自転車ひとり旅★

自転車大好きなTVディレクター日記。

9年ぶりの。

2024年07月22日 14時16分41秒 | おしごと日記
謎の電話の主と 昼メシの約束をした



自転車で向かう途中に通りがかった公園でサンバ隊に遭遇






すげえな サンバってのは
おケツを出して踊るのか…
と感心しながら よく見ると
そのオケツに違和感を感じた

思った以上に垂れているのである



目をこすってよく見ると かなりベテランのサンバ隊だった

大したもんだなあと さらに感心した
見られることで人は美しくなるというが
それはそれで勇気のいることでもある



サイクルジャージを着ることも
自分を美しく律するための道である
「太ってるから着ない」のではなく
「太ってるから着るべき」なのである







さて 約束の店がある高田馬場に到着
9年ぶりに会ったその人とは






講談師の 三代目神田山陽さんだ




山陽さんと最後に会ったのは
自転車探検部のミャンマー編(2015年)のとき
あれから山陽さんは講談やテレビの仕事を減らして
行方をくらましてしまった
携帯電話を持たないので連絡がつきにくく
メールを出してひたすら返事を待つしかなかった



どうやら 10年近く「心の迷い」と向き合ってきて
一区切りついたので連絡をくれたようだ


山陽さんの「迷い」というのは
例えば「原発に反対するからには電気を使わずに暮らしてみる」というような難題で
実際に日が暮れたら寝るなど 原始的な生活に変えていたらしい
自分の生活を「山伏」と言っていた(笑)

そんな暮らしをしていたら そりゃあ世間からは隔絶するわい(笑)






山陽さんは 自分の中で
旅人レベル最高ランクの人だ





言葉が通じないのに
そこにいる人をワーッと明るくする術を持っている





そしてその国の文化や歴史を肌で理解して
同じ人間として納得がいくように咀嚼する





トルコの旅で 見知らぬ人たちから毎日笑顔でチャイをご馳走され
旅の最後にこう言った
「苦労した人が優しいように
 あのチャイは 苦労をし続けてきたトルコの歴史のひとしずくではないか」
聞きながら私は鳥肌が立った





ブータンの標高2000mの村で寒さに震えていたら
出会った家族が温かいスープをご馳走してくれた
そのスープを手に持った山陽さんは

「いい景色だねえ…」

と大切そうにスープを眺めた



手に持った料理を
「良い景色」と表現できる人は ほとんどいないだろう
自分の感動を どう他人に伝えるか?
それは人間にとって とても大事な能力だと思う
そのシーンにまとわりつく細かな空気感まで表現に包み込めるような
私もそんな表現ができる人になりたいが
1度の人生ではちょっと時間が足りないかな






私の旅のスタイルは ほとんどが山陽さんから教わったものだ
旅先での洗濯の仕方から
居候先での立ち回り方まで(笑)


