自転車ひとり旅★

自転車大好きなTVディレクター日記。

フィリピン800km 編集後記。

2024年03月22日 21時20分17秒 | フィリピンの旅2024
ここ数年 このブログをいつやめようかと
ずっと考えてきた


昔 おおらかだった時代には
ロケの出来事や番組の裏話など
いろいろ書いたものだったが
そんなことをしたら大問題という時代になり
仕事人間である私は ブログに書くことがなくなってしまった



それならば ブログをやめる前に
一度存分に筆をふるってみようと思った
旅のレポートを書くために むりやりでも休みをとって
仕事とまったく関係ない旅をすれば
何を書いても大丈夫だ




とはいえ
私は文才がないので 1日分のレポートを書くのに6時間もかかったし
レポートが長すぎて 途中で眠くなった人もいるに違いない(笑)
本当にすみませんでした(笑)


しかも読んだ人からの反応はまったく無かった(笑)
長すぎることを除けば けっこう面白く書けたと思ったのに
これは悔しかった
もっと上手に書けるよう もう一度レポートのための旅をしようと思った
次はもっと上手に書けるように頑張るので
どうぞ懲りずにお付き合いください



ちなみに今回の旅の総予算は
9万円だった
そっちの面では大成功だったと思う





そうそう 今年唯一エントリーしようと思っていた岩木山ヒルクライムは
諸事情で参加できなくなりました(早!)
他のレースへのお誘い 絶賛募集中です★

フィリピン800km 最終日

2024年03月22日 21時13分53秒 | フィリピンの旅2024



最終日は首都マニラまでの200km






国道を避けて裏道をゆく








追いかけてきた自転車少年


見たことのないコンポーネントを使っていた





「LTWOOのA5だよ!」

と自慢げな笑顔がまぶしかった






地元客で賑わう食堂で休憩
おっかさんは村の人気者のようだった





おとっつぁんが店の裏でポツンと
寂しそうな背中で
タマネギの皮剥きをしていた





豚の骨をネコにあげた








久しぶりの海






水上に建つ家
今回の旅で 最も貧困の空気があった





バイクタクシーは この村では自転車タクシーに変わった





ハンドル幅はトラック競技日本代表なみの狭さである






いいねえ













そしてスタートから800km
首都マニラに戻ってきた







ホテルのスタッフが 戻って来た私を見て
大喜びしてくれた
いかりや長介似のマネージャーが 満面の笑みで
輪行箱を運んで来た



5日間のTSS 1082
ヘトヘトだが 気分は爽快だった





しっかりお湯の出るシャワーを浴びて
泥だらけになったウェアとバイクをキレイにし
おみやげを買いに出かけた






なんということだろう
私が見てきたフィリピンとは かけ離れていた




・・・・・・


5日間の旅を経て 私は自分の「へり」を見つけられただろうか?
ギリギリだった気もするし もう少し頑張れたような気もする
この一連のレポートが面白かったかどうかが 私の「へり」になるとしたら
まだまだな気しかしないのだった★



フィリピン800km 4日目後編

2024年03月21日 18時12分10秒 | フィリピンの旅2024



食堂でヤキソバをかき込みながら
地図を眺める



日没まで3時間
ただいまバナウェから120km地点で ホテルまでは80km
途中標高900mの峠を越える
国道をまっすぐ行っても ホテル着は夜だ





国道を行ったとしても 十分に冒険なのだ
でもやっぱり田舎道を通りたい


冷静に考えれば 今日のホテルにたどり着く必要もない
大事なのは明日中にマニラのホテルに着くことだ




迷ったあげく 田舎道を選ぶことにした






ポブラチオンという木陰の多い町で左折し
国道にさよならした
どんな道が待っているのか ワクワクする





田舎道の迂回路は60km
衛星写真で見た感じだと そのうち10kmほどが未舗装だ

Googleマップに峠の写真がアップされてるようだが
通信状況が悪くて2枚しか見られない
その2枚の写真では 道はそこまで悪くなさそうだ





おおー
いい道だぞ





美しい


車はほとんど通らない


…ということは
この先の峠は車が通りにくいのではないか…?






