑撮影:アロマ


父っつぁんはずっと苦しそうな咳をしていた
たぶん肺気腫なんだと思う
きっと5年後に来たら もういない気がする


ありがとう 父っつぁん
もう一度会いたいけど 5年以内にキルギスに来られる気がしないよ






父っつぁんの運転は
安心してカーペーサーができた








さて
キルギスの旅をご覧になったみなさま
ぜひNHKに感想をお寄せください
皆さんの声が番組の力になります
よろしくお願いします




↑キルギスの空港職員(笑)





11月8日は「キルギスの旅」。

2024年11月01日 11時20分10秒 | チャリダー★



ついに来週放送!


「自転車ひとり旅 in キルギス共和国」



場所さえ分からない方がほとんどだと思う
中国の西 中央アジアの高原地帯で
見える山々はすべて4000m級
シルクロードが縦横に走る絶景の国







旅人は元全日本チャンプの佐野淳哉さん(以下ジュンヤ)




五郎さんが ひとり旅卒業宣言をして
五郎さん以上の旅人なんて そうザラにいるわけがなく
ひとり旅シリーズは終わりにしようかと思った
でもいろいろ考えて ジュンヤと行くことにした


旅番組の撮影は初めてだし
旅先でどんな反応をするのか分からず
心配しかなかったが
素晴らしい旅人だった





優しくて 人を楽しませようとする心意気があり
旅の間ずっと人気者だった


そして人と出会うたびに感動し
ずっと泣いているのだった(笑)






旅は過酷だった
道はボコボコだし
標高が高くて空気は薄いし


何よりジュンヤが速すぎて ついていくのに必死だった(笑)






めちゃくちゃ寒かったし…



でも これまでで最高の作品になったと思います
前後編です ぜひ見てください


前編 11月8日(金)夜11時30分〜
後編 11月22日(金)夜11時30分〜
@NHK BS


11月から放送時間が変わるのでご注意を!





旅の思い出話は放送後に★


自分の人生は他人が決める。

2024年10月28日 07時04分17秒 | おしごと日記
四国から帰ったあと
2週間ひたすら眠かった






会社の役員に取り囲まれ
何を言われるのかと思ったら
結構な大役を仰せつかった



自分は経営とか 政治的なこととか
まったく向かないと思っているが
やれと言われたのでやることにした





自己評価には「希望値」が入り込むものだ
例えば自分は「短距離が得意だ」と思いがちだが
それはただカール・ルイスに憧れた気持ちを 捨てられないだけだったりする



他人の評価は「利用価値」によってできている
実はそっちの方が信頼できたりする






先日見つけた 信楽焼の茶碗が届いた







この作家の作品がとても好きだ
いつか何かの番組で取材させてもらえないかなあ




残念なことに 私はお茶を立てないので





ご飯茶碗にすることにした



作家さんは 思い描いた使われ方をしないことを
嘆くだろうか?




ちなみにお値段は エントリーグレードのロードバイク1台分
まさかご飯茶碗がそんな値段だとは 家族の誰も思うまい(笑)








トレーニングを再開することにした



娘を習い事に送り迎えする待ち時間に
30分SST を2本
ラスト2分を全力で340W
脚がガクガクになった



レースはもう卒業しようと思っていたし
年明けぐらいまでに 新しい目標を見つけて
ぼちぼちやっていこうと思っていたが
五郎さんから「2026年のグランフォンド世界選手権に出ましょうよ」と連絡があった


2026年の舞台は 北海道のニセコである
よりによって 良い思い出がゼロのニセコかよ…
5分ぐらい返事ができなかった(笑)


が やることにした



やらない理由を探すのは簡単だ
3月〜5月は 番組制作の繁忙期のため
6月の予選までにコンディションを上げるのは難しいし
あのコースは自分向きではない


だが 林には無理だと思っていたら
五郎さんは誘ってこないだろうから
自分が思っているよりも 可能性はあるのだと思う






「自分の人生は他人が決める」
ふわふわと ぼうふらのように生きております(笑)


