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自転車ひとり旅★

自転車大好きなTVディレクター日記。

バリの旅・最終日。

2025年04月04日 17時18分08秒 | バリの旅2025



倒れるようにひたすら眠った






起きて外に出ると
それを見た宿の奥さんが
朝食を持ってきてくれた






朝晩の食事込みで 1泊2500円ほど
シャワーのお湯もちゃんと出た



出発のとき お世話になった優しいご主人に挨拶をしたかったが
となりの田んぼで農家の女性が倒れて大騒ぎになり
女性をどこかへオートバイで運んで行ってしまった






最終日は 空港そばのホテルへ向かう
距離はまっすぐ向かって60kmほど
途中の棚田までは上り坂だが そこから空港までは下り坂オンリー


飛行機が深夜0時発なので パッキングを考えると
15時ごろまでにホテルに帰っておきたい





9時 宿を出発


何もしないまま最終日を迎えた感がつきまとうが
生きて旅を続けられただけで儲け物だと思うことにした







向かうのは 今回の最終目的地
世界遺産の棚田だ



初日は80Wしか出なかったパワーが
今日は130Wまで出せる
激坂が続くが なんとか前に進むことはできた



そして デンパサールを出て400km
その棚田が目の前に現れた








ジャティルウィ・ライステラス









来てよかった
しばらく黙って 風に吹かれながら棚田を眺めていた





この感動がどこから来るのかというと
自分の脚でたどり着いたことに尽きる


車で来ても この美しさは変わらない
でも 心は違う
あの苦労の果てに このご褒美があるから
景色は輝いて見えるのだ





売店でポカリスエットをがぶ飲みした
突き抜けるほど美味かった
蓄えていた全てを出し切って 抜け殻になりながらたどり着いたからだろう




ポカリをがぶ飲みしていると
後ろから誰かが声をかけてきた









「あなた 私たちと同じ宿に泊まっていましたね」


私はキョトンとして
「なぜわかるの?」と聞くと
「そのバイクを見たんだ」と


そうか!
隣のコテージに泊まっていたチェコ人の夫婦だ
見ると 後ろにレンタルのオートバイが停まっていた
私が宿を出た時には まだそこに停まっていたので
後から出て追いついて来たのだろう


「あの激坂のアップダウンを走って来たのか?」
「ええ ひどい坂でしたよ」
3人で大笑いする

「世界中を自転車で旅しているの?」
「40カ国ぐらい行ってます。チェコ、スロバキアにも行きましたよ」


チェコの田舎町の話など しばらく談笑
プラハの出身だと言うので
私がいかにプラハとチェコを愛しているかを話すと
たいそう喜んでくれた







バリ島に来て 特徴的に感じたのは
この島に来ている外国人の多くは 「旅人」ではないということだ

旅人というのは 自分にも 他人にも
その国の人々の暮らしにも深い関心があって
自分にとって新しい世界を切り開こうとしている

だがここにいる観光客達は
島の文化にも 他の旅行者にも興味を示さない


だから このチェコ人の夫婦に会ったとき
初めて旅人に出会った気がした
彼らは自分らの世界を広げるために来ていた



「良い旅を。また世界のどこかで会いましょう」
お互いにそう言って お別れした






デンパサールまで残り50km
ひたすら続く下り坂は 最高のご褒美だった


すると
私はある看板を発見した





まさか道中で出会えるとは!





インドネシア名物 ジャコウネコのコーヒー店だ


ジャコウ猫がコーヒーの実を食べると その糞の中に種が出てくる
その種 つまりコーヒー豆を取り出し
洗って飲むのである
これが他にはない香りがするとかで
びっくりするほどの高級品なのだ
ちなみに日本で飲むと1杯5,000円ぐらいするらしい


だが インチキ品も多く
普通のコーヒー豆を包装だけ変えて売っていることもあるという


この店はどうだろうか?





うーむ…怪しいぞ
ちょっと警戒しながら中に入る



暇そうにおしゃべりしていた女性が
作り笑顔で中に案内してくれた





ジャコウ猫を発見





可愛い(笑)
手で目を隠して眠っている



だがこんなことではダマされる私ではない
警戒をゆるめずに 試飲をお願いする





様々なテイストのコーヒーが運ばれてきた


この大量のコーヒーは無料
チョコ味とか バナナ味とか
インスタントコーヒーに香料を混ぜた感じで
どれもおいしくなかった





ジャコウ猫コーヒーは1杯500円
これは挽いた豆に直接お湯をかけたもので
舌触りが悪いが
香りはちゃんとジャコウ猫コーヒーの味がした


どんな味か? と聞かれると
ちょっと難しい
コクが深いというか
カカオ豆(チョコ)のような香りがするというか
コーヒーとかけ離れた香りがするわけではないし
癖になるほど美味しいかというと そこまででもない



家で丁寧に淹れて飲んでみたいと思い
100g 3000円分だけ購入した
他の土産店より高いが
ここには2度と来ない気がするので 他の珍しいものと一緒に買った






ちなみに 帰国後に飲んだが
やっぱり100g 3000円ほどの価値はなかった(笑)


まあそんなもんだ
猫が可愛かったからよしとしよう






腹が減った



腹が減るという感覚が
涙が出るほどうれしい
ああタクアンが食べたい






ものすごく田舎の村に
レストランの看板を見つけた
行ってみると 立派な建物ではないか


だが建物に入ると レストランは隣だという





こっちの掘立て小屋だった
綺麗な建物よりも100倍いい感じだ



旅が始まって4日目にして
初めて立ち寄る食堂
しかも地元の人しか来なそうな

ワクワクが止まらない





店のおっかさん(笑)
ぜったい良い店だ



英語がまったく通じないので
この旅で初めて ポケトーク(音声通訳アプリ)を使ったのだが



私「お腹に優しいものはありますか?」
おっかさん「長いものを我慢すると硬い」
私「もう少しゆっくり話してください」
おっかさん「縮まった方法があります」


何を言っているかのヒントにもならない(笑)





おっかさんは飽きて中へ引っ込んでしまった(笑)



とりあえず 身振り手振りから察するに
定番の料理を出してくれるような雰囲気だったので
お任せすることにした



待つこと10分








刻んだ野菜や魚の煮物とゴハンの盛り合わせが出てきた



恐る恐る口に入れた




!!


びっくりするほど美味い!!



ショウガの魚醤煮
小魚の炒め物
緑の野菜の炒め物
肉の細切れの炒め物
キャッサバ芋炊き込みご飯



おかずは あまじょっぱくて
まさに私が食べたかったタクアン系の味だった
噛んでものを食べることが こんなに幸せだとは
ため息をつきながらゆっくりといただいた



すると





おっかさんが 火を起こし始めた


そして小麦粉を溶いたコロモに バナナを包んだものを焼いて
おまけで出してくれた





だが 私は見てしまった
バナナをカットするとき
大きな虫が バナナの中にいたことを(笑)





バナナは農薬なしで育てられないほど
虫がつきやすいという
つまりこのバナナは 無農薬かつ樹上で完熟した
絶品に違いない


のだが(笑)


おっかさんが 何の反応もせずにぶった斬った
長〜い何かの幼虫がそこにいると思うと
ちょっと勇気が必要だった


私はよく噛まずに 水で流し込んだ
味は…バナナはねっとりして甘かった…と思う(笑)