ようやく見つけた売店で
ドリンクを多めに補給しておく



店の女性が「あなた日本人?」と聞いてきた

「正解! なんで分かったの?」
「お金を払う時、私たちを楽しませようとしたでしょう。
 あんなこと中国人はやらないわ」

この国の女性は本当にクレバーな人が多い




若い兄ちゃんがフラフラと近づいてきたので
この先自転車で行けるのかと聞こうとするが
英語がしゃべれない

こういう時は日本語とジェスチャーで突破を図る
「この道、山を越えてサラザーまで自転車で行ける?」
「あー行けるよ!」
「ほんと? ガタガタ道じゃないか?」
「大丈夫だよ、だって舗装路だぜ!」





足で道の舗装をバンバンとたたき
自信たっぷりに答える兄ちゃん


「サラザーまで2時間だ!」


にっこり笑ったその口には
歯がほとんどなかった(笑)



そうか 衛星写真で未舗装に見えた道は
舗装路なのか
希望が見えてきたぞ


店の女性に「峠まで自転車で行けるって!」と喜んだら
にいちゃんの方をチラリと見て「やれやれ」という顔をした







コンクリート舗装の道に 徐々に勾配がつき始めた






やがて20%を超える激坂となった
フロント40 リヤ33では脚パンパンだ






牛もさすがに大変そうだ



えっちらおっちら上っていくと
後ろから足音が近づいて来た





振り向くと 小学生の女の子たちが
笑顔で追いかけてくる

聞くと どうやらこの激坂の上に家があるらしい






カメラを向けると キャッキャと笑いながら
恥ずかしそうに顔を隠した



別れを告げて 先を急ぐ
日がだいぶ傾いてきた




すると
目の前に見たくないものが現れた







マジか(笑)





水底が見えないので ダメもとで突っ込んで行ったら
意外と浅くて助かった(笑)




だが 安心したのも束の間
もっと見たくないものが現れた






やっぱりこうなるか(笑)







あんにゃろう…と思って 兄ちゃんの顔を思い浮かべると
にっこり歯のない笑顔と一緒に 「スカポンタン」という単語が思い浮かんだ


私は兄ちゃんを「スカポンタン」と呼ぶことにした





道はますますひどくなり
勾配も30%を超え出した





ロードバイクで来る道じゃないな



道がひどくなるたびに
スカポンタンの自信たっぷりにうなずく顔が思い浮かぶのだが
不思議と憎む気にはなれないのだった






分岐点のたびに焦るが
携帯電波がギリギリ通じてくれて
なんとか地図を見られた



だが 地図にない5叉路が現れた時
さすがに困り果てた





時刻は18時ちょうど
まさに日没の時間
ここで道を間違ったら ここに戻ってくることすら困難となる


ふと振り向くと
なんと先ほどの 恥ずかしがって顔を隠した女の子が歩いて来るではないか


「家はもっと上にあるの?」
「そうだよ」
「どの道を行けば山を越えられるか知ってる?」
「この道だよ」


女の子が1つの道を指差した


「これを行けば この丘をぐるっと回って峠に行けるよ」


いやはや
感謝しかない
お礼に何かあげたかったが 何も持っていなかった
財布をさぐると 日本の新しい500円硬貨が出て来たので
プレゼントした
女の子は不思議そうに眺めて
「ありがとう」と言い 去っていった







さすがにこの路面で勾配20%超えとなると
まったく漕げない(笑)


重いバイクを押し上げながら スカポンタンの顔を思い出し
一人でクスクス笑った




この坂はいつ終わるのだろうか

つい「早く終わってほしい」と願ってしまうが
それでは気持ちがもたなくなる
無理やり自分に「あと10時間以上続く」と言い聞かせる






ふと見ると 車が停まっている

ああ これが最後の助け舟ではなかろうか
この車なら自転車ごと乗せられる



家の中にいたおっちゃんに乗せてくれるか聞いてみると

「いいよ! でも運転できるのは息子だけなんだ。今息子は麓の町にいる」

息子の帰りを待つかどうか迷ったが
いつ帰るか分からないし 息子が良い人とも限らない
諦めて先を急ぐことにした


「ガタガタ道なのはすぐそこまでだ。その先は走りやすいツルツルになるよ」


と おっちゃんが励ましてくれた



確かにガタガタ道は多少ツルツルにはなったが
勾配30%超えでまったく乗れなかった(笑)



バイクに乗ると時速4km
歩くと時速3km
戻った方が早いのでは? と何度も思った
でも 前にさえ進んでいれば いつかは峠を越えられるに違いない
そう信じて漕ぎ続けた