人生で最も影響を受けた人と言っても良いと思う






「急にどうしたんですか?
 山陽さんから連絡が来るなんて珍しい」

と聞くと

「あ いやいや 失礼しました
 ちょっとまた新しいことを始めたいと思ってさ
 誰かに話さなきゃと思った その第1号」

と笑顔で答える



どうやら東京の大先輩の家に居候して
新作を書き続けているらしい



そして敬愛する山陽さんから
報告の相手第1号に選ばれたのが意外だったし
嬉しかった





いろんな話を聞いて 久しぶりにワクワクした
番組になるか分からないけど カメラ片手に着いて回りたいと思った
これからしばらく 北海道に通うことが多くなりそうだ☆









影響を受けた人。

2024年07月17日 21時36分42秒 | おしごと日記
日曜日も試走しようと思っていたが
あいにくの雨


おとなしく車で観光(=ロケハン)して回った





長野と新潟の県境あたりには
すばらしい場所が多い


ここを旅するなら 誰と来るべきかを想像しながら
ひたすら歩き回っていた





いつか行きたいと思っていた蕎麦屋さんは
変わり果てた姿になっていた






美しい蝶が舞うのを じっと眺める


自分が死んでも こうして世界は動き続けていく
寂しさと安心感が混ざったような感覚になる







もう一つ いつか行きたいと思っていた場所へ向かう





新潟 長岡にある
河合継之助記念館





河合継之助は幕末の武士で
長岡藩を率いて 幕府側として戦った人物


私が出会ったのは 35年前の中学生のころ
司馬遼太郎の「峠」を読んだのがきっかけだった
どんな身分の人に対しても視線がまっすぐで
決して自分を守ろうとせず
殿に諫言をして謹慎を喰らい
悪習を覆してお役御免となり
それでも信じる道を貫く姿に 中学生の自分は
こういう人になりたいと思ったのだった






官軍に敗れ 重傷を負った継之助は
会津への敗走の道で死ぬ
その峠「八十里越」は 自転車では行けないらしいが
いつか行ってみたい道だ


登山の装備を買いに行こうかな(笑)






長岡からの帰宅中
見覚えのない電話番号からの着信があった
それはなんと さらに人生に多大な影響をくれた人物からだったのだが





その話はまた後日★

試走。

2024年07月16日 20時45分41秒 | 自転車



長野県 高山村


山の斜面には葡萄畑が広がり
貴重な平地には田んぼと農家が所狭しと立ち並ぶ
美しい村だ



ここに来たのは もちろん
ヒルクライムコースの試走のためである
試走して コースの特徴を見つけ
それに合わせたトレーニングを考えるためだ






東京から車で4時間
スタート地点は村の公園
田舎に出かけてよく困るのは 駐車場がないことだが
広い駐車場が迎えてくれた





高山ヒルクライムは 距離20km
平均勾配は6.5%だが 途中に下り区間が2つあるため
獲得標高は1465mにもなり
上り平均勾配は8%を超える


コースがテクニカルであるほど 非力な自分にもチャンスがある
実際のコースはどんなものか いざスタートした





スタート直後から キツめの勾配が続く
特に3km地点の集落を抜ける箇所は 10%〜14%ぐらいの激坂が続く
少し緩めの200Wで走っていて ギヤ34ー33を使い切った
本番での想定パワーは260Wほどだとすると リヤ30はあった方が良さそうだ





せっかくなので 1本目は抑えてコースをよく見て
2本目に全力で走ろうと思っていたが
案の定 気持ち良くなってきてしまい(笑)
気がついたら250W(4.4倍)出ていた


このパワーでいくと 1時間15分ほどだろうか
行ける気がしたので このまま行くことにした





前半は急勾配と緩斜面が交互に現れ
走り方次第でタイムがだいぶ変わりそうだったが
1発目の下り坂を過ぎると 勾配が一定になった


普段ほとんど車が通らないのだろう
林道は苔でヌメヌメして さらに落ち葉で滑りやすい
ダンシングをすると タイヤが滑ってロスが多くなる
できるだけシッティングで 丁寧なペダリングをすることが
タイムにつながりそうだ


路面の悪さがどれだけタイムに反映されるかを
意識している人は意外と少ない
10分の坂道で 路面の違いによって10秒の差が生まれたことがある
1時間のレースに当てはめると その差は1分になる





しかし
40分を過ぎた頃から 体に異変が現れた


腰がキョーレツに痛み始めやがった


だいぶ治ったと思っていたのに(泣)
パワーが上げられず ひと踏みごとに「ウエー…ウエー…」と唸りながら
ひたすら早く上り終えることだけを願った


息はすっかり整ってしまい
心拍も120ほどでしかない
昔 坂バカ女子部の大宅さんが腰痛でうまく走れず
「脚も心肺もあるのに…」と泣いていたが
まさにそれ





這々の体でゴール
1時間29分 210W
開放感がすさまじい(笑)




コースはかなりテクニカルで
中盤の一定勾配区間はあるにせよ
下りはコーナーの連続だし
2つ目の下り坂以降 ラスト区間も
急勾配と緩斜面の繰り返し
タイヤは太めの方が良さそうだ