四国一周1000km。

2024年10月18日 17時56分19秒 | 自転車
まだまだ先だと思っていても
いつかは必ずやってくるのが未来だ


出場すると決めてから10ヶ月
ついにその日はやってきた


四国を一周する1000kmのブルベだ





いろんなことに対応するため バッグ3つ付けの最大装備
撮影もできるように
パッと取り外しできるカメラマウントもエアロバーに装着した





サドルバッグの中身も最大だ

レイン上下
レインキャップ
ウェロトーゼ
小型ポンプ
ゴム手袋
防寒防水手袋
部屋着
マッサージボール
インナー(スリーブレス)
インナー(ロングスリーブ)
靴下
アームカバー
レッグカバー

タイヤはチューブレスだが
いざという時のためにチューブ(TPU)も入れた





さすが1000km
チェックポイントは12箇所と多い


これまでは 写真撮り忘れとか
必ず何かをやらかして来たが
今回はどうぞミスしませんように(笑)





スタート/ゴールは徳島市
五郎さんと旅した時は雨だったなあ





港の倉庫街を改装したおしゃれなポイント





参加者は100人ほど
全員がSR(200〜600km全クリア)取得者だけあって
デキる雰囲気が漂っている


でも中にはサンダルばきにミニベロの人や
たぬき(のちに熊と判明)の着ぐるみがいたり
お祭り感もありまくり


ホントにあれで走る気だろうか…?




順番に車検を受け(今回は無事に通過)
13時07分にスタートした






距離 1005.8km
獲得標高 9518m
坂道の数 81
制限時間 75時間
徳島(四国の右側)から反時計回りに1周する
途中 左端の佐田岬と南側の四万十川沿いに
内陸部への往復区間があるのが特徴だ



どんな出来事が待っているのか…
楽しみ7割 不安3割で走り出した






天気はゴールまで晴れ予報だが油断は禁物だ
女心と秋の空だ



トレインに加わり参加者についていくが
ペースがとんでもなく速すぎる



自分はこのまま行くと 明日以降使い物にならなくなる
千切れるべきか ついていくべきか
迷い続けるが
そこまでアウトなパワーではないので 着いていくことを選んだ






52km地点のチェックポイントを2時間で通過






小山がぽっこり散らばる讃岐の風景が好きだ
殿(筒井道隆さん)と旅したベトナム北部のハジャンと
とても似ている




速いと言ってもパワーにすると平均180Wほど
トレーニングにあてはめると L2の上限ぐらいな感じ
普段の自分なら ホテルをとっている今治(200km地点)までは大丈夫のはずだが
100kmを過ぎると 脚のあちこちが痛くなり始めた


これはおかしい こんなこと初めてだ
トレインから千切れ ペースを落とすことにした


出発直前に 娘からもらった風邪のためか?
それとも別に理由があるのか…






ちょっとブルーになりつつ 200km地点の今治に到着
予想より2時間早い 21時だった



1000kmを3日間で走るとなると
本当は松山(250km)か伊方(300km)に宿を取りたかったが
夜中にチェックインできるホテルがなかった






今治のホテルに泊まるのは 実は初めて
ロビーには自転車の整備スペースはあるし
当たり前のように 自転車ごと部屋に入れてビックリ


部屋着まで置いてある!


さすがしまなみ海道の拠点だ




膝の痛みが何かの間違いでありますように
そう願いながら コンビニのパスタを食べ
3時間の睡眠をとった






2日目
深夜2時に今治を出発
今日は600km地点の高知県 四万十市をめざす





愛媛県 伊予市(290km地点)で夜が開ける
交通量の多い松山市街地を 夜のうちに通過できた
ここまでは順調だった






しかし


300km地点
佐田岬に向かって西へ走り始めたころ
マズい事態が起こった


膝がキョーレツに痛み始めたのだ



痛みはみるみる強くなり
強く踏むと「ズキューン!」と突き刺すように痛む
これはたまらん





膝が痛いとどうなるかというと
スタンディングができない
ずっとサドルに座り続けることになり
お尻の破壊が始まる


坐骨のところがズンズンと痛むので
なんとか立ちあがろうとするが
今度は膝が「ズキューン」と痛む


座ってズンズン
立ち上がってズキューン
逃げ道ゼロ(笑)
漕ぐパワーは130Wまで落ちた



まだあと700kmあるのに(泣)






