自転車ひとり旅★

自転車大好きなTVディレクター日記。

滋賀→岐阜→富山→新潟→長野。

2023年11月27日 15時12分48秒 | おしごと日記



車で移動しては
そのエリアを走る
そしてまた移動


走る時には 仮のテーマを設定してスタート
その視線で見た時に そこで何が撮れるか?





私は観光地が苦手だ
そこには「暮らし」や「本音」が無いから
でも旅番組って本来は
楽しい観光地を巡るものなんだよなあ(笑)




女の子2人のバス旅行なら話が作れる行き先も
男ひとりの自転車旅だと 話にならなかったり
旅人が鶴瓶師匠なら 走る距離はひとつの村内で十分だが
他人やその土地に興味が薄く 話を引き出せない旅人だと
行き先を選ぶために 200km以上の距離が必要になってくる





シューズを新しくした
シマノのグラベルシューズ
RX8 海外限定モデル

前のモデルは4年ぐらい履いた
ロケで歩き回るために
靴底がツルツルになってしまった


円安で高くついたけど また仕事で数年使うと思うと
少しでもテンションが上がるものが良い





滋賀から岐阜を経て 富山にたどり着いたとき
そういえば木の芽峠の前川さんちが近いはずだと調べたら
今年の3月に永眠されたと書かれていた





福井の歴史旅で出会った前川さん
もっちゃんが「ビョウビョウビョウ!」と
狂言の犬の鳴き声を叫んでいたら
「誰だ変な声出してるのは」と怒られた人だ(笑)





平清盛の直径の子孫だと言い伝わる前川家
調べると 江戸時代の記録にすでにその旨が書かれていた
本当に平氏の子孫なのか大掛かりな調査が入った記録もあった
その報告によれば 家屋は江戸時代初期ごろのもので
前川姓になったいきさつなどを含めて 平家直系である可能性は「あり得る」ということだった

よく疑われるのだろう
前川さんは私に 平氏であることを証明しようと
ここには書けないようなものも見せてくれた
でも私にとって 清盛の末裔かどうかということよりも
ガンコだけど優しい前川さんが魅力的だった





私は3回 前川さんちを訪ねている
毎回 裏山で汲んできた清水でお茶を淹れてくれる
そして必ずお茶請けは おせんべいだ
3回中2回が「雪の宿」で
それ以来 私は「雪の宿」が忘れられない味になった





会いに行くたびに「心臓が悪くて体が動かん」とボヤいていた

「でもな 龍神さんのお告げによれば 99までは生かしてやるということでな」

そう言って胸の辺りをさするので 私は

「あと15年しかないじゃないですか。龍神さんにもうちょっと長くしてもらえるよう頼んどきますね」

とジョークを言うと「えへへへ」と
顔をくしゃくしゃにして笑ってくれた



だが 99に届く前に亡くなってしまった




もう一度会いたかったなあと思う
でも私は会いに行かなかった
ようやく今日がチャンスだったのに
もう会えない人になっていた


今からお供え物を持って 線香をあげに行ったところで
何もならない
生きているうちに 前川さんが素敵であることを
もっと伝えておきたかった







私は 人のことを少しでも多く褒めることにしている
少しでも優れていたら それを伝える
自分がいつ死ぬか分からないし
相手もいつ居なくなるか分からないから







誰も来ない畦道の交差点で
立山連峰からの風に吹かれながら
ずっと考え事をしていた


出演者のやりたいこと
視聴者の見たいこと
出会った人が見せたいもの
私が撮りたいこと
それが交わらないと 良い番組はできない




はあ…難しい(笑)
ディレクターは 悩める生き物である







食事をしながらも 黙々と考え事をしているので
店主が心配して声をかけてくれた(笑)








道中で入った温泉

露天風呂が丸見えすぎて
かえって気分がすがすがしい(笑)






自動車の走行距離 1300km
自転車の走行距離 420km



今回立ち寄った多くの店が
今週で冬休みに入ると言っていた
次に来られるのは 春以降
それまで元気で生きていこう













ビワイチと狂言鑑賞。

2023年11月25日 23時11分07秒 | おしごと日記
この日だけは死守せねばならなかった
それは 悪友・茂山宗彦氏(以下もっちゃん)の
ここ一番という大舞台の日だ