ずいぶん眺めがいいなあと思い 高度計を見たら
標高1000mを超えていた
おかしいな 国道より低い峠を求めて来たのだが(笑)



道が緩やかに下り始めた
どうやら峠を越えたようだ
私は誰もいない山道でガッツポーズをした





そして日が暮れた


星が恐ろしいほど綺麗だった





ライトは2灯で 計800ルーメン
バッテリーが切れても復活できる単三電池式
USB充電式は不安定で 切れたら終わりなので
旅では使っていない


ここでパンクしたら 気持ちの糸が切れてしまう
ガタガタ道を慎重に下る
道が悪くて時速5kmしか出せない



舗装路になったと喜ぶと たった100mで砂利道に戻る
ぬか喜びをするたびに スカポンタンの顔が思い浮かぶ
いい奴なんだけど頼りない
でも 優秀だけど冷たい奴よりよほどいい



1時間ほど下っていくと犬が吠え始めた
真っ暗で見えないが 人家があるようだ


追いかけてきて 足元で吠え続ける
何も言わないと吠え続けるが
「ワンワンワン(僕は悪い者じゃないよ)」
と吠え返すと すっと離れていくのだった(笑)






山道へ突入して4時間
20kmほどの悪路はついに終わり
ようやく小さな村にたどり着いた





小さな屋台の灯りが目に沁みた



店のおっかさんに恐る恐る話しかけると
普通に英語で返ってきた
売っていたシュウマイを「うまい! うまい!」と食べた
涙が出そうだった





6個で50円
揚げニンニクと甘辛いタレでいただく
美味しくて18個食べた


「今日はどこから来たの?」
「バナウェからです」
「自転車で?」

おっかさんは目を丸くした


「なんでこの村に?」
「あの山を越えて来たんです」


おっかさんは目をさらに丸くした(笑)


「どうして独りで旅しているの?」
「それはね、僕の旅について来たい人がいないからだよ」


おっかさんは私が降りてきた山の方を見て
納得したような顔をした




英語が話せないおとっつぁんは
自分も何かしてあげたいと思ったのだろう
隣の店から冷えたコーラを持って来て
一生懸命 身振り手振りで道を教えてくれた
全然分からなかったけど「了解、ありがとう!」と言ったら
嬉しそうに笑った





なぜおとっつぁんはテイトウワのポーズなのか(笑)



「気をつけるんだよ! 自転車とられないようにね!」
おっかさんとおとっつぁんは
見えなくなるまで見送ってくれた




そしてシュウマイの屋台から1時間
ついに国道にたどり着いた




獲得標高は3000mを超えていた(笑)








208km走って 夜10時半にホテルに着いた





連日走って疲れているので TSSは200以下に抑えたかったが
340を超えていた
明日は体が痛いだろうな





フィリピン800km 4日目前編

2024年03月19日 22時07分29秒 | フィリピンの旅2024



今回の目的地・バタッド村は
少数民族・イフガオが暮らす小さな集落だ






急斜面にあるため 階段がハシゴのようだ





歩きやすいグラベルシューズとはいえ
コケでツルツルな上に微妙に斜めっている階段は
地獄でしかない(笑)






ホテルはこの村の中にあり
窓からの棚田の眺めが売りらしい






1泊1500円





洗濯物をかける場所がない…



宿のおとっつぁんが淹れてくれた
薄〜いインスタントコーヒーを飲みながら
宿の説明を受ける


・電気は午後6時から9時までしか使えない
・シャワーのお湯も電気で沸かすのでその時間しか出ない
・今朝まで日本人女性2人がホームステイしていたが帰国した


女性ふたりはサステナブルなことを研究している方らしい
お会いしてみたかった









携帯の電波は入らない
洗濯物が乾くことを祈って干したり
窓からボーッと外を眺めて過ごした

待ちに待った電気開通と同時にシャワーを浴びるが
お湯は結局出なかった(笑)





ふらりと出てきたご老人
着ているのはイフガオの民族衣装だ
写真を頼むと 二つ返事だったが
あとで写真代を要求された(笑)
5ペソ(14円)渡したら しょんぼりしていた
さすがに少なすぎたな(笑)