ほうほうの体で357km地点
四国最西端の佐田岬にたどり着いた


ここで大休憩を取ることにした





しらす丼を食べながら
この先のことを考える


平坦と下りをエアロフォームで走るのは なぜか大丈夫だ
問題は上り坂で
エアロフォームだと腰が痛くなるし
トルクをかけると膝は悲鳴をあげる


何か良い手はないものか……






しかし佐田岬半島は 坂道だらけなのだ





痛みに耐えられなくなり 休憩が増えていく








あ!
ふとあることを思い出した私は
西予市で薬局に駆け込んだ





そう ご存じ「バンテリン」だ(笑)



昔 ブルベでたまたまご一緒した人に質問したことがある

「カラダ痛くならないんですか?」
「なるよ」
「痛くなったらどうしてます?」
「バンテリンだよ」

単純明快で 聞いていて爽快だった(笑)
ふだん薬を全く使わない私には 想像できない答えだった



どんな痛みもスッと消える インドメタシン配合の「バンテリン」
痛みが消えると 悪化していることに気付かず運動してしまうので
さらに症状を悪化させてしまう 恐ろしい薬だ


だが 背に腹は変えられねえ
バンテリンを膝に塗りたくった


すると
塗った途端に 鋭い痛みは消え
鈍痛だけになった




どうにかゆっくりだが走り続けられそうだ
再びバイクにまたがり 先へ進む








2日目の夜は
月明かりが綺麗だった


そして高知の星空は 宇宙の果てしなさを肌で感じるほど
美しく そして恐ろしかった



走っている間 時間はいっぱいあるので
つい色々と考えてしまう



自分は結局 苦手だったロングライドを克服できなかった気がする
きっとそれは 自分のDNAに設計されたことなのだろう
おそらく人はDNAには逆らえないようになっていて
設計図に描かれた能力を超えられないし
描かれた通りの性格になる

ひょっとしたら 自分の意思でやっているように見えて
すべて設計図に描かれた通りのことを選ばされているだけなのではないか?



…いや
結局どこにも届かなかったけれど
自分の限界を見るのはとても楽しかった
自分の設計図の外郭を知れたのだ
それだけで良しとしようじゃないか




そしてこれが終わったら
自分は何を目標に自転車を続けようか……






470km地点 愛南市
もう限界だった
痛めた部分を庇ってきたためだろう
全身が耐えられないほど痛かった


心が折れる音がした


この先の宿毛市でホテルをとろう
たっぷり休んで回復したら リタイア連絡をして
徳島へ戻ろう






自販機の明かりの下 ホテルを検索する



しかし 藁にもすがる思いで探したが
この辺りには 一部屋の空きもなかった



120km先の ホテルを予約した四万十市まで行けということか……




しばらく呆然としていたが
嘆いても何にもならない
覚悟を決め マッサージボールで20分ほど脚と腰を必死でほぐす


「足掻く」というのは 楽しいものだ
どうせ絶体絶命なら 何かをやってみる方がいい




すると…
あることを思いついた


300km地点で現れた膝の痛みは
最近まで無かったものだ
そして最近変えたセッティングといえば…



「クリートの位置」しかない





ロード用シューズのクリート位置に合わせて
このSPDシューズのクリートもいじっていた
2週間ほどテスト走行して 良い感じだと思っていたが
長距離テストまではしていなかった



こうなったら 一かバチかだ
クリートを2ミリ 後方に戻してみよう




すると
走り出してすぐ 変化が起こった
膝の痛みが気にならなくなったではないか!