「ありがとう 美味しかったです」
それはポケトークがちゃんと通訳してくれたらしい
おっかさんはこう返してくれた
「また来てね 待ってるからね」







デンパサールに近づくと 渋滞で全く進まない
戻って来てしまったのだと 実感が湧いてくる





そして15時ちょうど
空港近くのホテルに無事に到着した



ホテルの偉い人が 「よく戻ってきたね!」と笑顔で
輪行箱を持って来てくれた









やりたいことの3割もできなかった旅だった
でも こんなことでもない限り 絶対に体験できない旅だったのは間違いない





3日間も物を食べずに旅することはないだろうし
いかに自分の命を守りながら旅を続けるかを
こんなに考えることもないだろう


そしてたどり着いた景色は輝いていたし
助けてくれた人たちへの感謝は 何よりも深い





面白い出来事も 冒険的要素も少なくて
読者の皆さんには申し訳ないけれど
自分的には忘れられない旅となった





次はどこへ行こうか
その前に 撮った映像素材を編集して
何本か作ってみなければ★

バリの旅・3日目。

2025年03月21日 00時14分46秒 | バリの旅2025



腹痛と戦って ボヤボヤしているうちに
バリの旅もあと1日半となってしまった




今回の一番の目的は
これまで自分がやらなかった新しい撮影の形をテストすることだった


だがここまでの2日間で撮れているのは
ちょっとした坂道でも苦悶する私と
しばらく見たら飽きてしまうような道路のみ(笑)


下痢と戦いながらコーラとポカリだけで走るという
よくわからない挑戦が続いているが
寄り道の楽しみを捨てることで なんとか行程を進んではいるのだった








3日目は 島の東アムラプラを出て
今回の最終目的地 世界遺産の棚田を目指す100km
ゴールが標高700mなので上り基調だ


昨日までの島の外周道路は バリ島のメイン道路なので
車は多いし面白くなかった
だが今日からのルートは田舎道である
おそらくアップダウンは強烈だろうが
見たことのない風景が待っていそうな予感がする






午前9時 宿を出発
庭の掃除をしていた女性が
「がんばってね!」と背中を押してくれた



走り出してすぐ 昨日までの自分とは違うのが分かった



わずかだが 空腹を感じるのだ



胃腸の調子がだいぶ良くなったのだと思う
私はコワモテのアマさんが 汗だくで
私のお腹を一生懸命にマッサージしてくれたのを思い出した


ありがとうアマさん
今日はどこかで 久しぶりの食事ができそうだ







アムラプラを出て10km
さっそく面白いものが現れた






「この道 キケン」


この国の人が「キケン」と書くぐらいだから
相当危険なのだと思うが


困ったことに
目的地はこの坂道のすぐ先にある村なのだ
ここを行けないと 20kmほどの回り道となってしまう
今日の私に その回り道をする体力はない






見たところ 勾配はマイナス15%ほど
行けないことはなさそうだが…





迷っていると 坂の下から
ポンコツなオートバイに乗った兄ちゃんがかっ飛んで来た


英語が通じなかったので
身振り手振り作戦だ




「この道 自転車で行ける?」

すると兄ちゃんは自信満々に

「行けるよ!」

と答えた



…去年のフィリピンでもこんな状況があったような(笑)



「舗装されている?」
「されてるよ! ただ下り坂が急なんだ」
「急な下り坂? 上り坂はない?」
「下り坂だけだよ」


全て 身振り手振りだけでの会話である
実はぜんぜん違うことを言ってる可能性もゼロではないが(笑)

まあいざとなったら歩けば良いのだ
私はゆっくりと「デンジャラス・ロード」に漕ぎ出した








「行ける行ける 全然大丈夫じゃん」


デンジャラスロードは 15%ほどの下り坂だった
難しいが これぐらいなら大丈夫だ
世界にはもっともっとヤバい道がいくらでもある

……
…………
………………

いや
これは…
これはマズイかも


勾配はどんどんキツくなり
マイナス20%を超えてもさらにキツくなっていき
ついにはマイナス30%を超えた


これはヤバい!
そう思った時には 遅かった
ブレーキが勾配に負け始めたのだ


タイヤがズルズル滑って止まらない
よく見たら路面がコケでツルツルだった(笑)



ブレーキを握りすぎると タイヤが「ズリズリ!」と滑って
スピードが一瞬で上がってしまう
だからと言ってブレーキを緩めると ブレーキが効かずに
スピードが上がってしまう


つまり
勾配マイナス30%を超えた時点で
スピードを抑えることが不可能となったのである(笑)




まずい これは終わったかも
一直線に谷底へと落ちてゆく道で
どうやってもスピードがどんどん上がり始め
もう止まることは無理っぽい


「おおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ!」



スピードが上がっていくバイクに必死にしがみ付きながら
誰もいないジャングルに 私の叫びが響いてゆく(笑)
「♪ ジャングル ジャングル ジャングル ジャングル
 ヤシの木1本 実が2つ」
こんな状況なのに マヌケな歌が頭の中で回り始めた(笑)

地面のガタガタで手が痛い
気を緩めたら 衝撃で手が離れてしまい
一直線に谷底へダイブだ



勾配マイナス30%
地面はコケでツルツル
こういう時 オフロードの選手だったらどうやって乗り越えるのだろうか?



そうこうしているうちに
100m前方にカーブが見えてきた(笑)
このスピード制御不能のままカーブに突入したら
とんでもないことになる


どうしよう?
正解はわからない
だが時間はない
私は左手だけ下ハンに残し
右手はブレーキを強く握りにくいブラケットに移動させた
後輪(左手)はロックして滑らせてもOKだが
前輪はロックしないようにしたかった


後輪をロックし横にスライドさせ
前輪はロックしないように弱くブレーキ
左足を地面にガリガリと着いて 足ブレーキしつつ
転倒時に備える



バイクを斜め45度に滑らせながら
足でガリガリブレーキをかけると
減速はできなかったが それ以上スピードが上がらなくなった


そこからは あまりよく覚えていない
スピードを抑えながら カーブに沿って滑り降りるのは
めちゃくちゃ難しかった気がする
自転車のトップチューブが ガタガタ道で跳ねて
私のキンタマーニを何度も攻撃して来たが
痛がる余裕もなかった(笑)


そして何とか カーブをやり過ごした




下から徒歩で登ってきた学生たちが
珍しいものを見るように ガリガリと降りてゆく私を見ていた(笑)







「助かった……」





確かに看板通り「デンジャラス・ロード」だった(笑)












激坂の麓には 別世界が広がっていた



テンガナンという小さな村
この地方の伝統的な暮らしが残っており
手織りの布が名産という







村のどの家でも 女性が機織りをして
売り物の布が所狭しと飾られている



ふと 布を見ていると
どこかで見た何かに似ている気がしてきた



そうだ この布は
カンボジアの市場で見た布にそっくりだ
この布は機械織りに違いない




機織りしていた女性に
「これ全部あなたの手織り?」
と聞くと
一瞬 答えを逡巡してから
「そうですよ」と答えた
ふむ 嘘がつけない体質のようですな(笑)



とはいえ どの布も美しかった
手織りも 機械織りも 全て1枚2000円ほど

買おうか迷ったが こうして買い集めた世界中の布が
家に溢れているのを思い出し あきらめた







外に出ると 新婚さんだろうか
記念写真を撮っていた






とても素敵だった



キヤノンのカメラを持った地元カメラマンが
私が写真を撮る姿をニコニコと眺めていた






そしてこの国に来て 何十本目かのコーラを補給し
美しい村を後にした











島の内側に入ると モスクや教会は姿を消し
ヒンドゥー教の寺院ばかりになる






島の内陸部は インドネシア名物激坂天国
距離は短いが ひたすら20%超えの激坂アップダウンが続く






この頃から私はあるものが食べたくて
ソワソワが止まらなくなった



それは タクアンだ(笑)



