自転車ひとり旅★

自転車大好きなTVディレクター日記。

出発前夜。

2025年01月30日 00時53分54秒 | おしごと日記


あと5時間後にはロケに出発というのに
まだ編集室にいる
出発前に終わらせたい仕事が終わらないのである



なぜ終わらないかというと
自分で納得がいかないからだ
チェックはすでに通っているのだが
もう一歩 面白くできる気がするのだ



ナレーションの一言で 番組はガラリと変わる
そのナレーションが思い浮かばない






去年の秋にオフシーズンに入ってから続いていた「食べ放題期間」を
1月になって ようやく終わらせた
そろそろ準備しないと 夏のレースで走れなくなる


私のダイエットの味方・ピーナッツバターの写真を載せたら
見た目がう◯こにしか見えないではないか
食事中だったらすみません(笑)






トレーニングもほとんどできず
ひたすら通勤で走るのみ…
知らない田舎の神社巡りしたいなあ




編集室でナレーションを考えていたら
東京に来ている伊織から
「お茶でもしましょう」と連絡が来る
「深夜3時なら」と言ったら 断られた(笑)




あと2時間で その3時
なんとか終わらせ帰宅して 風呂に入って荷物チェック
6時に家を出て ちょっと遠くに行ってきます


行きの飛行機は爆睡確定だな


コケた。

2025年01月19日 21時44分25秒 | 自転車
年末年始は ほとんど自転車に乗らず
もちろんトレーニングもしなかった
このままではいかんと 重い腰をあげて走りに行った



娘を習い事に送って 待っている間
江戸川の土手を走る
気温は8度だが
天気が良いので心地よい






埼玉の松伏町で 竹林のカフェを見つけた






飾ってあるジャージを見て
ここが織田聖選手のふるさとだったことを思い出した





サイクリング道路沿いの 自転車で立ち寄れるカフェ
こういう場所は貴重なので できるだけお金を落として行きたい






頼めるメニューがあってよかった


はちみつパンとコーヒーで600円
また来よう











その帰り道



サイクリングロードを走るママチャリがいた



乗っているのはガニ股のおっちゃんだ
フラついてはいないが 念のため少し距離を空けて
スピードを落とし
「右行きまーす」と声かけた



その瞬間



おっちゃんが突然 まさかの右折をしたのである(笑)



「ぬおおおお!」
私はピンポイントで右折したおっちゃんに突っ込み
盛大に右側にコケた
自転車がガリガリと音を立てた



スピードを落とさずに走り抜いていれば
切り抜けられたのだろうか…
判断とは難しいものである
周りにいた散歩中の人たちが
「大丈夫ですか」と起こしてくれた
おっちゃんは「私は大丈夫です」と立ち上がって
私に「大丈夫ですか?」と聞いた



「大丈夫なわけないでしょ!
 めっちゃ痛いよ!
 右に曲がるなら合図出してくれよ!」


私は大人げなく声を上げてしまった



おっちゃんは半笑いでこう答えた
「私はあそこの道に曲がりたかっただけだから」




見るとそこには
土手を降りる細道があった






私は自転車を確認した
エンドが折れて ディレーラーがホイールに当たり
カラカラ鳴っていた


ディレーラーが壊れたら面倒だなあと思ったが
おっちゃんの一言があまりに衝撃的で
私は怒りを忘れて考え込んでしまった



おっちゃんは
曲がりたかっただけだから
右に曲がった
そこにたまたま私がいた







事故というのはお互いに「相手が悪い」と思うものだ
例えば追突された前の人がコケた場合
前の人は「後ろが突っ込んできた」と言うし
後ろの人は「前が突然止まりやがった」と言う
そして実際に警察を呼んだところで「お互いに相談してください」と言われて終わる