悪の元凶はこれだったのか



バンテリンには申し訳ないが
こっちの方が100倍の効果があった
80Wまで下がっていたパワーが
120Wまで復活した





スタートから33時間
560km地点の足摺岬へ到着


膝の痛みの元となっていた筋肉を使わなくなったためか
走りながら脚が回復して スタンディングも少しできるようになってきた






激痛から解放されて
景色を楽しむ余裕が出た


こんな道を夜中に走るなんて
ブルベじゃなければあり得ないな



月明かりを頼りに
絶対辿り着かないと思っていた四万十市に到着
予定より5時間遅れの 深夜1時だった








3日目
五郎さんと旅した四万十川沿いを走る



残りは400km
この時点でTSSは700を超えていた
膝の痛みはなんとか誤魔化せているが
スタンディングを封じられた時に痛めたお尻が
限界を迎えていた






四万十川近くにあった謎の自転車店
立ち寄りたかったが 寄ると絶対に1時間以上かかるのでパスした




お尻の痛みをどうにかするには
何かクッションを考えれば良い


すると
忘却の彼方から あるパイセンの言葉を思い出した



「お尻とか痛くならないんですか?」
「ならないですね」
「どうしてですか?」
「お尻に絆創膏を貼るんですよ」






ゲットした(笑)


しかし改めて見ると 絆創膏とはペラペラなものだ
こんなので本当に効果あるのだろうか?


店のトイレで お尻の左右に貼って
走り出してみるが
「言われてみれば効果があるような気がする」ぐらいのものだぞ


こんな具合なら貼らない方がマシかもしれないと
お尻をまさぐってみたら
サドルに当たっていなかった(笑)



コンビニのトイレで 再度貼ってみる
買ったのは5枚入りなので これがラストチャンスだ



シッティングに近いポーズをして 慎重に骨の位置を確認
思ったよりはるかに内側だった
あまりに2枚が近くて これは穴を塞いでしまったのではないか


走ってみると かなり良い感じ
だが穴を塞いでいるので お腹を壊したら大変だ


「お腹!壊れるなよ」と言い聞かせながら走るが
気にすると逆にグルグル言い出すものである


一瞬油断した
おならが出てしまったのだ
だが心配をよそに おならは抵抗なく出ていった
塞がれていなかったようだ(笑)



ちなみに
街でオナラをしたとき 多くの人が後ろを確認するが
あれは絶対にやってはいけない
「私がオナラをしました」と言っているようなものだ
徹底的に知らん顔をするのがベターである






雨雲が現れたので





お遍路さん用の休憩所で
マッサージボールしながらやり過ごす






パワーは出ないが
お尻も膝も腰も 耐えられないほどの痛みはない





食欲は落ちなかった
前回の失敗を分析して 補給の間隔を長くした
具体的には1時間に1回から2〜3時間に1回に変更
胃を休ませる時間を長くした






スタートから62時間
880km地点の室戸岬を通過


ここで次なる敵が現れた



睡魔である
眠くて眠くて 目を開けていられない
これはキツい



すると…
道路の真ん中に 犬が座っている
近づくと 犬がこちらを振り向いて
首を伸ばした

なんとその首が どんどんどんどん伸びていくではないか


なんだあれは? 犬じゃないぞ
イタチか? カワウソか?


あまりに首が伸びていくのでギョッとしたが
よく見るとそれは 道路の中央線だった(笑)






美しく大好きな高知県と別れを告げ
徳島へと戻ってきた



眠気が襲ってくるたびに 自販機で「阿波ライズ」を飲んでやり過ごす
そして素敵な参加者をたくさん撮影した





980km地点
ついに最後の難所がやってきた


距離2.5km
平均勾配12%の激坂「鶴峠」である


ここに来て この激坂は
主催者の愛を感じる(笑)

今のパワーだと 乗って上れる気がしない
だが降りて歩くと1時間近くかかる
そんなのはまっぴらゴメンだ



私はこの坂の攻略のために
ある計画を進行させてきていた


これだ





題して「バンテリン効果最大化作戦」


バンテリンの効き目を最大にするために
24時間前から使用を控えてきたのだ


このために
塗りたい気持ちを何度ガマンしたことか




この坂で バンテリンを思い切り塗りたくって
一気に坂を攻略するのだ



坂の手前の細道で
念じるようにバンテリンを塗る
どうか痛みよ引いてくれ
そして自転車に乗って上れるだけのパワーを出させてくれ…


しかし
塗った瞬間 信じられないことが起きた





塗った場所が モーレツに痛くなったのである(笑)




なんだそりゃ!
なぜ痛くなる?
お前はパルプンテか!