とにかく甘じょっぱいものが食べたかった
2日間ずっとカロリーしか補給しておらず
ミネラル不足になっているのだろう







アムラプラから70km


固形物を食べられる自信はなかったが
しょっぱいものがどうしても食べたくて
セラットという小さな村の売店に立ち寄った





静かなおっかさんの店






店の前に座って良いか? と聞いたら
敷物を持ってきてくれた








インドネシアやフィリピンで見かける
「オイシー」というメーカーのお菓子
日本のスナック菓子そっくりな商品が多く
味もそっくり



今の胃袋には刺激が強い気がするが
とにかく塩分が欲しかった



中身は 細長いチーズ味のサッポロポテトのような感じ
恐る恐る一本食べたら
あまりの美味さに体が震えた






世の中にこんなに美味いものがあるのか…
大分の旅で 五郎さんと腹ペコで食べた「ニューラーメン」を思い出した(笑)




物を咀嚼して食べるというのは
こんなにも幸せなことだったか




一本食べて感動
もう一本口に運んで感動
ゆっくり口で溶かしてから飲み込んだ







30gぐらいの小袋だが 食べきれそうになかったので
寄って来た野良犬と半分こした






すっかりなついてしまった(笑)



私はこの犬に「ワン太郎」と名付けたが
よく見たら女の子だった



ごめんよワン太郎
またいつか来た時に お菓子を一緒に食べよう









最後は標高700mまで 延々と坂道を上った
勾配が緩くて助かった



そして日没間近だが
日のあるうちに宿にたどり着いた





世界遺産の棚田に近い 田んぼの中のコテージ






この田んぼを代々やっている農家の夫婦が
新しいことを始めたくて建てたという


コテージは2棟あって
もう1棟に泊まっているのは チェコ人の夫婦だそうだ
顔を合わせたら チェコ語であいさつしようと思ったが
一度も顔を見なかった



数キロ先のレストランまで走る体力がなく
今夜はもう寝てしまおうと思っていたら





宿のおとっつぁんが お腹にやさしいスープ麺を作ってくれた



今日は感謝の絶えない1日だった
そう思いながら 1時間かけてゆっくり味わった
そして蚊に刺されまくった



自然が豊かな土地に来たことを実感した












バリの旅・2日目。

2025年03月15日 19時39分41秒 | バリの旅2025



7時起床

宿のおっちゃんが「なんでもいいから食べた方がいい」と言うので
ゆで卵だけいただいたが
すぐに下から出ていった(笑)






2日目の行程は 島の西側150km地点から
東側のアムラプラを目指す200km


その途中には 一度は行ってみたかった
ある場所が入っていた





「キンタマーニ山」である





高校生のころ 私は落研で漫才コンビをやっていて
そのユニット名を「レッツゴータマキン」と名付けたが
「さすがにそれは…」と先輩から怒られ
いくつか候補が上がったうちの一つに「キンタマーニ」があった
(結局コンビ名は「ニャン玉ぶくろ」になったw)






若さ(無知)とは恐ろしいものであるが(笑)
キンタマーニは ある種自分にとっての「思い出の地」なのだった







ちなみに「キンタマーニ」とは サンスクリット語で
「願いを叶える宝珠(チンター・マニ)」が語源というのが有力な説だ


チンター・マニは 割と我々の身近にあって
擬宝珠(ぎぼし・橋やお寺にあるタマネギみたいな形のやつ)のこと
あれは願いを叶えてくれる宝珠だったのだ





それでは「キンタマ」もサンスクリットを語源としているのかと思ったが
どうやら関係ないらしい(笑)



とにかくキンタマーニ周辺はバリ島の主要な観光地で
おしゃれなカフェやレストランが並ぶ避暑地だそうだ


観光地には興味ないが
「キンタマーニに行ってきたぜ」という事実だけがほしい(笑)






宿を出て ゆっくりと東に向かいながら
雲の中に隠れるキンタマーニのことをずっと考えていた



キンタマーニに行くには
標高1600mまで上る必要がある
その上り坂がまたキョーレツで


20km平均8%
10km平均16%


どちらもヤバい(笑)




残念だが今日の自分には
自殺行為でしかない



平坦を走るのも精一杯なのだから







キンタマーニはあきらめて
海辺でコーラを飲んで ゆっくり休憩した








売店で出会った子供たち


「What is your name?」
恥ずかしそうに英語で話しかけてくる
そして質問に答えるたびに
母親に報告しに走ってゆく


それに面倒臭そうに相手する母親との対比が面白かった(笑)





島の東側に近づくと 車が減って走りやすい






大当たりトイレ

清潔でニオイもなく バケツの水で流すこともできる


ちなみにただ穴が空いてるだけの
足の置き場に困るようなトイレも結構ある








寄り道を諦め 直行で150km
ふらふらだったが どうにかアムラプラに到着した






街に入って驚いた
今までのエリアとは別格の空気だ





古い建物が状態良く遺っている
そして街全体がヒンドゥー教の寺院のよう
信仰心で溢れている





古都アムラプラ
バリ島はかつて8つの王国に分かれており
その1つがここで栄えたという


バリ島自体が 東京と埼玉を合わせたほどの大きさなので
そこに8王国というと 日本の戦国時代の
ちょっとした豪族ぐらいの感じだったのだろう





島の東側に来て初めて
川に水が流れていた
キリマンジャロと同じように 山の東側と南側だけ雨量が多いのかもしれない






王族が涼んだという離宮





これだけの町並みが遺っているのは
オランダの侵略に対して あらがう事なく
すんなり街を明け渡したためだという



私は 戊辰戦争の際
長岡藩の河井継之助が武士の心意気を示そうと徹底抗戦したため
長岡の街は破壊され
町の人たちはその後長く苦労したことを思い出した


アムラプラの街や王族は 現代まで生き残った
長岡の町は灰燼となり 河合たちは戦に敗れ散っていった


こだわりやプライドといったものは
人間にとって何なのだろうか?








王宮の斜向かいにある貴族の家が
今日の宿だった





広大な庭の一角にある小屋を貸切り






天蓋付き
蚊がいると言うことか…






シャワーはちゃんとお湯が出た


これで1泊2000円ほど






庭をうろうろしていたおっちゃんに
「マッサージを頼めないか?」と聞いた


歯の抜けた いかりや長介そっくりのおっちゃんは
残念そうな顔をして
「この辺にマッサージは無いなあ」と言いかけて

「マッサージするのは女性でも良いか?」

と聞いてきた



私はそれを聞いてくる意味がよく分からなかった



かつてミャンマーで 女性スタッフの靴を現地の男性に持たせたら
「女の靴を持たせるなんて失礼だ」とヘソを曲げられてしまったのを思い出した
この国にもそんな風習があるのかもしれない


「女性でも問題ないよ」
私がそう答えると
「私の友人に良いマッサーがいるんだ。1時間で15万ルピア(約1500円)だ」
と言い その人を呼びに行ってくれた



果たしてどんな女性が来るのだろうか
おっちゃんの友人ということは 年も近い70代のおばあちゃんか?
フィリピン旅の時のような 藤原釜足そっくりのお母さんか?
すごく美人の若い女性である可能性もゼロではない





1時間後

そのマッサーがやってきた






暗闇から現れたマッサーを
私はつい2度見してしまった










どこが女性なんだよ(笑)





おっちゃんは 名前をアマさんという
この近くでマッサージを生業にしており
思いのほか繊細なマッサージをしてくれた



両手で揉んでるはずなのに オイルがポタポタと背中に垂れてくる
これはいったいどうやってるんだろうか?
オイルのビンを口に咥えて 垂らしているのだろうか?