おっちゃんは元気そうだったし
お互い大事に至らなかったのが不幸中の幸い
そして自転車を追い抜く怖さを学んだ









あれから何度も ぶつかる瞬間を思い出す
どうしたらぶつかるのを防げたか?
何度リプレイしても「ありゃ無理だ」と思ってしまうが

とりあえず次は右折されても大丈夫なように
3m以上離れて追い抜くようにしよう
あとは「むやみに鳴らしてはいけない」とされる
ベルを鳴らしまくるしかないな





私はおっちゃんに
「自転車に乗るなら 合図を出してください
 それができないなら せめて後ろは確認してください」
とお願いした
「わかりました それはマナーですからね」
とおっちゃんは答えたが
顔には「不服だ」と書いてあった(笑)






怪我はまあまあひどくて
右脚が痛くて体重をかけられない
去年できた右ケツの擦過傷の上に また大きな擦過傷ができてしまった


去年のギックリ腰といい どうしてロケ直前に怪我をするかなあ






そしてどなたか
ガリガリになったレバーを綺麗にする方法があったら
教えてください(泣)

続・河内賞。

2025年01月13日 21時58分06秒 | おしごと日記
以前 会社の大先輩・河内さんから
メールをもらったことを書いた


五郎さんの高知旅を とても褒めてくれて
「また放送があればお知らせください」と言ってくれた



河内さんは 私が入社した頃すでに60代なかばの大先輩で
どんな大物出演者とも対等に渡り合い
どんな緊迫した現場でもニコニコと余裕で
この世は全て日常の延長であるのだと思わせてくれた
まさに神ディレクターである





その河内さんから キルギス旅への感想が届いた



林さま
 楽しい番組のお知らせありがとう! とても心地良く拝見いたしました。
 キルギスの風景にも心惹かれましたが、出会った人々の表情が(なかなかお眼にかかれなくなった)独特のやさしさがあって、心に残ります。
お医者さんになるといった少女の遠くを見つめる表情、遊牧の仕事は自分一代とずっしりと受け止めている母親のことば。
また、ナンを焼いている男性にはなぜか特に近親感が湧いてきました(お饅頭やさんの店先で紅葉形の焼き印を押している親父さんのような…)。
 出会った人々の切り取り方に林さんのやさしい眼を感じました。その眼と、自転車ならではのリズムとスピード感が、この番組が伝えてくれた「素敵なメッセージ」でした。

*ひとつだけ、諸般の事情あってのうえでしょうが、背景音楽をもう少し倹約出来るとよかったなあ、と。
 もちろん、この取材がものすごく大変だったに違いないのを充分くみ取って上のことですが、どこかで「自然の大気・サウンド」を(息づかいの迫力と同じように)挿入出来たらなあ!と、いまだに実用自転車で街を走り回っている「老・チャリダー」からの余計なひとことでした。
 これからも、林さんの眼と(耳)で切り取った世界を見せてください!! 楽しみに待ってます。


※河内さんの許可を得て掲載しています





河内さんからのメッセージを読んで
とにかくワクワクがとまらなかった
こんなに前向きなダメ出しをしてもらったのが
久しぶりだったからだ



「つまらなかった」というような意見をもらうことはある
でも 面白くするにはどうしたら良いかは 教えてくれない人がほとんどだ


なぜなら 文句を言うことは
世の中でいちばん楽な行為だからだ


そして「どうしたら良くなるか」を言えるようになるには
血の滲むような努力が必要になるからだ








文句を言うことには 何の努力もいらない

楽してものを言う人に「じゃあどうすれば良いのか教えてほしい」と聞くと
「それはお前が考えることだ」と
これまた何の努力もいらない言葉が返ってくる(笑)


だから 河内さんのように「どうしたらもっと良くなるか」を言ってくれる人は
とても少なく貴重だ
その言葉のベースには 凄まじい努力と経験が敷き詰められている


そんな人から言葉をもらえるなんて
ワクワクが止まらない






カメラマン兼ディレクターとして行くと
どうしても音声は手薄になる
カメラに高性能なマイクを取り付けたら
あとはオートで録音するしかできない
カメラを回しながら 出演者の会話を理解し
番組構成を考え 次の質問を考え
画角とピントを操作する
その上 音声レベルまで操作することは私にはできない