塗った場所は 動かさなくても痛むようになってしまった(笑)
バンテリンとは ただの麻酔ではなく
神経に作用する何かなのだろう

そんなことはどうでもいい
坂は目の前に迫ってきた
もはや覚悟を決めるしかない
痛かろうがぶっ壊れようが 全力で上るしかない



「20分頑張る」
そう決めて 激坂に突っ込んだ


体感的には 20分300Wで走ったつもりだが
あとでデータを見たら 184Wだった(笑)

でも 今の自分には奇跡的な数値だった
歩いて上る参加者を6人抜いた


驚くことに アドレナリンのせいか
痛みはゼロだった


人間とは不思議なものだ
設計図で決められているとしても
まだまだ不思議に満ちている




そしてついにゴールに辿り着いた






72時間34分
距離1020km
TSS 1134



スタート地点で見かけた サンダルばきの人は
私よりも先にゴールしていた
聞けば このスタイルはウケ狙いではなく
さんざん走った末に辿り着いた 究極の装備なのだという


長距離ライドは奥が深い…




こうして 2年間の長距離チャレンジが終わった
これから先 なにを目指して走るのか
それはゆっくりと考えようと思う




そして実はこのあと 一番辛いものが待っていた
お尻に貼った絆創膏を 絶叫しながら
毛と一緒に剥がしたのだった(笑)








今年最初で最後のレース。

2024年10月02日 12時38分19秒 | 自転車
レース3日前にバイクの整備





チェーンを超音波洗浄器にかけ
ワックス(AB)を塗る





プーリーに草が絡まっていたので分解


バラした後 よく見ると
プーリーの歯に前後があるっぽいではないか
しまった どう組まれていたのか覚えてない(笑)



慌ててネットで調べると
「文字が書いてある方が左」
「文字が書いてある方が右」
両方の主張が出てきやがった(笑)


SRAMは整備情報がまったく検索に引っかからなくて困ったが
海外通販「BIKEINN」のSRAMスペアパーツのページに
組み立て図があって なんとか助かった
刃先の出っ張りが進行方向(上の写真だと左)だった






土曜日
現地は雨予報なので 朝ローラーをしてから高山村へ





参加者の誰もが絶賛する前夜祭
食べ物がたくさん並んでいて
舞台ではゲスト(宮澤さん 五郎さん 才田さん)がレース攻略について話している

宮澤さんは話がうまい
個人差の大きいパワーやケイデンスなどの具体的な数字ではなく
感性に訴える例え話をする


蕎麦をいただき 五郎さんとおしゃべりして退散





参加費6000円で 公道でレースができて
これだけのお土産がもらえるのは
並大抵ではない
きっと誰かが情熱を燃料にして 猛烈にタダ働きしているのだと思う



昨日からどうもクラクラして 体調が良くないので
20時には寝た


あまりの寝汗で 気持ち悪くて起きたら
2時だった
なぜか小便が大量に出続けて
30分おきにトイレに通った


知らぬ間に悪い薬でも飲んだのだろうか…









スタート3時間前に会場入り






バイクは通勤で使っている状態から
前後ライトを外すだけ(笑)
ホイールはZIPP353にコンチネンタルGP5000S(TL)
空気圧は3.8
これもいつも通り


ボトルは空力の良さを狙って2本差し
自分の経験上 平均勾配8%以下の坂なら
ボトルの重量よりも空力を考えた方が速い
ちなみに中身はアミノバイタルのドリンク
レース前にはほぼ飲み切り 空のボトルを差して走る