上を向いたら 答えは簡単だった
それはアマさんの汗だった(笑)




ずっと黙って 黙々と続けていたアマさんが
私のお腹を触った時だけ「アー…ウムムム」と唸った
「これは辛いだろうね」と言っているようだった


そして丹念に私の胃の辺りを揉み続け
「フム」と言った時には お腹が柔らかくなっていた



汗水垂らすほど一生懸命にマッサージをしてくれたアマさんに
少し多めにお礼を払った
アマさんは少年のような笑顔で去っていった


そしてここ数日で初めて空腹を感じ
お腹がグウと鳴った






町では 夜更けまで
子供たちによる民族楽器の演奏が響いていた
盛大なお祭りが近いようだった




つづく☆






バリの旅・1日目。

2025年03月14日 21時14分54秒 | バリの旅2025
私はホテルのベッドで迷っていた
このまま留まるのか?
それとも行くのか?
行くとしたらどこまで行くのか?



そこで考えをハッキリさせるために
条件を羅列することにした


・外の気温は30度(湿度90%以上)
・おそらく体は脱水症状
・食べ物は喉を通らない
・コーラは飲める
・ペダルがはまらないので現状では長距離は走れない
・1日目のホテルまで150km
・ホテル到着は遅くなっても良いと返事があった
・途中50km地点と100km地点にホテルの空きがある



ゆっくりと起き上がり
サイクルウェアに着替えながら考える
とりあえずペダル問題だけは今日中にハッキリさせたいので
まずはチェックアウトをすることにした


ホテルのマネージャーが「帰りを待ってますよ」と
輪行箱を笑顔で預かってくれた








暑くて気持ち悪い(笑)


何よりキツいのが
食べ物の香りがすると モーレツな吐き気を催すことだった


デンパサール市内には 道沿いに食べ物屋台が並んでいて
どこもかしこも食べ物の香りに満ちている


屋台を通過するたびに息を止めながら走った




デンパサール周辺の自転車店を検索すると 結構出てくるが
多くの店がストリートビューしか写真がない
とりあえず近場の自転車店に向かってみるが





まあこうだよな(笑)


そもそもビンディングペダル(靴と固定するペダル)なんて
見つからないに決まっているのだ



フラットペダルなら買えそうだが
その場合は靴底の加工も必要かもしれない




どうしたものかと ダメもとで
「CRANKBROTHERS」(私のペダルメーカー)を検索したら…


ん?

んんんん?

なぜか1店舗だけヒットしたぞ?




ゆっくりゆっくり 5kmの道のりに30分
行ってみると そこにはこんな店があったのだった






うおー!


まじかー!





「クランクブラザーズのクリートありませんか?」


すると店員さんは こう即答した
「ありますよ!」





なんということだ
インドネシアのバリ島で
こんなレアなクリートが手に入るとは


驚き喜ぶ私を見て
「よくこの店にあると分かったわね?」
と店員さんも驚いていた




よし
まだ私は見放されてはいないようだ






さて ここからである


早くも運命の分かれ道がやってきた







下痢がおさまらないようなら ここでホテル探しをするべきだが
症状は静まってくれている


そうなれば 選択肢はひとつ
体調に気をつけながら
行けるところまで西へ向かってみましょうか






うねるようなモトと車の流れに身を任せて
熱気に溢れる街道を西へ向かう


だが 安全のためには時に車と同じスピードを出す必要もあり
パワーはそれなりに出るため
わずか10kmで体力の限界を迎えた(笑)






このペースじゃ あと10時間走っても
ホテルに着かないなあ



急にお腹が痛くなり
トイレに駆け込む
まだ油断はできないようだ
今日はたった10kmでおしまいか…と
「Grab」(タクシーのアプリ)で調べてみると


なんと!
50kmタクシー移動しても 4000円程度で行けるとな








呼んだ(笑)




やってきたのは 明るくて優しいおっちゃんだった
日本人だと言うと「俺の車も日本製だ スズキだよ」と喜んでくれた



ここで諦めてホテルを探すよりは
タクシー移動中に休んで体力回復&猛暑の昼を回避できれば
先が見えてくるかもしれない


もちろん 少し休んだところで
探すホテルの位置が先延ばしになるだけかもしれないが…






自転車をそのまま乗せるのは 日本では嫌がられるものだが
チェーンやタイヤが車内に触れまくるのを全く気にせず乗せてくれた


走りながら お互いにカタコトの英語で
いろんな話をした
おっちゃんには3人の息子がいること
上から23歳 21歳 15歳で
全員すでに働いていること

スズキの車が いかに優秀かということ


すると不思議なことに だんだんとおっちゃんの声が遠くなっていき
気がついたら眠っていた







私は結局 再び走れるようになるまで4時間
おっちゃんの車で80kmも運んでもらった




「助けてくれてありがとう」
心からお礼を言うと
「俺は仕事をしただけだよ」
と言いながら 嬉しそうに笑った

そして
「これ買ってあげるから食べなよ!」
と指さすので そっちを見たら
それは露店のドリアンだった


あれはダメだ 特に今は
何がゲロだかわからなくなっちまう(笑)



「Far from Denpasar(ずいぶん遠くまで来たね)」
「I know(ほんとだね)」
カタコト同士 2人で顔を見合わせにっこりした

私「帰り道 気をつけて」
おっちゃん「そっちも気をつけて旅しろよ!」

そしておっちゃんは 見えなくなるまで見送ってくれた






そこから65km 5時間の道のりは
果てしなくしんどかった
でも気分は決して悪くはなかった







21時 ホテル着
着いたとたんに土砂降りとなった







シャワーを浴びて 洗濯をし
コーラを飲んで泥のように眠った



明日はもう少し走れるようになるのだろうか…


つづく☆



バリの旅・0日目。

2025年03月13日 18時12分02秒 | バリの旅2025



バリ島のホテルで ひたすらうなされていた


出発の6時間前に 体の違和感を感じて以来
下痢と嘔吐が止まらないのだ




体が 体内のものを全て吐き出したいと蠢き
上から下から ドバドバと
空っぽになるまで出ていった



一体どうしてこうなったのか?
自分は何をしに来たんだろうか?
頭の中から そんな疑問ばかりが溢れ出してくる







去年のフィリピン旅の経験は 自分にとって大きかったようで
キルギス
龍馬脱藩の道と
自分的には少し変化を感じられた

さらに一歩先へ行きたくて 今年の春修行は
インドネシア共和国のバリ島にやってきた



その一歩とは何かというと
動画を撮りながら旅をして 新しい作品の形を考えたかった





旅の初日は安全を考えて
近くのキレイめなレストランで食事をした
明日からの長距離に備えて 炭水化物をしっかり食べ
ホテルで出発の準備にとりかかる





自分の旅を どうやって撮影したら
どんな映像にできるのか?
それを探るのが今回の目的だ




前回のフィリピンでは
アクシデントだらけだったので(笑)
今回は完璧に行くぜ!
と思ってやってきたが
さっそく超ブルーなことを見つけてしまった






ペダルはクランクブラザーズなのに
クリート(ペダルと靴を連結する爪)がシマノやんけ!
シューズとペダルが固定できず
めっちゃ走りにくい というか走れない



先日の海外ロケの際 出演者のペダルを拝借する必要があって
初めてシマノのクリートに替えたのを忘れていたのだ…



いやーん
トラブル起きるの早すぎるだろ(笑)




ホテルの部屋で 唖然として
とりあえず五郎さんに報告したら
「絶望的ですけど 楽しそうですね」と返ってきた(笑)