現場で音声がきちんと録れていないと
編集で音楽に頼ることになる
旅情をかき立てる現場音が録れていたら
音楽は流さないと思う


音声さんを連れて行けば良いだけの話だが
スタッフが1人増えると 車両を大きくする必要がある
となると 場合によっては車両が2台体制となり
一気に動きが重くなる





どうしようもないのだが
これがクリアできたら
番組のレベルが1段上がるかもしれないと思うと
ワクワクする



河内さん ありがとうございます
今年の目標となる大きなプレゼントをいただきました




しかしやっぱり難しい
どうしたら良いかは これから考えるとしよう(笑)






悪い癖。

2025年01月06日 22時47分10秒 | 自転車
トレーニングの途中で 火事に遭遇した



黒煙は遠くからもよく見えた
垂直に登ったあと 天井にぶつかったように水平に流れ
青い空に混ざり合っていく






燃えていたのは 小さな家だった


築70年は経っているような古い木造の二階建てが
柱だけを残した無惨な姿になって
ところどころに炎が残っていた



何かを見ると 分析をしたくなるのが
私の悪い癖である
走りながらしばらく 火事に遭った家のことを考えていた








田んぼに囲まれた小さな集落で起こった
小さく古い家の火事



野次馬たち(大勢いた)の話し声を聞きかじった情報によると
住んでいたのは母子2人らしい
母は70代 娘は50代で
娘との連絡が取れず
消防団員2人が
「もうお亡くなりになっていると思うんすよ」と話していた


たまたま耳に入ってきた情報しかないが
分析を始めるには十分である




・この農村であの広さと古さの建物で暮らしているのは
 かなり貧しかったことが予想される
・敷地内に農機具がある気配がなかったため
 2人は農家ではなかった可能性がある
・母子2人とも まだ働ける年齢であるのに貧しい暮らしをしていたとすると
 どちらかに知的障害や身体障害のあった可能性がある
・連絡が取れない娘が火事から逃げられなかったことから
 何らかの障害を抱えていたのは娘だった可能性がある
・母親の姿は 現場では(私が通りすがった範囲では)見かけなかった
 救急車で運ばれたか もしくは出かけていて戻ってきていないのか
・現場に近づく間に聞こえたのは消防車のサイレンだけで
 救急車の音は聞こえず 現場近くで待機する救急車が1台いたのみ
 母親は出かけており まだ戻ってきていない可能性もある



家の塀はトタンでできており
どこが入り口なのか分からないほど隙間なく囲っていた
まるで他人を寄せ付けたくないと言っているように



ここまで考えて 私は想像した
知的障害を抱える娘と 生活保護で生計を立てている母が
近所との付き合いもほとんどなく 2人でひっそりと暮らしている
母親が正月明けの買い物に出かけたとき
娘がストーブの火を何かに移してしまった
娘は慌てる
「お母さんに怒られる」
知的障害のある娘にとって 母親は世界そのものだったに違いない
「お母さんが戻る前に 火を消さなきゃいけない」
だが火はみるみる広がり
娘は煙を吸い込み気を失った


・・・・・・・・・・・・


すみません
完全なる想像でしかありませんが
あの火事を見て 私はそんなことを考えていました





再び遠く離れた黒い煙を眺めて
あの煙は娘さんを空に運んでいたのだなあと
胸が痛かった



母親の心痛はいかばかりか…と思ったが
ここは一番分からないところだった
母親は介護に疲れていて 娘が亡くなったことにホッとしている…
という可能性もゼロではない
他人の家族関係ほど難しいものはない






物や状況を見て人物を想像することは
私の職業病のようなものだ
例えば その人の着ている服や持ち物から
どんな暮らしをして どんな趣味を持っているのか
何を目標に生きているのか
何を褒めたら喜んでくれるのかを考えておくと
インタビューが深く切り込める