まあ気休めですよ(笑)





五郎さん発見
「4倍出るかなあ」と心配そうにしていたので
この先の仕事の話をしたら
やる気出してくれた(笑)





坂バカのパイセン・田中さんと久々の再会
この方は本当に優しい
決して他人の悪口を言わない
そして榛名山を走ると必ず男根岩の写真をアップするオチャメさんである





アップはいつも通り20分ほど
軽めのギヤで 心拍を150程度まで上げたらおしまい
重いギヤを踏むのは30秒程だけ





久しぶりのレースに 緊張していたので
「緊張しない…緊張しない…」と気持ちをオフにしたら
眠くなってしまった


これはいかん ハッと起きたら誰もいなくなってるパターンだ





周りにいる人全員 強そうに見える…





↑撮影:宮澤さん


40代クラス 9時50分スタート


距離20km
平均勾配6.5%
途中 2ヶ所の下り坂を挟んで
20分強の上り坂を3回走るようなコース



今回の目標は 体重の4倍以上のパワーで走って
腰痛を出さないこと
もし腰痛が出なかったら 泣いてしまいそうだ



スタート直後 1kmほどで先頭は10人
パワーは270W(4.6倍)ほど
坂バカあるあるで 急勾配でパワーが上がり
緩斜面で休む
同じパワーで踏んでいると 緩斜面で先頭に躍り出てしまう



「4倍で踏めるかなあ」と心配そうにしていた五郎さんもいる



心のスイッチが入ると この人は猛烈に強くなる






しかも 私の写真を撮ってくれていた(笑)



衝撃的だったのは
自分があまりに太っていて
ボンレスハムみたいだった
これはレースに出る体ではない



レースが終わっても 今年は体を絞り続けてみようと決心した




3km地点の激坂入り口で集団からドロップ
五郎さん含む9人は激坂をモリモリ上って行ったが
4km地点でドロップした五郎さんに追いついた


なんとここでは五郎さんが動画を撮ってくれた
この人はサービス精神のかたまりだ
動画を見ると やっぱり自分はボンレスハムだった(笑)



第一の坂 24分 260W(4.5倍)



2分ほどの下り坂は 路面ツルツルでテクニカルなので
完全に休養タイム
リフレッシュして次の坂に向かいスイッチを入れようとしたら
スイッチが入らないではないか


体がフニャフニャして踏めない
ハンガーノックにでもなったかのようだ



第二の坂 27分 243W(4.2倍)



気を取り直して 第3の坂は必死に踏み直そうとしたが
結局ゴールまで体に力が戻って来ることはなかった


1時間14分18秒 246W(4.2倍)
年代別9位/67人



ゴールで配ってくれたコーラが美味い
本当に隅々まで心が行き届いた大会だと思う






下山すると 地元の方々が蕎麦を準備してくれていた







腰痛は出なかった
久しぶりに1時間を超えるレースを走れた
木村さんのフィッティングのおかげだ
感謝しかない



しかし


腰痛が出なければOKと思ってはいたが
ここまでパワーが出ないと悔しいもので
来年もどこかのレースに全力で立ち向かってみようと思ってしまうのだった


順位にも成績にも興味ないのだけれど
レースは良いものだと思った
なぜなら 今の自分の立ち位置が分かる
体がどんな具合で 自分がどんな生活をしているかが分かるから





お楽しみ抽選会を仲良く見ている宮澤さんと才田さん
師匠と弟子は同じポーズをとるんだなあ(笑)




さあいよいよ2週間後には
1000kmチャレンジだ
いざという時には出演者を助けられるように
参加者として走る
(参加者以外からの助けを受けたら失格)



自分は撮影係なので 出演者に貼り付いて四国一周を走るのだが…


不安しかない(笑)

仕上げ。

2024年09月25日 15時22分49秒 | 自転車
高山ヒルクライムまであとわずか
最後の仕上げにかかりたい



自分の場合は レース6週間前から
トレーニングを高強度中心にシフトする
2分 5分 10分走を 最大強度に近いところで
週に2回やる


その他は回復日
回復も立派なトレーニング
ここで無駄に上げてはならない


その無駄に上げてはならない日に
こやつに会うべきだったかどうか





コントロール不能の男 伊織である(笑)