夕食 (800円・観光地価格)を済ませると
宿のおとっつぁんが「マッサージするか?」と聞いてきた



1時間1400円
まさかこの山奥でマッサージが受けられるとは


「今すぐお願いできるか?」と聞くと おとっつぁんは
「そうだな…」と視線を泳がせ
「5分待ってくれ」という


おとっつぁんの視線の先を見ると いつの間に来たのだろう
3人のおばさまが談笑していた


あの3人は マッサージ要員として来たに違いない



30分後
ドタドタと音がして部屋に入って来たのは
2人のおばさまだった
黒澤明の映画に出てくる
千秋実と藤原釜足に似ていた


「2人?」と聞くと
「そうよ! 2人でシェアすることにしたのよ。
 だってお客はアンタだけなんだもんよ!」


藤原釜足が大きな口をかっぴろげて
ニンマリ笑った


きっとあの後 1つの稼ぎ口を巡って協議が行われ
この2人が譲らなかったのだろう(笑)




2人はどことなく似ていて 聞くといとこだそうだが
私は呼びやすいように心の中で「バタッドの美人姉妹」と名付けた



千秋実が脚を 藤原釜足が背中を揉み始めた
手のひらがガサガサして生活感を匂わせたが
想像よりも丁寧で上手だった


「オイルマッサージよ」と取り出したオイルは
タイガー・バームのような匂いがした
私は鼻が弱いので くしゃみを我慢するのに苦労した(笑)


お礼は 2人で分けやすいよう多めに渡した
美人姉妹は ふたり仲良くご機嫌で帰っていった








さて 帰路である


今日は2日目・3日目のルートを一気に戻る200km
獲得標高は2000mほど
途中 標高900mの峠越えがメインディッシュとなる





もう一度ここに来ることがあるだろうか…


二度と来ないと思った場所に 何度も行くことだってある
人生は先が見えないから面白い




宿のおとっつぁんが 自転車を預けたランボーに無線で連絡をとってくれたが
来たのはランボーの手下だった





ランボーは寝坊したらしい(笑)
自転車さえ無事ならなんでもOKだ


荷物を整理し チェーンにワックスを塗って
朝8時に出発した






来るとき通った激坂は 戻りの方が超激坂だった…





要塞のようなバナウェの町






ここにホテルをとり バスで棚田に向かうのが良いと思う
あそこは自転車で行く場所ではない(笑)





急斜面にある町は 激坂天国だった
これまで見なかった外国人観光客がちらほら歩いていた






この辺りは ルソン島を占領していた日本軍が逃げに逃げて
最後に降伏した場所だという
こんな異国の地で 村を襲って食糧を強奪しながら
兵士たちはどんな気分で生きていたのだろうか


「日本は神の国だ」という宣伝を盲信して他国に攻め入った人たちと
「こいつが犯人だ」という投稿を盲信してシェアする人たちと
人間は数十年ぽっちでは変わらないし
再び同じような過ちを犯すのだろうなあと ぼんやり考えた







さて


私は悩んでいた



このまま国道を通り まっすぐ平穏に帰って良いのだろうか?





地図を見ると 国道を迂回する峠があるようだ






衛星写真の解像度が低く これ以上分からないが
舗装路ではなさそうに見える
しかし道沿いには民家が点在し 路面は悪くなさそうだ



安全パイな国道を走るよりも
こっちの道の方が絶対に面白いに違いない
なぜならここには「生活」がある
それに峠の標高も 国道の峠(900m)より低いように見える



現在午後3時
日没まで3時間
決断の時が迫っていた




つづく★

フィリピン800km 2日目〜3日目。

2024年03月19日 00時09分06秒 | フィリピンの旅2024



2日目は距離107km 獲得標高1500m
もう少し進んでおきたかったが
ちょうど良い場所に宿がなかった






ホテルは3つ星で4,000円ほど
首都マニラを離れると一気に安くなる


ただしお湯はぬるいのしか出なかった(笑)






ゆっくり朝9時に出発する
朝の気温は20度ほど
昼過ぎには30度を超えるが その頃には高原地帯へ入っておきたい





田舎になって 大型車両が減って快適だ





ほとんどの幹線道路には広い路肩があって
自転車とオートバイは車を気にせず走れて良いのだが





いきなり砂利になるので要注意だ(笑)