だからつい 普段からこうしてあれこれ想像してしまう
まったく悪い癖である

やりたいこと。

2025年01月03日 22時54分31秒 | おしごと日記
今年やりたいことがいくつかある


やってみたい番組企画もあるが
個人的にはプライベート旅を撮影してみたい


去年のフィリピン旅のようなやつを撮影して
短いVTRにしたらどうなるか 実験してみたいのだ



私は人前に出るのが苦手なので
これまで頑なに出演を拒んできたのだが
先日 とてもえらい人に「君はやったほうがいい」と言われた


うーむ…
それならちょっと試してみるか ということで
次のプライベート旅の計画を始めた






行きたい場所は2つ
中国・雲南省のシャングリラと
同じく中国東北部の鞍山だ





シャングリラは標高3000mを超えるエリアにあるので
真夏に行きたいところだが
時間が作れる3月では寒さが厳しいので断念






鞍山は 中国・遼寧省にある大都市で
かつて満州国と呼ばれた時代に 私の祖父が暮らしていた場所だ






鞍山に今もある 巨大な製鉄所


当時は昭和製鉄所と言ったそうで
祖父はここで働いていた
どれぐらいの地位だったかは 聞かなかったが
戦後 戦艦ミズーリに呼ばれて尋問を受けたというので
平社員ではなかったと思う



当時の日本は 乏しい資源を得るために
他国から奪い取ることを考えたようで
昭和製鉄所は国を挙げた大プロジェクトだったようだ
そこに 製鉄の技術者だった祖父は雇われたか何かで
家族で鞍山に移り住んだ



私が祖父から聞いたことは たった1つのエピソード
日本が戦争に敗れ 製鉄所をソ連に明け渡すことになった時
多くの日本人が 製鉄所を破壊しようと主張した
敵に財産を譲り渡すことを よしとしなかったのだ
だが 祖父は製鉄所を無傷で明け渡すことを主張した
そして製鉄所は無傷でソ連の手に渡り
今は中国の企業として操業を続けているという




どうして工場をそのまま明け渡そうと言ったのか
高校生だった私は 祖父からその理由を聞かなかった
これは想像でしかないが もしも工場を破壊していたら
鞍山の日本人たちは無事に帰国できなかったのではないかと思う




そんな祖父の思い出の地を 一度見てみたかった
だが ここも3月は寒すぎて断念
しかも中国の観光ビザを取らねば見に行けないので さらに断念




いろいろ難しいもんだ
とりあえず今年は3月に行きやすい場所で
カンタンに撮ってみることになりそうだ…

寝正月。

2025年01月01日 22時04分08秒 | 自転車
年末はロケからの体調不良で
ずっと寝て過ごした



自分はきっと貧乏性なのだろう
ロケに行くと 少しでも番組が良くなるようにと働いてしまう



↑ロケ先 どこかわかった人は素晴らしい地理感覚をお持ちです










撮影後 食事が終わってホテルについて
出演者のバイクとウェアを整備洗濯していたら
あることに気づき ハッとした


部屋のカギをロックインしたことに気付いてしまったのだ(笑)





時間はすでに深夜1時
ホテルのフロントは閉まって 電話も通じない


「マジかよ…」
大量の洗濯物と一緒にホテルのロビーに置き去りになった








「こんなことでブルーになってたまるか!」
私はこの状況を楽しむことにした


まずは誰もいないロビーに洗濯物を広げて干し
床でゆっくりストレッチをした





結局 朝5時になってようやく部屋を開けてもらい
6時半の出発には間に合ったが
次の日はダルかった






まあそんなことしてるから疲れるわけで(笑)
年末はひたすら寝ていた






31日の深夜は 恒例の年越しライドへ
ひたすら地図を見ずに 東京を走り回る





ロケが終わってずっと寝ていたので
実は久しぶりのライド
30kmがものすごく遠く感じた
でも 自転車に乗ったら心の垢がすっ飛んでいった気がした



新年になったとて 自分は何も変わりはしませんが
ぼちぼち頑張っていこうと思います★


※読み返したらあまりに冗長だったので
 2つに分けました(笑)