筧五郎さんと走ると、なぜ楽しいのだろうか。
乗鞍のレース後の長い下りを、
五郎さんのそばで走ったときのこと。
私の前を走る人が、コーナー(ブレーキング)のたびにフラついていた。
目の前で突然落車されたら困るので、
「この人の前に出ておきたい…」と思った。
ふと左を見ると、さっきまで隣にいた五郎さんが
3mほど後ろに下がっていて、
「わはは!」
と笑った。
これはすごいことだ。
なぜなら、その3mは私が左に逃げるためのスペースで、
笑ったのは、私の考えを手に取るように分かっていたからだ。
私は、一言も発していない。
右に逃げられるかチラッと確認したら、右にスペースはなかった。
距離を開けるために後ろに下がろうかとも思ったが、
後ろの人がビッタリ張り付いていて下がれない。
このまま前の人が落車したら、私もアウトだ。
しかし左を見ると……天の助けか、スペースが空いているではないか!
しかも、自転車1台分とちょっとだけのスペース。
『君の技量なら、ここに入れるでしょ?』
と、そのスペースは語っていたのだった。
舌を巻く、とはこのことだ。
おそらく、集団全員の動きを観察して、
その中で自分や私がどこにいるべきか考えた時に、
私がキョロキョロしていたのが見えたのかもしれない。
私など、路面とカーブを見るのに
精一杯だった。
私は、五郎さんと走った経験など
この乗鞍の下りぐらいなものだ。
それでも驚きと楽しさの連続だった。
もっともっと一緒に走りたかったし、
そのまま2時間のパーソナルコーチをお願いしたかった。
この人が近所にいたらいいなあ、と
何度も思った。
五郎さんによれば、プロとしてやっていた頃は超絶のビンボーで、
裏切られたことも、裏切ったこともあるし、
もちろんスランプなんて数えきれないほど経験しているという。
「人生が軌道に乗っている」と感じられたのは
ほんの最近のことではないかと思うくらい、
五郎さんの人生は傷だらけだ。
しかしおそらく、その経験の全てが、
サイクリストたちへの目線に生きている。
しかも言葉に衒いや嘘が一切ない。
そんな人と走れるのは、なによりの安心感があるのだろう。
何にも隠す必要のない安堵感。
全力には全力で返してくれる達成感。
それが五郎さんと走る「楽しさ」なのかもしれないなあ、と
数少ない五郎さんとのライドを思い返しているのだった。