場所は滋賀・大津の伝統芸能会館
開演は14時
せっかく行くなら 走ったことのない道を見て
いろいろと考える時間にしたいと
ビワイチ200kmの途中で狂言を観ようと決めた


深夜に東京を出発
420kmのドライブで醒井宿に到着
さあ出発と思ったら





どこから嗅ぎつけたのか
伊織くんが待っていた(笑)


伊織機関車の先導で 初のビワイチへ出発★




ビワイチのコースは ほとんどが幹線道路
だが 対策はしっかり考えられていた





車道の真ん中に青線が引かれていて
自転車の存在を大きくサポートしてくれる

走る自動車も分かっていて
対向車がいるときは 後ろでしっかり待ってくれるし
追い抜くときは大幅に避けてくれる


ここは自転車が認められた道だと感じる






湖北の景色は素晴らしかった
数百年前の人たちも同じ景色を見ていたと感じられて
テンションアゲアゲだ



走りながら伊織に 普段私が見ているものを解説した
集落がその場所にできた年代と理由
育てている作物と土地の特徴
京都が近いことの文化的な影響

だが伊織は歴史がからっきしで(笑)
浅井長政を知らなかった
マニアックな話をしてゴメン(笑)



無補給で120km
大津に到着





バイクは会館裏の茂みに隠した






今日の公演のチケット
もっちゃん トランペットはね
ほっぺたを膨らませたら音が出ないよ(笑)



タイトルは「リサイタル」と軽めだが
演目は超重い「花子」という大曲だ

これを演じたら狂言師として一人前と言われるもので
もっちゃんは2009年に演じている
当時 駆け出しディレクターの私は
1年半前から 家族旅行についていくほど茂山家に入り浸って
「花子」を演じるまでのもっちゃんのドキュメンタリーを作り
NHKのハイビジョン特集で放送された


あれから14年
どんな「花子」を演じるかとドキドキしながら観たが
もっちゃんの「花子」は 素晴らしく進化していた


当時のもっちゃんは必死のパッチで
人間国宝で祖父の千作さんから
「ゆっくり面白うやれ」と言われていたが
まさにその「ゆっくり面白う」演じていた


それも もっちゃんにしかできない 独特の「間」で


ひとつの芸を45年続けるとは
こういうことかと ドキドキした





自転車に乗ってる時の あのへっぽこなもっちゃんは何処へやら(笑)


すごい人を悪友に持ったもんだ









喫茶店で食事をしていた伊織と合流し 湖東を北上する



大津を出ると すぐに日が暮れて
そして暗闇の道の段差で 伊織がパンクした





「伊織 チューブ持ってるか?」
「当たり前ですよ!」

と勢いよく取り出したが
バルブが短くて使えないチューブではないか(笑)



仕方なく私のチューボリートとCO2ボンベを差し出した





ビワイチ 199km
TSS 258


ありがとう伊織
楽しかったよ









次の日は 関ヶ原周辺の山道を走りながら
頭の体操をする日


私は番組を作るとき
半年以上前から考え始める

誰と?
どんなテーマで?
どんな場所を?

来年も番組が継続されるかは分からないけれど
今から考えておかないと間に合わない
だから今回の遠征で 実際に走りながら
いろいろと考えておきたかった





実際に走ると 関ヶ原という場所が
いかにすごい場所かが分かる
東西南北に延びる街道沿いに 大きな宿場がいくつも残っていて
かつては大勢の人がここを行き来した気配がする
今は小さな古戦場の町だが
かつては新宿駅のような ハブとなる場所だったのではないかと思えてくる
(写真は関ヶ原近くの山間の集落)





食事しながら 地元の話を聞く
その土地で醸成されてきた空気が だんだんと分かってくる





誰もいない山道で パンクした
小さな尖った石が刺さって
スローパンクしていた


「ハッ」とした



しまった…
昨日チューブをあげてしまったんだった…






チューブレスタイヤでも
パンク時はチューブを入れてしまうのが早いのたが…





慣れないので30分かかったが
チューブレスキューでなんとか直した


CO2ボンベも1本になっていたので
失敗したらヤバかった




旅は続くが
もうパンクできないぞ(笑)