かなり自分向きのコースだ
うまくやれれば表彰台も夢ではない
腰さえなんとかなればの話だが(笑)






高山村のカフェで休憩






特産の蕎麦で作ったガレット(蕎麦クレープ)


サラダ スープ ガレット どれも美味なのだが
何かが物足りない


カフェに寄った時
美味しいのに満足感が得られない時があるが
それはなぜなのかを考えた





思うに「主役」が不在なのではないか
例えばスープの玉ねぎは特産品らしく
シャキシャキと歯応えある作りになっていたが
その歯応えが良過ぎて ガレットの「ザクッ」とした歯応えを
殺してしまったのではないか

スープの具の玉ねぎを 形がなくなるまで煮込んでおけば
ガレットの歯応えを引き立たせてくれたのではないか



番組の編集でもそうだが
絶景のシーンをただ並べてしまうと
本当に見せたい絶景への感動が薄れてしまう
高知の旅で 天空の林道までの道中
ちょこちょこと良い景色もあったが 全てカットした
それを見せてしまうと 天空の林道の絶景が死んでしまうためだ


千利休は 庭の花を全て摘んで無くしておき
茶室に一輪だけ花を飾ったそうだ



料理も同じことのような気がする






試走は1本で諦めた
この腰をどうしたら良いものか?
レースまで2ヶ月半
今までの考え方をガラリと変えてみる必要がありそうだ

さて。

2024年07月06日 23時15分35秒 | 自転車
今年の後半に向けて色々と考えている






体を壊すようなハードなものが一段落して 体調が回復して来たら
目標が欲しくなった




トレーニングはなんとなく続けているけど
目標がないと身が入らない
じゃあトレーニングなんてやめてしまえば良いのだが…

辞めるのは簡単なことで
続けるのはとても難しい
簡単なことを選んではダメだと 私の深い心の奥がささやいてくる
辞めることはいつでもできる
続けることは今しかできない





面白そうなレースがあれば 目標設定しようと
逃げ道を確保した甘い考えで(笑) レースを探る
すると
スケジュール的に出られそうな9月下旬に
こんなレースがヒットした





五郎さんに「このレース知ってる?」と聞くと
ゲストで呼ばれているらしい
それなら話が早いと すぐさまエントリーした



ちなみにチラシには鈴木雷太さんしか載ってない
鈴木雷太さんを載せても集客にはならない気がするので
おそらく政治的な理由だろう
雷太さんは自転車界では偉い人なのだ


こういうイベントでは往々にして
自転車界の重鎮とか 地方の政治家とか
パンフレットに載せたり 開会式で挨拶をさせたり
ヨイショにいとまがないが
集客にとって逆効果だと気付かないのだろうか









とにかく「信州高山ヒルクライム」にエントリーしたら
俄然やるべきことが浮かんできた


・メニューをやるのは週2回(土・月)
・ターゲットがヒルクライムなのでインターバル耐性は求めない
・編集期間が続くため睡眠は短時間。回復力は期待できないので
 できるだけ短時間で効果のあるメニューが良い
・月曜日が五郎練でエンディランス系メニューなので
 土曜日は2分、5分など短時間高強度
・ケイデンス差を使って体を休められるようSFRなどもやる
・自宅の低酸素室を稼働させる
・早めにコース試走に行き トレーニングメニューを考える



レースは12週間後
錆びついた体をどこまで戻せるのか?
そのへんのレポートも書いて行きますね☆

ブルベ400km。

2024年07月01日 02時03分52秒 | 自転車
300km 600km そして先々週の200kmと
なんとかSR取得に向かってコマを進めてきた私
ついに最後となる400km挑戦の日がやってきた