チクショー
ブログの読者のみなさんの大好物案件ではないか…



しかしクランクブラザーズのクリートなんて
日本でも簡単に手に入らないのに
バリ島にあるわけがない



こりゃあ一体どうなるのかいな…
心配を胸にベッドに横になったら
ふと 体に違和感を感じ



トイレに行ったら そのまま下痢嘔吐祭りが始まったのだった








地獄だった
世界がぐわんぐわんと回って
胃がグニュー…グニュー…と暴れ続け
ゴジラのようにゲロをした




朝6時になって なんとか腹痛も吐き気もおさまったので
シャワーを浴び しがみつくようにベッドまで歩いた
出発予定時間だが どうしようか…






旅の予定はこうだった
全行程 518km
獲得標高 6453m
2日間で 東京と埼玉を合わせたぐらいの広さの島をぐるっと1周し
残り1日半で島の中央部にある世界遺産の棚田に立ち寄るプラン


初日は州都デンパサールから西へ150km 島の西端あたりの宿を目指すのだが




とりあえず チェックアウトの12時ギリギリまで眠って
その時点で考えよう








11時半に起きた時 なんとか歩く体力は回復したが
自転車に乗れるかどうかは分からなかった
この時点で選択肢は3つに絞られた


1、初日の移動をやめて休息日とし このまま連泊する
2、ペダル問題だけは解決すべく デンパサール(バリの州都)市内を走り
  少し先のホテルに泊まる
3、ペダル問題を解決し さらにダメもとで予定通り行ってみる


うーむ 悩ましい
外の気温は30度 脱水症状の自分には過酷な環境だ
しかもおそらく 固形物は胃が受け付けない



チェックアウトの12時まであとわずか
私が選んだ決断は…次回1日目に続く☆




歴史旅。

2025年03月11日 16時42分26秒 | おしごと日記
坂本龍馬 脱藩の道
前編をご覧いただいたみなさま
ありがとうございました


旧街道沿いで出会った人たちは ステキな人ばかりでした





檮原(ゆすはら)の六丁集落で出会った中越さん
とてもステキな女性だった
とにかく明るくて 常に笑顔
また必ず会いに行って お店で買い物をするのが私の目標となった





司牡丹の竹村社長
この方は本当にすごい
日本酒というものを ただ「酒」としてではなく
いろんな角度から考えられている


老舗日本酒蔵元「司牡丹」社長が語る裏バナシblog 「口は幸せのもと!」:幸せの言の葉<1909>

↑社長のブログは面白いので ぜひご一読を


ちなみに酒をまったく飲めない私でも
司牡丹の秋の限定酒「ひやおろし」は忘れられなくなるほど美味だった
まさにこだわりの職人が作った作品だと感じた








実はこの旅 急遽ロケが決まったものだった



放送予定だったツールド沖縄が スタート1分前に中止となり(泣)
急いで別なロケをすることとなった


すぐに準備できるものは 調べが進んでいた「龍馬脱藩の道」だが
茂山宗彦くん(以下もっちゃん)のスケジュールが問題だった
もっちゃんのスケジュールは
連続3日以上となると 半年以上前に押さえないといけないからだ



ダメもとでもっちゃんに相談したら
「お前の助けになるなら なんとかするぜ!」と言って
年末に3日間 スケジュールを開けてくれた





前後編2本分の撮影を わずか3日間で
しかも日が短いこの時期に撮影するのは
本当にしんどかったと思う
もっちゃんは我々と一緒に 昼飯も食べずに
ずっと撮影に付き合ってくれた



撮影が終わった時
私は何気なくこう聞いた
「よくこのタイミングで3日間開けられたね」


すると もっちゃんはこう言った
「結婚記念日だったからさ」





…なんということだ
もっちゃんは 結婚記念日に妻のゆうこりんと過ごす時間を
ぜんぶ撮影のために開けてくれたのだった



悪友よ 本当にありがとう
3日間 とても楽しかった
そして妻のゆうこりんにも 心よりの感謝を




後編も大好きな作品になっていますのでぜひ☆



準備。

2025年02月25日 20時05分12秒 | 自転車



去年の10月以降 トレーニングをやめていた
自分がレースに出るモチベーションが無くなってしまったからだ



見かねた五郎さんが
「ニセコに出ましょう」と誘ってくれた
たぶん 一度はロードレースを卒業しようと考えた五郎さんも
やっぱり目標が欲しかったのだと思う
同じ「卒業者」同士 道連れに誘ってくれたのだ




出るとなると お金もかかるし
何よりトレーニング時間を捻出する作業が始まるので
ずっと迷っていたが
ここはひとつ 流されてみようと
ポチッとエントリーした



というわけで 娘の習い事の待ち時間を利用したトレーニングが
また始まったのだった






トレーニングの途中
先日見かけた 火事の現場を通りがかると
焼けた家は 更地になっていた


更地を眺めて つっ立っていたら
おっちゃんが話しかけてきた


「更地になってしもうたで」


渋い顔して 半分泣いているようにも見えた


「人が亡くなったと聞きました」
私は話を少し掘り下げた
「娘さんがな。亡くなった。
 お母さんは助かった。買い物に出掛けておって、帰ってきたら家が燃えとった」


亡くなった母子がどんな方だったのか
予想したことを思い出した
母親が買い物に出掛けていたところまでは当たっていた


「亡くなった娘さんはどんな方だったんですか?」


おっちゃんは渋い顔して 首を横に振った


「よう知らん。あんまり付き合いがなかったで」






おっちゃんの家は 火事になった家の目と鼻の先だが
母子との交流はまったく無かったという
地域で完全に孤立していたようだった



あの日遠くから眺めた 立ちのぼる煙が
天に届いて流れていったのを思い出しながら
おっちゃんにお礼を言い 更地を後にした






来週末から 大事な旅があるので
タイヤを交換した


ここ2年間のブルベやフィリピンの旅など
パンクしたくない旅で大活躍したタイヤ
ピレリのチントゥラート 32C
結局6000km以上走ったと思う



よく見るとパンク一歩手前の傷がたくさんあった

重量も転がりも軽い上に
どんな悪路にも耐えてくれた 素晴らしいタイヤだったので
同じチントゥラートの35Cにした






これだけは去年からずっと続けている
腹筋ローラー
10秒4セットから始まって
現在10秒7セット
腹筋が育っていると信じたい(笑)





さて 来週末からどこに行くのかというと
海外ひとり旅に出掛けます

今回は旅を動画撮影しようと思っていて
先月ぐらいから機材をいろいろとテスト中
荷物を極限まで減らしつつ
撮影機材も持っていくところが難易度満点


3日半で ルートは500キロぐらい


それを編集して(仕事の合間に…)
どこかにアップするのが目標
新しいチャレンジというやつですな★

入れてくれるチームがあった。

2025年02月17日 23時53分19秒 | 自転車
2月に入ってから
気分はずっとブルーだった



なぜなら
レースにエントリーしているのに
全然走れていなかったから(笑)




12月 1月と
ひと月に600kmぐらいしか走れていなくて
しかも先日までの海外ロケでは
2週間で100kmしか走ってないのだ


帰国後 久しぶりにZWIFTしたら
去年までは楽勝だった90分走のペース(自分の場合180W)が
鬼のようにキツかった


毎朝 起きるたびに
今回は棄権しようと思ったのだが
友人が「会えるのが楽しみだ」と言うので
勇気を振り絞って会場へ向かった





神宮外苑クリテリウム
1周1kmのコースを12周…たった12kmのレースだが
クリテリウムがインターバル地獄なのは
以前出場した富士クリテで体験済みだ






絵画館の建物裏が 参加者の駐車場
筋肉モリモリの シュガーみたいなやつがいっぱいいて
戦意喪失(笑)