今年の伊織は あまりうまく走れている感じがなく
本人のメンタルも落ち気味っぽい印象だったので
滋賀の帰りに会いに行った






伊織も前日にヘロヘロになるぐらい走ったらしく
今日は飛ばすことはあるまいと 安心していたら
どんどん強度が上がっていくではないか


「伊織 けっこう出てるけど大丈夫か?」


伊織はゴニョゴニョと言い訳をしながら
ペースを落とした(笑)





一度来てみたかった 足助の街並み





そんなに美味くもない冷やし中華を食べた

なぜ美味しくないかというと
主役がいないのだ
なんとなく ゆるい麺と具が乗ってるだけ
料理には主役(または揺るぎない意志)が必要だと思う






お別れするとき いつも伊織は
子犬のような目つきで私を見る
そのたびに もう2度と会えなくなるような気がする



次に会えるとしたら沖縄かな
お互いがんばろうな 伊織





次に訪ねたのは 静岡に住むこちらのお方





2014年の全日本王者 佐野淳哉(以下ジュンヤ)だ


ジュンヤから どうしても渡したいものがあると言われていたので
何かと思い訪ねたら





引退にあたり 思い出のジャージをくれるというが
全日本チャンピオンジャージはさすがにもらえないと断って
ジュンヤの選手人生のどん底だった イタリア時代のジャージをもらった


ジュンヤとは苦楽を共にしたことがあって
ちょっとした絆でつながっている
その話はまた近いうちに





風邪で体調が悪い私を気遣って
きっちり回復走ペースで引っ張ってくれた





いろんな話をした


自転車は良い
走りながら話すと 普段は話しにくいようなことも
すんなり話すことができる





1時間走って 田子の浦港へ






漁協食堂で生シラス丼(絶品)をいただく






ジュンヤが刺身を買ってきた


田子の浦でサーモンかよ…??
と思ったが
そう思った自分を反省したほど激ウマだった


調べてみると 富士の湧水で育てられた
富士宮名物の鱒だそうだ


味は信州サーモンのようにクセがなくて美味しい
都内の超高級スーパーでも この味は手に入らないと思う





ジュンヤ 元気でな
もらったジャージは ブカブカすぎて着られなかったよ(笑)







そしてレースまで1週間
最後の実走チャンスはやっぱり太平山へ


今年まったく出来なかった8分走をやりたいが
何本できるか…


目標は5倍(290W)で3本
腰が痛くなったらストップする


1本目はアップで 14分 180W

2本目 8分14秒 292W (5.0倍)

3本目 8分15秒 291W (5.0倍)


だいぶ脚に来ていたが
腰は大丈夫だ
最後は全力で行った


4本目 8分00秒 301W(5.2倍)


突き抜けた清々しさがあった



全力で走れるのって
幸せで ありがたい

フィッティング。

2024年09月17日 22時15分21秒 | 自転車
ひょんなことから 全日本チャンプの
入部正太朗選手(以下正ちゃん)とやりとりしているうちに
「腰痛はポジションで改善する可能性もありますよ」という話になった