 ※SR=Super Randonnerのこと。
  200km〜600km全てクリアした人がもらえる称号


SR取得にこだわって来たのは
1000kmの出場資格という以外に
実はもう一つ理由がある



ブルベのルールでは
出場者同士の助け合いは認められているが
一般人に助けてもらうと失格となる
例えば出場者がトレインを組んで 風よけになるのはOKだが
一般人に風よけになってもらうのはNGだ


つまり
いつもの撮影ライダーとして一緒に走ると
出演者の前を走ることができない
だが私が出場者となれば
堂々と一緒に走れて助けることもできるのだ



SRを取るためのスケジュールは
今回を逃すとかなり厳しくなる
去年の400kmは 見事に失敗しているし(コンビニ間違い)
今年もギリギリ認定という事態が続いている
数日前から緊張で眠れなくて苦労した
そう 意外とデリケートなのである(笑)





400kmのスタートは練馬区
近場なので楽かと思いきや スタート時間が金曜日の深夜12時
つまり仕事終わりで着替えて出発し
20時間以上走らねばならない

さらに天候はスタート後しばらくは雨予報
厳しい戦いになりそうだ






練馬区から埼玉 群馬を経て
長野県境の渋峠を目指す400km
埼玉の通過が巨大幹線道路なのが心配だ
獲得標高は5900mあるが
距離100kmあたりに換算すると 1500mほど
易しくはないがまあ大丈夫だろう







小雨の中 50人がスタートした


雨を喜んでいるのか
カエルの大合唱を聴きながら
テールライトの列を追いかける



参加者はトレインを組んで走っているが
ふらついたり 合図をせずに進路変更したり
危なくて一緒に走りたくなかったので
早々に離れて一人旅を決め込んだ


心配だった大幹線道路は
深夜なのに大型トラックが多くて怖かった
さらに 参加者が後ろも見ずに駐車車両をよけて右に出るので
危なすぎて見ちゃいられなかった






信号ストップが多くて思いのほか進まず
80km地点 群馬県太田あたりで夜明けを迎える




腰の具合は相変わらず悪いままだ
治り切る前に体を酷使するロケやブルベを走っているので
仕方がない


1〜2時間のトレーニングなら痛くならないのに
ロングを走ると痛くなる
自分はとりわけロングに弱いのかと思って
ブルベの参加者に「痛くならないのか?」と聞くと
口を揃えて「痛いっすよ」と答える


ただ「全く痛くならない」と答える人もたまにいる
痛くならない方法も この世にはあるに違いない






100kmを過ぎ 赤城山のふもとで
山岳エリアへ突入した


ガーミンの「クライムプロ」という機能は
ルートを入れると坂のプロフィールを表示してくれる


最初の坂が13km6%と出て
目が丸くなった
そして来る坂がことごとく 長くて激坂続きなのだ


私は標高図を思い出して
ハッとした





上り坂があるのは
100km地点から220km地点までの区間だけ
つまりこの120kmの区間に 5000m近い上り坂が凝縮している


上り坂の厳しさを考えるとき
100kmに換算して2000mを超えると
かなりキツい山岳コースとなる
あの「坂バカ遠足」が 100kmで獲得2500mほどなのだ


120kmで5000m近いなんて
地獄に決まってるわい





坂が延々と続く中
雨が本降りとなった
レインジャケットを着ようか迷ったが
寒くないのでRaphaの防水ベストにした
これがちょうど良くて 手足にかかる雨が気持ちよかった


ブルベが面白いのは
不測の事態に対処できるかどうか
自分を試せるからだ


どんなことにも対処できるようにしながら
荷物を極力少なくする
その駆け引きが楽しい





赤城山






遠くに榛名山が見える頃には
雨が止んだ





そして気温30度の炎天下となった





コンビニで 珍しいバイクに乗っている参加者に話しかけた縁で
しばらくご一緒することになった





関根さん
職業は薬剤師
スポーツ経験はゼロだけど 去年ブルベを始めてSRを取ったらしい





走っていると「若山牧水」の文字が目に飛び込んできた


牧水と群馬は あまり繋がらなかったが
牧水がこの辺りを旅して 名作を遺した縁で
文化財的な建物に牧水会館と名付けたらしい



すると
関根パイセンが落ち着いた声でこう言った

「落ちましたよ」



ハッと見ると
サドルの上に置いたボトルの蓋が





崖の下に落ちていた(笑)