その中に友人を発見





ご存じ 伊織先生



会って早々「あーーーーシューズのインソールを忘れたーー!」と騒いでいる
元気なやつだ(笑)



実は去年の末ごろ
私を入れてくれるチームがないものかと探していたら
男子部のヤッシーと伊織のチーム「MKW」が
入れてくれるというではないか





と言うことで 今年は「MKW」のメンバーとして走らせてもらうのだ


ちなみに MKWとは「三河」の頭文字で
メンバーのほとんどが愛知県あたりに住んでいる
恐ろしいほど強いチームで
実業団年間成績はトップクラス
よくもまあヘナチョコを入れてくれたもんだ



チームの若者たちには
私はただの自転車好きおじさんということになっているので
チームの偉い人である伊織先生とタメ口でしゃべる私を
「誰なんだこの人?」という目でじーっと見ていた(笑)






会場に来ているプロ選手たちに会いに行ったが
MKWのジャージを着て歩いていると
誰も自分に気付かない(笑)






気付いてくれた第1号は





宮澤タカシ監督

第一声は
「ええー! 何やってんすか?」
だった(笑)






シマノの香山飛龍くんも気付いてくれた






ラヴニールでレースを一緒に走った
(私はモトだけどw)
山田拓海くん

にっこり笑ってエスプレッソをくれた







午前9時 コース試走


東京のど真ん中 外苑前を貸切で走れるなんて
すばらしい贅沢だった
この15分の試走だけで 参加費を払った甲斐があったと思った
ズル休みしないでよかった(笑)


コースはうまく走ればノーブレーキで行ける
つまり 集団でうまく走れれば
最後まで走り切れる可能性がある


楽しみだ







午前10時35分 レースが始まった


MKW最年長(!)の私が走るのは
マスターズクラス
参加者30人ほど
みんな体がでかい(笑)
だが私も冬の間に育てた 人生最大体重(62kg)だ
いつもよりは大きく見えていることだろう


スタートダッシュを警戒したが
さすがマスターズクラス
ほどほどのアタックで 安全に第1コーナーを回る





コースはこんな感じ
2つある90度コーナーでは アタックに警戒する
それ以外のアタックは 他人に追わせて脚を温存
中切れ(前の選手が集団から千切れて距離が開くこと)に会わないよう
脚が無くなりかけている選手の後ろには着かないこと


とにかく「温存」
今日の自分にはこれしか選択肢がないのである(笑)





集団前方で 時おりアタックがかかるが
追いかけるライバルをうまく利用して 風よけにする
1周目が終わって 平均パワーは277W
600W程度のアタックが2回かかるが
なんとか着いて行けるかもしれない



ポジションは自分のペースで走りやすい最後尾
しかし常に数人は横と後ろを走らせておく
前でアタックがかかり 中切れが起こっても
誰かが追いかけてくれるから



中盤 走り方がわかってきて
平均パワーは207Wまで落ちた
脚に余裕が出てきたぞ



すると
前の方から誰かが降りてきた



伊織だ



私を見つけて 笑顔で何か話しかけてくるが
風でうまく聞こえない
かなり余裕そうだ
やっぱり強いんだなあと感心する



8周目ぐらい
伊織が突然 集団から飛び出していった
まさかここから逃げるのか? と思ったら
20秒ぐらいでアタックをやめて 戻ってきた


今のはなんだったんだ?
チームのメンバーのためにアタックして
ライバルの脚を削ろうとしたのか?


伊織が10秒1000Wでアタックしても
集団の中にいる私は 5秒300W程度のアタックで対応できてしまい
何のダメージも食らわなかった
平坦のレースというのは ここまでアタックの効果が薄まってしまうのか…


伊織はそれから3回ぐらい
アタックを繰り返していた
20秒ほどでアタックを止めることも
知られている様子だった


あの脚 とっておけば良いのに






あと2周ぐらいか…
最後はどんなアタックがかかるんだろうか?
必死でもがいても千切れるほどの絶望が待っているのだろうか?


伊織がまたアタックしていった
このまま残り1周半を逃げ切るつもりか?
やっぱりすごいな伊織は!
…と思ったら
30秒ぐらいでオールアウトして
集団から千切れていった
早すぎるだろ!



実はその周は 最終周回だった
私は脚を残したまま 何もせずゴールした





なんてこった
この残った脚を 伊織のために使うんだった
伊織を20秒ぐらいは引くことができたはずだ
後で聞いたら 残り周回数がゴール地点に表示されてたらしい
勉強になりました…






撃沈して 「やっちまったー」とうれしそうな伊織(笑)


同じMKWのザッキーさんは
本気で勝ちたかったようで めちゃくちゃ悔しそうだった



ただ生き残って 完走が目標の奴なんて
このチームにはいないのだ




27位/31人中


無事に完走しただけで 個人的には合格(笑)





今年最後の実業団レースになりませんように



帰国したがよ。

2025年02月10日 22時48分36秒 | 自転車



帰路はずっと曇天だった


空から見る景色が大好きで
ずっと見ていられる
中央アジアの上空で 雲間から透けて見える街明かりの多さに驚いた
次はこのあたりを旅してみたいと思いながら






ヨーロッパに行くたびに
自分はここじゃ暮らせねえなあ と思う

こちらで暮らしている日本人は
とにかく押しが強い人が多い
それは自分の意見をただ押し通すという意味ではなく
思ったことをその瞬間に声に出せる能力だ


自分のように 口下手で
熟考してからようやくボソボソと口に出すような人は
見たことがない



だが逆に
その強さは日本では嫌がられるような気がした




自分はどうしても 海外で働く=優秀 と思いがちだったが
とどのつまりは 優劣とかではなく
自分にとって気分がいい場所を探しているだけなのだと思った







物価があまりに高いので
ホテルをあきらめ一軒家を借りたら
これが大正解





25年ぶりに来た街
何も変わってなかった






明るくなるのが朝9時
日没は16時
時間がなさすぎて その7時間は
アタマをフル回転させていたので
毎日ヘトヘトだった


ぜんぜん自転車に乗ってないのに





自転車専用信号
歩行者とも自動車とも別れて動いている
青信号の時間が一瞬すぎて
何度も見逃した(笑)






ロケ中は時間がなくて ほとんど行ったことがなかった
海外の自転車店


この店はすごかった




ASSOS
Rapha
GOBIK
MAAP
SANTINI
......

知っているウェアはほとんど置いてあった





超高級シューズNIMBLの実物を初めて見た
BONTに作りがとても似ていた

すわ、買いか? と思ったが
円安のため10万円オーバー
日本で買う方が安かった






ホイールは 円安でもこちらの方が遥かに安かった

この差は輸入代理店によるのかな?
NIMBLEの代理店が頑張っているということか?





