2日目は距離107km 獲得標高1500m
もう少し進んでおきたかったが
ちょうど良い場所に宿がなかった
ホテルは3つ星で4,000円ほど
首都マニラを離れると一気に安くなる
ただしお湯はぬるいのしか出なかった(笑)
ゆっくり朝9時に出発する
朝の気温は20度ほど
昼過ぎには30度を超えるが その頃には高原地帯へ入っておきたい
田舎になって 大型車両が減って快適だ
ほとんどの幹線道路には広い路肩があって
自転車とオートバイは車を気にせず走れて良いのだが
いきなり砂利になるので要注意だ(笑)
迷ったが グラベルロード用サスペンションを付けてきて良かった
こういう時に かなりの威力を発揮してくれる
あー田舎はいい
仕事に向かうオートバイの若者が
にっこり笑顔で応援してくれる
そして日本と同じく
一見ツッパリ風の若者の方が
意外と礼儀正しく 人懐っこい笑顔で見送ってくれる
自転車と肉体労働 苦労する者同士
繋がるものが生まれるのかなあと ぼんやり考える
2日目のハイライトは 標高900mの峠
国道2号線は道もよく 排気ガスさえ気にしなければ非常に走りやすかった
日本のODAで作られているっぽい
さすが日本だ
素晴らしい舗装だ
ODAも建設業者も お金のことでいろいろ言われているし
実際にピュアな奉仕の精神だけではないだろうと思うが
その実行力と技術は凄まじいものがある
フィリピンへ来て まず強烈にインパクトがあったのが
ほぼ全員が英語を日常会話として話せることだ
調べてみると 英語はフィリピンの公用語であり
小学校の授業は英語で行われるという
山奥の老人ですら 私より英語が堪能な人ばかりで
時たま英語を話せない人がいると
それは平日の昼間から酒飲んでぶらぶらしているような
いわゆる「ダメ男」なのだ
日本の感覚で言うと「かけ算九九が言えない」ぐらいの感じではないかと思う
女性は勤勉なのだろう 英語が話せない人には1人も会わなかった
16時過ぎにはホテル着
明日の山岳に備えた
3日目は雨だった
距離90km
そのうち後半70kmで獲得標高3000mを超える激坂祭り
時間がかかっても日暮れ前にゴールできるよう
朝6時に出発した
標高800m地点で寒くなったので
山道の小さな売店で上着を着た
フロントバッグからゴアテックスのジャケットを出し
サドルバッグから長袖のミッドレイヤーを出した
この日最初の峠は 標高1400mまで上る
10%の坂道が延々と続く
キツいヘアピンカーブのところに 男の子たちがたむろしていて
通り過ぎた私に ヘイヘイ!と声をかけ 拍手を送ってくれた
私は坂がキツいので止まらずに 後ろ手に手を振った
20分ほど上っただろうか
暑くなったので ミッドレイヤーを脱ごうと停車した私は
サドルバッグを見て血の気がひいた
蓋が開いている…
中を覗くと 部屋着や防寒着が入った小分けのバッグが
消えていた
マジか?
落とした?
いったいどこで?
必死で記憶を辿る
そうか
ゴアテックスを着た売店からここまでの3kmほどで落としたのだ
急いで引き返す
無い
無い
ここにもない
山奥の道ならまだしも
ここは人家の多いエリアだ
すでに誰かが拾って 持って行ったに違いない
落とし物が戻ってくる国なんて
日本だけなのだ
他の国では 落とし物は
拾った人の物なのだ
血まなこになって 上ってきた坂を下り続ける
ハッと気付いてブレーキをかける
焦るあまり道だけを見ていたら 今度は下り過ぎてしまった
服を着た小さな売店より 5kmも下って来てしまった
体から力が抜けていった
なんてこった
落とした可能性のある場所まで このキツい坂道を5km上らないといけない
全力でも30分かかってしまう
落とし物が戻る可能性を 自ら潰してしまった
いや それでも全力で上るしかない
ここで諦めたら さらに残された可能性を潰すことになる
スカスカで疲れ切った脚を 祈る気持ちでぶん回す
20分で売店に到着
スピードを落として 目を皿のようにして坂を上るが
落とし物は影も形もなかった
道端に若いお兄さんがいたので
ダメもとで聞いてみた
「落とし物をしたんだ。知らないよね?」
「落とし物したの? うーん、知らないなあ」
まあそうだよね…
お礼を言って立ち去ろうとしたところに
バイクタクシーがやってきた
「どうしたんだ?」
「落とし物をしたんだ。知らないよね?」
「あ、お前か!