私はかなりショックを受けたが
関根パイセンは全く動じてなかった


これがパイセンの強さの秘訣か…






ボトルの蓋はどうにか救出成功したが






ボトルを失ってリタイヤした方が良かったと思うぐらい
激坂は凄まじかった(笑)





最後の難関 渋峠への上りの前で
すでに獲得標高3500m
脚はスカスカ



そんな私にガーミン先生がダメ押しを喰らわせる





上り28km
獲得標高2000m…


マジかよ
気が遠くなった(笑)





上る道が見えるのを喜べるのは
ネジが何本か無い人だけだと思う






渋峠には 撮影で何度も来ているが
自転車で上るのは初めてだったりする





記憶の中の景色と比べながら
ゆっくり上る
出せるパワーは150Wが精いっぱい
気が遠くなるのをこらえながら
「いつか辿り着く」と言い聞かせる










そしてスタートから14時間
やっとこさ折り返し地点の渋峠に着いた






峠は雲の中かと覚悟していたが
標高2100mは 雲の上だった





ブルベの認定に必要な通過証明を購入(100円)






折り返しでTSS360って
キツすぎだろ(笑)



渋峠からの下りは最高だった
そのまま空の彼方に消えてしまっても良いと思った






観光客の多い草津をパスし
関根パイセンとお別れして
長野原町にある温泉&キャンプ施設へお立ち寄り






温泉に2分浸かって回復を図る


とても素敵な施設だし
すぐ近くの草津温泉は激混みなのに
客は私1人だった





軽食ぐらいあるだろうと思ったら
残念ながらジュースのみ
少しでもお金を落として帰りたいので
生搾りのリンゴジュースを頼んだら
店員さんは どこのリンゴを使っているか知らなかった


「うちの町でとれた とびきりのリンゴですよ」
私ならそう言いたいし
そう言うためにとびきりのリンゴを手に入れるだろう



観光を考えるときに
食べ物ってとても大事だと思う
どんなに素敵な街並みが遺っていても
そこにとびきり美味しいカフェやレストランがなければ
なかなか足が向かない


観光客がほしい町や村は
景観の整備と同時に
腕の立つ料理人を雇うべきだと思う





30km上ったので 下り坂も30km





夕暮れの群馬の山々は美しかった





4月の600kmで 後半胃腸が悲鳴をあげたので
今回は胃に負担の少ないドリンク系で走ろうと思っていたら
「カルピスRICH」を飲んだ途端に 胃が悲鳴をあげた


そういえば600kmの時も
オムライスと一緒にカルピスRICHを飲んだことを思い出した


高カロリードリンクの中でも 調子が出るものと出ないものがあって
自分の場合「トロピカーナ」「梅よろし」はアウトだ
カルピスRICHと合わせて調べれば 何か共通点が見つかるかもしれない…




ラスト100kmは
首の後ろ
左の肩甲骨
ひざ
大腰筋
中臀筋
内転筋
そして足の親指が ずっと痛かった


身体中の痛みと戦っていたら
途中 たまたま合流した関根パイセンが
前を引いて助けてくれた
ありがとうございました



そしてスタートから24時間26分
痛みをひたすらガマンしながら
ゴールのコンビニにたどり着いた





1000kmはこれを3日連続で走るのかと思ったら
軽く絶望した(笑)


自分はロングに自信がまったく無いんですと
関根パイセンに相談すると
「あの…林さん十分ロングに向いてると思いますよ」
と言ってくれた






とりあえずこれで 人生初のSR
まさか自分がSRになれるとは思っていなかったので
ちょっとうれしい
そしてしばらくはレースにも出ないので
体を休めることができるのもうれしいのだった(笑)