迷ったが グラベルロード用サスペンションを付けてきて良かった
こういう時に かなりの威力を発揮してくれる





あー田舎はいい
仕事に向かうオートバイの若者が
にっこり笑顔で応援してくれる


そして日本と同じく
一見ツッパリ風の若者の方が
意外と礼儀正しく 人懐っこい笑顔で見送ってくれる


自転車と肉体労働 苦労する者同士
繋がるものが生まれるのかなあと ぼんやり考える






2日目のハイライトは 標高900mの峠
国道2号線は道もよく 排気ガスさえ気にしなければ非常に走りやすかった





日本のODAで作られているっぽい






さすが日本だ
素晴らしい舗装だ
ODAも建設業者も お金のことでいろいろ言われているし
実際にピュアな奉仕の精神だけではないだろうと思うが
その実行力と技術は凄まじいものがある





フィリピンへ来て まず強烈にインパクトがあったのが
ほぼ全員が英語を日常会話として話せることだ



調べてみると 英語はフィリピンの公用語であり
小学校の授業は英語で行われるという


山奥の老人ですら 私より英語が堪能な人ばかりで
時たま英語を話せない人がいると
それは平日の昼間から酒飲んでぶらぶらしているような
いわゆる「ダメ男」なのだ


日本の感覚で言うと「かけ算九九が言えない」ぐらいの感じではないかと思う
女性は勤勉なのだろう 英語が話せない人には1人も会わなかった





16時過ぎにはホテル着
明日の山岳に備えた






3日目は雨だった


距離90km
そのうち後半70kmで獲得標高3000mを超える激坂祭り
時間がかかっても日暮れ前にゴールできるよう
朝6時に出発した



標高800m地点で寒くなったので
山道の小さな売店で上着を着た





フロントバッグからゴアテックスのジャケットを出し
サドルバッグから長袖のミッドレイヤーを出した



この日最初の峠は 標高1400mまで上る
10%の坂道が延々と続く



キツいヘアピンカーブのところに 男の子たちがたむろしていて
通り過ぎた私に ヘイヘイ!と声をかけ 拍手を送ってくれた
私は坂がキツいので止まらずに 後ろ手に手を振った



20分ほど上っただろうか
暑くなったので ミッドレイヤーを脱ごうと停車した私は
サドルバッグを見て血の気がひいた




蓋が開いている…



中を覗くと 部屋着や防寒着が入った小分けのバッグが
消えていた



マジか?


落とした?


いったいどこで?


必死で記憶を辿る




そうか
ゴアテックスを着た売店からここまでの3kmほどで落としたのだ







急いで引き返す







無い


無い


ここにもない



山奥の道ならまだしも
ここは人家の多いエリアだ
すでに誰かが拾って 持って行ったに違いない



落とし物が戻ってくる国なんて
日本だけなのだ
他の国では 落とし物は
拾った人の物なのだ


血まなこになって 上ってきた坂を下り続ける



ハッと気付いてブレーキをかける
焦るあまり道だけを見ていたら 今度は下り過ぎてしまった
服を着た小さな売店より 5kmも下って来てしまった



体から力が抜けていった


なんてこった
落とした可能性のある場所まで このキツい坂道を5km上らないといけない
全力でも30分かかってしまう
落とし物が戻る可能性を 自ら潰してしまった



いや それでも全力で上るしかない
ここで諦めたら さらに残された可能性を潰すことになる
スカスカで疲れ切った脚を 祈る気持ちでぶん回す





20分で売店に到着
スピードを落として 目を皿のようにして坂を上るが
落とし物は影も形もなかった




道端に若いお兄さんがいたので
ダメもとで聞いてみた

「落とし物をしたんだ。知らないよね?」
「落とし物したの? うーん、知らないなあ」




まあそうだよね…
お礼を言って立ち去ろうとしたところに
バイクタクシーがやってきた

「どうしたんだ?」
「落とし物をしたんだ。知らないよね?」
「あ、お前か!
 丸いバッグだろ?
 拾った男の子たちが上で待ってるぞ」



あっ!!!