丸いバッグだろ?
拾った男の子たちが上で待ってるぞ」
あっ!!!
私はあるシーンを思い出した
ヘアピンカーブにたむろしていた5〜6人の男の子たちが
私に向かって「ヘイヘイ!」と手を叩いた
あれは応援ではなく 落とし物をしたという知らせだったのだ
急いでヘアピンカーブに向かうが
誰もいない
売店の女性に聞くと
「あなたね、落とし物したのは。
あなたが下りていくのを見て オートバイで追いかけて行ったわよ」
売店の女性を口説いていた兄ちゃんが
タガログ語とジェスチャーでこう言った
「追いかけろ! そこを下ればすぐに追いつくぞ」
下って行けばまたすれ違いになる気がしたし
それに私はもうこの坂を下りたくなかった(笑)
「ここで待つよ。もう疲れた」
私は店でコーラを買って そこで待つことにした
それから30分
私は女性を口説く兄ちゃんの隣に座って
坂の下を眺めていた
男の子が戻ってこないので
もうひとりの男がオートバイで探しに行ってくれた
騒ぎを聞きつけた村人たちが
集まってきた
ちょっとしたイベントになってしまった(笑)
そして待つこと40分
兄ちゃんが私に落とし物を見せた瞬間
私は「おおー!」とバンザイをし
見物客たちは歓声を上げた
平日の昼間から ここでぶらぶらしてる男たち
みんな英語が話せなかった
たぶんダメ男ばっかりで 仕事もしている風ではなく
全員服はボロボロだった
だがお礼に渡そうとしたお金を 誰ひとり受け取ろうとしなかった
「お礼なんていいんだよ
落とし物が戻ってきて 俺たちもハッピーさ」
そう言って とびきりの笑顔をくれた
ありがとう
あなたたちの誠実さを 私は生涯忘れない
ゴールの棚田への道は 勾配20%を超える険しい道だった
でも 大きなエネルギーをもらった私にとって 大した道ではなかった
なんとか日暮れ前に 宿に着けそうだと安心していたら
神は再び我に試練を与えたもうた
道が完全に無くなった(笑)
本当にこの道で良いのか?
道の終点にあった売店で聞いてみると
ここからは徒歩でしか行けないから
自転車はここで預かるという
「俺の名前はランボーだ、よろしくな。
自転車をここで預かるのは200ペソ(約560円)。
ここから宿までの道案内は250ペソ(約700円)だ」
名前が「ランボー」?
信用できるのだろうか?
少し迷ったが
自転車はGPS(エアタグ)を取り付けた上でここに預け
宿への道案内は200ペソに値切ってお願いすることにした
山道を歩くので ヒル対策
ランボーに前を歩かせる
後ろにいさせると 何をされるか分からない
山道に人気はない
ランボーと私の靴音と セミの声だけが響いている
さらに歩くと 後ろに人がついてくる
私はランボーと後ろの人に挟まれる形になった
これは何をされるか分からない
後ろの人に道を譲り 前に行かせる
彼はランボーと何かひそひそと会話し 山へ消えて行った
村までの20分 私は警戒を怠らなかった
しかし結論から言えば 何事もなかった
ランボーは自称ではなく 身分証明書にも「RAMBO」と書いてあった
そしてマニラから400km
ついに 私は目的地に辿り着いたのだった
世界遺産 バナウエ・ライステラス(バタッド)
2000年前から作られ続けて来たという棚田
圧巻だった
つづく★