「ミケ」のコンポが並んでいるのを
初めて見た





16ー30の12速スプロケ
シマノのフリー対応
そのうち出演者のブログに出てくると思います






私が愛用している「MILKIT」のバルブと同じく
シーラントが噴き出して来ない機構のやつ
初めて見たので買ってみた






これまた見たことないソックス
こうやって家にソックスが溜まっていく(笑)






細かい情報は オンエアが近づいたら報告しますね





さあ今週末は神宮クリテリウムにエントリーしているのだが…
まったく走れる気がしない(笑)

出発前夜。

2025年01月30日 00時53分54秒 | おしごと日記


あと5時間後にはロケに出発というのに
まだ編集室にいる
出発前に終わらせたい仕事が終わらないのである



なぜ終わらないかというと
自分で納得がいかないからだ
チェックはすでに通っているのだが
もう一歩 面白くできる気がするのだ



ナレーションの一言で 番組はガラリと変わる
そのナレーションが思い浮かばない






去年の秋にオフシーズンに入ってから続いていた「食べ放題期間」を
1月になって ようやく終わらせた
そろそろ準備しないと 夏のレースで走れなくなる


私のダイエットの味方・ピーナッツバターの写真を載せたら
見た目がう◯こにしか見えないではないか
食事中だったらすみません(笑)






トレーニングもほとんどできず
ひたすら通勤で走るのみ…
知らない田舎の神社巡りしたいなあ




編集室でナレーションを考えていたら
東京に来ている伊織から
「お茶でもしましょう」と連絡が来る
「深夜3時なら」と言ったら 断られた(笑)




あと2時間で その3時
なんとか終わらせ帰宅して 風呂に入って荷物チェック
6時に家を出て ちょっと遠くに行ってきます


行きの飛行機は爆睡確定だな


コケた。

2025年01月19日 21時44分25秒 | 自転車
年末年始は ほとんど自転車に乗らず
もちろんトレーニングもしなかった
このままではいかんと 重い腰をあげて走りに行った



娘を習い事に送って 待っている間
江戸川の土手を走る
気温は8度だが
天気が良いので心地よい






埼玉の松伏町で 竹林のカフェを見つけた






飾ってあるジャージを見て
ここが織田聖選手のふるさとだったことを思い出した





サイクリング道路沿いの 自転車で立ち寄れるカフェ
こういう場所は貴重なので できるだけお金を落として行きたい






頼めるメニューがあってよかった


はちみつパンとコーヒーで600円
また来よう











その帰り道



サイクリングロードを走るママチャリがいた



乗っているのはガニ股のおっちゃんだ
フラついてはいないが 念のため少し距離を空けて
スピードを落とし
「右行きまーす」と声かけた



その瞬間



おっちゃんが突然 まさかの右折をしたのである(笑)



「ぬおおおお!」
私はピンポイントで右折したおっちゃんに突っ込み
盛大に右側にコケた
自転車がガリガリと音を立てた



スピードを落とさずに走り抜いていれば
切り抜けられたのだろうか…
判断とは難しいものである
周りにいた散歩中の人たちが
「大丈夫ですか」と起こしてくれた
おっちゃんは「私は大丈夫です」と立ち上がって
私に「大丈夫ですか?」と聞いた



「大丈夫なわけないでしょ!
 めっちゃ痛いよ!
 右に曲がるなら合図出してくれよ!」


私は大人げなく声を上げてしまった



おっちゃんは半笑いでこう答えた
「私はあそこの道に曲がりたかっただけだから」




見るとそこには
土手を降りる細道があった






私は自転車を確認した
エンドが折れて ディレーラーがホイールに当たり
カラカラ鳴っていた


ディレーラーが壊れたら面倒だなあと思ったが
おっちゃんの一言があまりに衝撃的で
私は怒りを忘れて考え込んでしまった



おっちゃんは
曲がりたかっただけだから
右に曲がった
そこにたまたま私がいた







事故というのはお互いに「相手が悪い」と思うものだ
例えば追突された前の人がコケた場合
前の人は「後ろが突っ込んできた」と言うし
後ろの人は「前が突然止まりやがった」と言う
そして実際に警察を呼んだところで「お互いに相談してください」と言われて終わる





おっちゃんは元気そうだったし
お互い大事に至らなかったのが不幸中の幸い
そして自転車を追い抜く怖さを学んだ









あれから何度も ぶつかる瞬間を思い出す
どうしたらぶつかるのを防げたか?
何度リプレイしても「ありゃ無理だ」と思ってしまうが

とりあえず次は右折されても大丈夫なように
3m以上離れて追い抜くようにしよう
あとは「むやみに鳴らしてはいけない」とされる
ベルを鳴らしまくるしかないな





私はおっちゃんに
「自転車に乗るなら 合図を出してください
 それができないなら せめて後ろは確認してください」
とお願いした
「わかりました それはマナーですからね」
とおっちゃんは答えたが
顔には「不服だ」と書いてあった(笑)






怪我はまあまあひどくて
右脚が痛くて体重をかけられない
去年できた右ケツの擦過傷の上に また大きな擦過傷ができてしまった


去年のギックリ腰といい どうしてロケ直前に怪我をするかなあ






そしてどなたか
ガリガリになったレバーを綺麗にする方法があったら
教えてください(泣)

続・河内賞。

2025年01月13日 21時58分06秒 | おしごと日記
以前 会社の大先輩・河内さんから
メールをもらったことを書いた


五郎さんの高知旅を とても褒めてくれて
「また放送があればお知らせください」と言ってくれた



河内さんは 私が入社した頃すでに60代なかばの大先輩で
どんな大物出演者とも対等に渡り合い
どんな緊迫した現場でもニコニコと余裕で
この世は全て日常の延長であるのだと思わせてくれた
まさに神ディレクターである





その河内さんから キルギス旅への感想が届いた



林さま
 楽しい番組のお知らせありがとう! とても心地良く拝見いたしました。
 キルギスの風景にも心惹かれましたが、出会った人々の表情が(なかなかお眼にかかれなくなった)独特のやさしさがあって、心に残ります。
お医者さんになるといった少女の遠くを見つめる表情、遊牧の仕事は自分一代とずっしりと受け止めている母親のことば。
また、ナンを焼いている男性にはなぜか特に近親感が湧いてきました(お饅頭やさんの店先で紅葉形の焼き印を押している親父さんのような…)。
 出会った人々の切り取り方に林さんのやさしい眼を感じました。その眼と、自転車ならではのリズムとスピード感が、この番組が伝えてくれた「素敵なメッセージ」でした。

*ひとつだけ、諸般の事情あってのうえでしょうが、背景音楽をもう少し倹約出来るとよかったなあ、と。
 もちろん、この取材がものすごく大変だったに違いないのを充分くみ取って上のことですが、どこかで「自然の大気・サウンド」を(息づかいの迫力と同じように)挿入出来たらなあ!と、いまだに実用自転車で街を走り回っている「老・チャリダー」からの余計なひとことでした。
 これからも、林さんの眼と(耳)で切り取った世界を見せてください!! 楽しみに待ってます。


※河内さんの許可を得て掲載しています





河内さんからのメッセージを読んで
とにかくワクワクがとまらなかった
こんなに前向きなダメ出しをしてもらったのが
久しぶりだったからだ



「つまらなかった」というような意見をもらうことはある
でも 面白くするにはどうしたら良いかは 教えてくれない人がほとんどだ


なぜなら 文句を言うことは
世の中でいちばん楽な行為だからだ


そして「どうしたら良くなるか」を言えるようになるには
血の滲むような努力が必要になるからだ








文句を言うことには 何の努力もいらない

楽してものを言う人に「じゃあどうすれば良いのか教えてほしい」と聞くと
「それはお前が考えることだ」と
これまた何の努力もいらない言葉が返ってくる(笑)


だから 河内さんのように「どうしたらもっと良くなるか」を言ってくれる人は
とても少なく貴重だ
その言葉のベースには 凄まじい努力と経験が敷き詰められている


そんな人から言葉をもらえるなんて
ワクワクが止まらない






カメラマン兼ディレクターとして行くと
どうしても音声は手薄になる
カメラに高性能なマイクを取り付けたら
あとはオートで録音するしかできない
カメラを回しながら 出演者の会話を理解し
番組構成を考え 次の質問を考え
画角とピントを操作する
その上 音声レベルまで操作することは私にはできない






