乗鞍スペシャルをご覧いただいたみなさま。
ありがとうございました!
おおむね好評で、ホッとしてはいますが、
放送を終えて、私の頭の中には、
「もっといろいろ出来たのではないか」
「いや、今はこれが精一杯だったのではないか」
そんな思いがぐるぐるしています。
きょうはそんなお話です。
チャリダーのメインカメラマンの総ちゃんが、VTRを見て、
五郎さんの取材映像がダントツ良かった、と言っていた。
他の若いカメラマンが撮ったと思ったらしく、
「あいつ、こんな映像撮るのか!」と「嫉妬」したらしい。
五郎さんの映像、実は私が撮ったのよ、と言ったら
「なーんだ、安心した」と笑ってた。
実はこれ、深い問題をはらんでいると思うのです。
なぜ私の映像が「良い」と感じたのか?
思うにそれは、撮影のテクニックとかではなく、
取材相手に対する想いの深さの差ではなかろうか。
カメラマンやディレクターの「腕」には
いろいろあって、
「露出やシャッタースピードの選び方」
「画角の切り取り方」
「どこを背景にし、何を手前に写し込むか」
などのテクニック的なものから、
「相手をリラックスさせる」
「相手の本音を聞き出す」
「相手の動きとカメラの動きを同調させる」
といった心理的なものまであります。
強い画が撮れる時って、
まず取材相手に対して大きな愛情があって、
それが相手に伝わり、良い表情、ステキな言葉、
気持ち良い空気を撮ることができると思うのです。
たぶん、他のカメラマンたちに比べて、
私のそれが強かった。
だから総ちゃんが「五郎さんの映像が良い」と感じるものが
撮れたのだと思う。
これが顕著に現れたのが、
乗鞍本番のレース映像。
はっきり言って、レースの映像は良くなかった。
映像からは、カメラマンが「何を撮ったら良いかわからない」
と思っているのが、はっきりと伝わってきた。
前半から飛び出した田崎さんが、どんな思いで後ろを振り返っていたか。
それに同調して飛び出そうとした五郎さんが、どんな表情をしていたか。
その田崎さんがいったん集団に戻り、次のアタックのチャンスをどんな気持ちで伺っていたか。
後方スタートから2km地点までに徐々にポジションを上げてきた森本さんの心境。
6キロ地点の矢部さんの強烈なアタックに反応した2人の選手の心境。
イノッチが何に追いつこうとして高出力で走っていたのか。
足が無くなったイノッチがどんな思いで付き位置で走っているのか。
これらは、撮れるチャンスがありながら、撮り逃したもの。
もちろん後から言うことは易しいし、全部撮れとは言わない。
しかし、カメラマンが走る彼らの気持ちになって撮っていたら、
いくつかは撮れたはず。
我々のチームはおそらく、
選手たちの気持ちに追いつくだけの気迫で
撮ってはいなかったのです。
撮れ高の低さが分かってから、
編集室は戦場でした。
この一ヶ月、ほとんど寝なかった。
全力で編集して、なんとか放送にこぎつけた。
撮った映像に対する責任は、ディレクターにあります。
この口惜しさ、この猛反省は、
次にレースを撮る時に生かしたいと思います。