今まで3回フィッティングを受けたことがあるが
3回ともほとんどポジションの変化がなかったし
自分にはフィッティングは不要だと思っていた


だが 身体感覚の鋭い正ちゃんが
「年齢とともに身体にも変化がある」と勧めるので
元SHIMANOレーシングの木村圭佑さんのスタジオを訪ねた





場所は滋賀県


自宅から車で6時間かかった


身体がゴリゴリに凝った状態でのフィッティングは
かえって都合が良いかもしれないと思い直し
いざフィッティング開始





2021年に引退した木村さん
選手時代に一度だけ 正ちゃんが全日本で勝った時に取材で会っている



「まずは軽く漕いでください」と言われ
ローラーに乗って150W程度で回す


こう言う時はついつい「上手に回そう」と考えてしまうが
むしろ下手な自分を見せないといけない
とにかく無心で漕ぎ続ける



木村さんは何かを見つけたらしい
まずはクリートの調整から始めた





以前受けたことのある「idMATCH」で基本的な位置を出したら
あとは木村さんが私の動きを見て味付けをする


idMATCHは 機械的にベストポジションを出す装置で
個人の癖や漕ぎ方に合わせたフィッティングではない
idMATCHでクリート位置を動かして以降 腰の痛みで走れなくなったので
内心「idMATCHが腰痛の原因である可能性もある」と考えていた


なので内心「idMATCHかあ…」と思いながら見ていたら
木村さんは機械的に出したポジションと睨めっこして
「うーん…どうしようか」と悩んでいる
そしてクリート位置をそれぞれ数ミリ動かした



乗って驚いた


股関節の可動域が 一気に増えたのだ
前傾姿勢を取っても 以前に比べて苦しくない


「次の段階です。また少し調整します」
と 木村さんはサドル位置を動かした



乗ってまた驚いた
身体の自由度がさらに増えた





最後に内側に入っていたブラケットを
ほぼ前向きに直した
上半身のこわばりと左右差が減った



整理すると
・クリート位置が前になったことで身体の自由度が増した
・股関節の可動域が増え 身体を前傾しやすくなった
・身体が前傾できるので サドルを前上がりにして身体が前に行くのを防ぐ必要がなくなった
・サドルが後退し上体の窮屈さが減った
・ペダリングの左右差に合わせてクリート位置を左右に調整、膝の内展を解消
・ブラケットの左右差を修正し 上半身の使われ方を左右均等にした





フィッティング中の木村さんは
職人のようだった


これまで受けたフィッティングでは必ず
「◯◯になりましたよね?」と聞いて来た
これは詐欺の常套手段で
「良くなったでしょう?」と言われてしまうと
良くなった気がしてくるものだし
「はい良くなりました」と答えてしまう


木村さんは 意見を押し付けることがなかった
これは信頼できると思った


そして わずか数ミリの調整が
私の身体を自在に操っていくのが面白かった






フィッティングしていると
紹介してくれた 正ちゃんが登場


地味なグレーTシャツに金ネックレスで
大阪弁で後輩の木村さんにしゃべる様子は
まるでヤ●ザみたいで(笑)
私は来てはいけない事務所に監禁されて
若頭と手下に取り囲まれているようにしか思えなかった(笑)





「ホー、これが林さんの新しいバイクでっか。
 おしゃれでおまんな」

※実際にはもう少し丁寧な言葉遣いです。あくまで私の脳内で発生した「イメージ」です。







フィッティングの後
若頭が(笑)実走に付き合ってくれた


20分全力で走ったら 腰はどうなるだろうか?



上ったのは金勝山
後ろに全日本チャンプと
車に全日本3位の木村さん
なんと豪華な実走テスト
テンションが上がってしまい 最初の30秒ツッコんでしまった


あとは垂れる一方で
目標だった290W(5倍)を維持できたのは10分だけ
最終的には266Wまで垂れていった
自己ベストの10%落ちで
だいぶ落ち込んだ



走りながら
「黄金のタレ…黄金のタレ…」と
頭の中でずっと再生され続けた
そしてイノッチの悶絶する顔が思い浮かぶのだった



そうか イノッチは
こういう時に力づけてくれる存在なんだな






後ろでずっとニコニコしていた正ちゃん






「あれだけ垂れたのに諦めないのはすごい」
と誉められたが
あんまり うれしくはない(笑)






結論からすると
全力20分で腰は全く痛くならなかった
さあしかし
これで60分以上の高強度に耐えられるのか
月末のヒルクライムでどうなるか楽しみだ





ちなみに 木村さんのKEIfittingは
3時間で 22,000円
フィッティングの値段としては破格の安さだし
私にとっては10万円以上の価値があった




ちなみに
次の日は風邪でダウンした
そりゃあ良い数字は出ないわな