現場で音声がきちんと録れていないと
編集で音楽に頼ることになる
旅情をかき立てる現場音が録れていたら
音楽は流さないと思う


音声さんを連れて行けば良いだけの話だが
スタッフが1人増えると 車両を大きくする必要がある
となると 場合によっては車両が2台体制となり
一気に動きが重くなる





どうしようもないのだが
これがクリアできたら
番組のレベルが1段上がるかもしれないと思うと
ワクワクする



河内さん ありがとうございます
今年の目標となる大きなプレゼントをいただきました




しかしやっぱり難しい
どうしたら良いかは これから考えるとしよう(笑)






悪い癖。

2025年01月06日 22時47分10秒 | 自転車
トレーニングの途中で 火事に遭遇した



黒煙は遠くからもよく見えた
垂直に登ったあと 天井にぶつかったように水平に流れ
青い空に混ざり合っていく






燃えていたのは 小さな家だった


築70年は経っているような古い木造の二階建てが
柱だけを残した無惨な姿になって
ところどころに炎が残っていた



何かを見ると 分析をしたくなるのが
私の悪い癖である
走りながらしばらく 火事に遭った家のことを考えていた








田んぼに囲まれた小さな集落で起こった
小さく古い家の火事



野次馬たち(大勢いた)の話し声を聞きかじった情報によると
住んでいたのは母子2人らしい
母は70代 娘は50代で
娘との連絡が取れず
消防団員2人が
「もうお亡くなりになっていると思うんすよ」と話していた


たまたま耳に入ってきた情報しかないが
分析を始めるには十分である




・この農村であの広さと古さの建物で暮らしているのは
 かなり貧しかったことが予想される
・敷地内に農機具がある気配がなかったため
 2人は農家ではなかった可能性がある
・母子2人とも まだ働ける年齢であるのに貧しい暮らしをしていたとすると
 どちらかに知的障害や身体障害のあった可能性がある
・連絡が取れない娘が火事から逃げられなかったことから
 何らかの障害を抱えていたのは娘だった可能性がある
・母親の姿は 現場では(私が通りすがった範囲では)見かけなかった
 救急車で運ばれたか もしくは出かけていて戻ってきていないのか
・現場に近づく間に聞こえたのは消防車のサイレンだけで
 救急車の音は聞こえず 現場近くで待機する救急車が1台いたのみ
 母親は出かけており まだ戻ってきていない可能性もある



家の塀はトタンでできており
どこが入り口なのか分からないほど隙間なく囲っていた
まるで他人を寄せ付けたくないと言っているように



ここまで考えて 私は想像した
知的障害を抱える娘と 生活保護で生計を立てている母が
近所との付き合いもほとんどなく 2人でひっそりと暮らしている
母親が正月明けの買い物に出かけたとき
娘がストーブの火を何かに移してしまった
娘は慌てる
「お母さんに怒られる」
知的障害のある娘にとって 母親は世界そのものだったに違いない
「お母さんが戻る前に 火を消さなきゃいけない」
だが火はみるみる広がり
娘は煙を吸い込み気を失った


・・・・・・・・・・・・


すみません
完全なる想像でしかありませんが
あの火事を見て 私はそんなことを考えていました





再び遠く離れた黒い煙を眺めて
あの煙は娘さんを空に運んでいたのだなあと
胸が痛かった



母親の心痛はいかばかりか…と思ったが
ここは一番分からないところだった
母親は介護に疲れていて 娘が亡くなったことにホッとしている…
という可能性もゼロではない
他人の家族関係ほど難しいものはない






物や状況を見て人物を想像することは
私の職業病のようなものだ
例えば その人の着ている服や持ち物から
どんな暮らしをして どんな趣味を持っているのか
何を目標に生きているのか
何を褒めたら喜んでくれるのかを考えておくと
インタビューが深く切り込める


だからつい 普段からこうしてあれこれ想像してしまう
まったく悪い癖である

やりたいこと。

2025年01月03日 22時54分31秒 | おしごと日記
今年やりたいことがいくつかある


やってみたい番組企画もあるが
個人的にはプライベート旅を撮影してみたい


去年のフィリピン旅のようなやつを撮影して
短いVTRにしたらどうなるか 実験してみたいのだ



私は人前に出るのが苦手なので
これまで頑なに出演を拒んできたのだが
先日 とてもえらい人に「君はやったほうがいい」と言われた


うーむ…
それならちょっと試してみるか ということで
次のプライベート旅の計画を始めた






行きたい場所は2つ
中国・雲南省のシャングリラと
同じく中国東北部の鞍山だ





シャングリラは標高3000mを超えるエリアにあるので
真夏に行きたいところだが
時間が作れる3月では寒さが厳しいので断念






鞍山は 中国・遼寧省にある大都市で
かつて満州国と呼ばれた時代に 私の祖父が暮らしていた場所だ






鞍山に今もある 巨大な製鉄所


当時は昭和製鉄所と言ったそうで
祖父はここで働いていた
どれぐらいの地位だったかは 聞かなかったが
戦後 戦艦ミズーリに呼ばれて尋問を受けたというので
平社員ではなかったと思う



当時の日本は 乏しい資源を得るために
他国から奪い取ることを考えたようで
昭和製鉄所は国を挙げた大プロジェクトだったようだ
そこに 製鉄の技術者だった祖父は雇われたか何かで
家族で鞍山に移り住んだ



私が祖父から聞いたことは たった1つのエピソード
日本が戦争に敗れ 製鉄所をソ連に明け渡すことになった時
多くの日本人が 製鉄所を破壊しようと主張した
敵に財産を譲り渡すことを よしとしなかったのだ
だが 祖父は製鉄所を無傷で明け渡すことを主張した
そして製鉄所は無傷でソ連の手に渡り
今は中国の企業として操業を続けているという




どうして工場をそのまま明け渡そうと言ったのか
高校生だった私は 祖父からその理由を聞かなかった
これは想像でしかないが もしも工場を破壊していたら
鞍山の日本人たちは無事に帰国できなかったのではないかと思う




そんな祖父の思い出の地を 一度見てみたかった
だが ここも3月は寒すぎて断念
しかも中国の観光ビザを取らねば見に行けないので さらに断念




いろいろ難しいもんだ
とりあえず今年は3月に行きやすい場所で
カンタンに撮ってみることになりそうだ…

寝正月。

2025年01月01日 22時04分08秒 | 自転車
年末はロケからの体調不良で
ずっと寝て過ごした



自分はきっと貧乏性なのだろう
ロケに行くと 少しでも番組が良くなるようにと働いてしまう



↑ロケ先 どこかわかった人は素晴らしい地理感覚をお持ちです










撮影後 食事が終わってホテルについて
出演者のバイクとウェアを整備洗濯していたら
あることに気づき ハッとした


部屋のカギをロックインしたことに気付いてしまったのだ(笑)





時間はすでに深夜1時
ホテルのフロントは閉まって 電話も通じない


「マジかよ…」
大量の洗濯物と一緒にホテルのロビーに置き去りになった








「こんなことでブルーになってたまるか!」
私はこの状況を楽しむことにした


まずは誰もいないロビーに洗濯物を広げて干し
床でゆっくりストレッチをした





結局 朝5時になってようやく部屋を開けてもらい
6時半の出発には間に合ったが
次の日はダルかった






まあそんなことしてるから疲れるわけで(笑)
年末はひたすら寝ていた






31日の深夜は 恒例の年越しライドへ
ひたすら地図を見ずに 東京を走り回る





ロケが終わってずっと寝ていたので
実は久しぶりのライド
30kmがものすごく遠く感じた
でも 自転車に乗ったら心の垢がすっ飛んでいった気がした



新年になったとて 自分は何も変わりはしませんが
ぼちぼち頑張っていこうと思います★


※読み返したらあまりに冗長だったので
 2つに分けました(笑)