私はあるシーンを思い出した
ヘアピンカーブにたむろしていた5〜6人の男の子たちが
私に向かって「ヘイヘイ!」と手を叩いた
あれは応援ではなく 落とし物をしたという知らせだったのだ






急いでヘアピンカーブに向かうが
誰もいない
売店の女性に聞くと
「あなたね、落とし物したのは。
 あなたが下りていくのを見て オートバイで追いかけて行ったわよ」
売店の女性を口説いていた兄ちゃんが
タガログ語とジェスチャーでこう言った
「追いかけろ! そこを下ればすぐに追いつくぞ」


下って行けばまたすれ違いになる気がしたし
それに私はもうこの坂を下りたくなかった(笑)

「ここで待つよ。もう疲れた」

私は店でコーラを買って そこで待つことにした



それから30分
私は女性を口説く兄ちゃんの隣に座って
坂の下を眺めていた





男の子が戻ってこないので
もうひとりの男がオートバイで探しに行ってくれた





騒ぎを聞きつけた村人たちが
集まってきた
ちょっとしたイベントになってしまった(笑)


そして待つこと40分





兄ちゃんが私に落とし物を見せた瞬間
私は「おおー!」とバンザイをし
見物客たちは歓声を上げた







平日の昼間から ここでぶらぶらしてる男たち
みんな英語が話せなかった
たぶんダメ男ばっかりで 仕事もしている風ではなく
全員服はボロボロだった


だがお礼に渡そうとしたお金を 誰ひとり受け取ろうとしなかった


「お礼なんていいんだよ
 落とし物が戻ってきて 俺たちもハッピーさ」


そう言って とびきりの笑顔をくれた



ありがとう
あなたたちの誠実さを 私は生涯忘れない

















ゴールの棚田への道は 勾配20%を超える険しい道だった
でも 大きなエネルギーをもらった私にとって 大した道ではなかった


なんとか日暮れ前に 宿に着けそうだと安心していたら
神は再び我に試練を与えたもうた







道が完全に無くなった(笑)







本当にこの道で良いのか?
道の終点にあった売店で聞いてみると
ここからは徒歩でしか行けないから
自転車はここで預かるという





「俺の名前はランボーだ、よろしくな。
 自転車をここで預かるのは200ペソ(約560円)。
 ここから宿までの道案内は250ペソ(約700円)だ」


名前が「ランボー」?
信用できるのだろうか?
少し迷ったが
自転車はGPS(エアタグ)を取り付けた上でここに預け
宿への道案内は200ペソに値切ってお願いすることにした





山道を歩くので ヒル対策





ランボーに前を歩かせる
後ろにいさせると 何をされるか分からない


山道に人気はない
ランボーと私の靴音と セミの声だけが響いている



さらに歩くと 後ろに人がついてくる
私はランボーと後ろの人に挟まれる形になった

これは何をされるか分からない
後ろの人に道を譲り 前に行かせる
彼はランボーと何かひそひそと会話し 山へ消えて行った




村までの20分 私は警戒を怠らなかった
しかし結論から言えば 何事もなかった
ランボーは自称ではなく 身分証明書にも「RAMBO」と書いてあった
そしてマニラから400km
ついに 私は目的地に辿り着いたのだった






世界遺産 バナウエ・ライステラス(バタッド)

2000年前から作られ続けて来たという棚田

圧巻だった





つづく★

フィリピン800km 1日目

2024年03月17日 03時37分47秒 | フィリピンの旅2024



フィリピンへ行っていた



目的はロケハンなのだが
完全にプライベートなので
ただの自転車旅行とも言える



実を言うと 私は自分1人だけで海外自転車旅をしたことがない
ロケには「コーディネーター」という その国を知り尽くしたプロや
現地の車両ドライバーが同行し
ホテルの予約から 食事どころのチョイスや通訳など
余計な心配をせずディレクションに集中できるようになっている



つまり いざとなったら助けてもらえる環境でしか
海外の自転車旅をしたことがなかった





私は自分が何もできない人であることを知っている
モジモジして人に話しかけられず
英語はジャンクな片言で
ピンチになれば冷静でいられず ハズレの道を選びがちだ
自分だけでどれだけの旅ができるのか?
力の限界…自分の「へり」を知りたかった







成田発のANA便で マニラへ
片道4時間半で着くし ANAなら往復ともにトラブルへの対処が安心だ


輪行箱はBTBの「エボリューション2」
旅の間は マニラのホテルに預かってもらえるよう頼んでおいた


携帯のデータ通信は「TRAVeSIM」
これは海外データ通信できる eSIMで
ネットで簡単に申し込めて フィリピンは8日間6GBで1980円と格安
意外と広範囲の地域でちゃんと通じた






GRAB(タクシー配車アプリ)でホテルへ


ホテルの予約は全てBooking.com
マニラは日本とそれほど物価が変わらず
3つ星ホテルで8,000〜10,000円ほど


バイクを組み立て
ウェアをパッキングし
不安とともに 午前3時に就寝した







1日目
不要な荷物を詰めたBTB箱をホテルに預けて
午前9時出発





今回の行程は 片道400km
目的地は すんごい山奥にある世界遺産の棚田

ロケと違って帰りも走るので 往復800kmを5日間で走る
行きは厳しい上りがあるので3日間で
帰りは2日間で一気に戻る
「今日はここまで走れ」とホテルを決めておかないと
絶対に辿り着けない気がしたので
全てホテルは決めておいた


一番ハードなのは3日目…のはずだったが
4日目に地獄を見ることになった
その話はまたあとで★







初日は190km ほぼ平坦なルートだ






目的地の棚田が標高1400mまで上るため 冬装備も必要なので
バッグは3つ取り付けた

メインバッグはRapha x Apiduraのサドルバッグ
入っているのは
・部屋着 兼 冬装備
・小型ポンプ
・マッサージボール
・ビーチサンダル
これが3日目に大変な事件を呼び起こすことになる





ボトル2本と ツールボトル
下のボトルは泥まみれになるのでキャップを固く締めて
中身だけ上のボトルに入れ替える

フレームバッグには薬品や歯ブラシなど





フロントバッグには ゴアテックスのレインジャケット上下



これに加えて アソスのスパイダーバッグを背負い
補給食と携帯の予備バッテリーを入れた






マニラを出る前に旧市街をゆっくり走った


ここにキリスト教の聖堂が建てられたのが今から450年前
日本の安土桃山時代と同時代だ
スペインは占領政策のため 日本やここへ宣教師を送り込み
日本と違いフィリピンは スペインの植民地となった


その後もこの国は大変な思いをし続けてきた
アメリカの統治
そして日本軍の残虐





日本軍が占領していた地域を旅すると
自分がどういう気持ちでいたら良いのか 分からなくなる
たまに「日本人は優しかった」とか
「日本人は〇〇を教えてくれた」などと言ってくれる老人がいるが
それを額面通り受け取ってはいけないと思っている
ものを奪うために占領しに来た人が どんなに優しくたって
結局は強奪者でしかないのだ






この国で自分はどんな顔をして旅したら良いのだろうか?


もちろん普通にしていれば良いのだ
それは分かっているけれど
気持ちはざわつく



割と重い気分でマニラの街を後にした





走り出してすぐに 今回の計画が無謀だったと気づく
渋滞で全く進まないではないか


乗合バスがひっきりなしに停車し
路肩はガタガタ
三輪バイクタクシーはウィンカー無しで斜行してくる
まるで参加選手全員が斜行&ブレーキしまくるロードレースに出てる感じ





最初の1時間で進んだ距離は7kmぽっち
はあ〜
この調子で今日中に190kmも行けるのだろうか?






すると


私の目にあるものが飛び込んできた





私は見たとたんに「おお!」と叫んでしまった





「館林四中」(笑)


館林四中の方
あなたの通学自転車は こうして遠い地で
第二の人生を送ってますよ



しょうもないことだが 重かった気分が少し晴れた(笑)






50kmを3時間半かけて走り 最初の休憩



気温は32度
食べられるうちに固形物を食べておきたい


フィリピンの食事情などは調べてこなかったので
まったくメニューが分からない
こんな時はグーグル翻訳さえあれば何とかなる



と思ったが…





何ともならなかった(笑)



迷ったあげく「今日は規制を超えて」を注文したら






来たのは普通のあんかけ麺だった


どれが規制超えだったんだ?









走るパワーは120〜150W
スピードにすると時速30kmぐらい
トラックの運ちゃんは窓から手を振ってくれるし
肉体労働の兄ちゃんたちは笑顔で見送り
オンボロワゴンがクラクションで応援してくれる





すれ違った自転車少年が追いかけてきた





そして仲間が集まっている場所に案内してくれた


みんな笑顔で喜んでくれた
何を言ってるのかは全く分からなかったが(笑)





とにかく暑くて 休みをしっかり入れながら
190kmを10時間半かけてホテル着
TSS 214
あれだけ水分取ったのに 3kg痩せていた




明日からは山岳エリアだ
調べた感じでは激坂はなさそうだったが…
期待は見事に裏切られるのだった(笑)