河内賞。

2023年11月18日 00時37分58秒 | おしごと日記
大先輩からメールが届いた



20年ほど前 私が入社したころ
会社のトップに君臨するディレクターが2人いた
1人は視聴率70%を超えていた頃の紅白歌合戦のディレクターで
ビートたけしさんのことを「武ちゃん」と呼べるような人
もうひとりはドキュメンタリー系のあらゆる賞を受賞した人で
名前を河内さんと言った
10年ほど前 70歳を過ぎたころに引退され
それ以来消息を知らなかったが
その河内さんから 初めてメールをもらったのだ



内容は 五郎さんの高知の旅を見た感想だった


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番組づくりから離れ、ひとりの視聴者として過ごしておりましたが、久々に出会えた素敵な番組でした。
ドキュメンタリーなのにファンタジックで、それいでいて作り物ではない。作り手の感性を押しつけず、それでいて、登場人物たちへの細やかな配慮が、番組からは自然に伝わって来ました。
シーンをを無理に作り込んだりしない意志、相手の状況に合わせた自然さ。ことばではなく、映像そのものに語らせたカット。恐らく、林さんが持っておられる「他者への尊敬と思いやり」が、素直に心に響いてきたように思われます。
(一部抜粋)
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驚いた
うれしくて涙が出た



めったに褒められない私が
あらゆる番組を見てきた河内さんから褒められる日が来ようとは
思いもよらなかった




だが
嬉しさと同時に 私には分からないことがあった


「そんなに褒められるほどの作品だったのだろうか?」


・・・・・・・・・・・


学生のころ 私は世の中に「絶対」というものがあると信じていた
絶対的に美しいもの
絶対的に素敵な人
誰もが否定できないものが 世の中にはあると信じていた


だが 年を経て
そう信じる情熱とエネルギーは擦り減って
世の中に「絶対」なんて無いと思うようになった


自分の作る番組が「絶対良い」と思ったことは1度も無く
「自分は好きだが 他の人にとっては不要かもしれない」
ぐらいに思っていた


だから 河内さんが褒めてくれたことが
不思議で仕方なかった





ひとつだけ思うのは
私は番組を作るとき せいいっぱいの愛情を込めている
旅してくれた五郎さんへの愛
取材させてくれた鍛冶屋さんへの愛
もしそれが番組から感じてもらえたのなら
良い番組だったのかもしれない




私は 自分が何かの賞をもらうことはないと思っている
偉い人から褒められることも 最初で最後だろう
だからこのメールを「河内賞」と名づけることにした(笑)


自分で自分に言う寂しさはあるが
河内賞の受賞 おめでとう!
そう口に出すと 少しだけ自分に自信が持てる気がした

沖縄2023。

2023年11月13日 22時55分04秒 | 自転車
例年通り 木曜日に沖縄入りした






今年の沖縄で レースからは身を引こうと思っていたので
人生最高の体調で上陸したかったが
その領域に届いていないことは分かっている


6月 8月と体調を落とし
まったく走れない状態で青森の超ロングを走り
体がぶっ壊れてしまった
なんとか回復して だいぶ戻ってきたと思うのだが
果たしてどうか



常宿の「ペンションビセザキ」に着き
すぐに試走に出かけた





自分はどうしても フルもがきで仕事をしてしまうタイプで
体力温存して現場を終えることができない
ロケにでれば必ず灰になって帰ってきて
数日間歩くことも困難なぐらい ふらふらしている


その上レースも走るのは
おっさんの体には負担が大きすぎる



本気でトレーニングをして 全力でレースを走らないと
選手たちの気持ちをナレーションに落とし込めない
そのためにレースを走ってきたが
今年はちょっと限界を感じたのだった




↑撮影:伊織くん


最後の仕上げインターバル
90秒350Wを4本
追加で2分360Wを1本
これが今の全力だ


でも あの150Wすら出せなかった状態から
よくここまで戻ってくれたと思う





雨宿り





右:伊織くん
左:ワタシ

友達が贈ってくれたソックスを履く


木曜日に現地入りしても
撮影に追われて あっという間に日曜日がやってくる


レース前というのはなぜ
あんなにあっという間に時間が過ぎるのだろう?
普段は「あっという間に」なんて感じたことがないのに





そしてレース当日
天候は雨
鼻水が出て 痰が絡みやすかったので
薬局で「激しい運動をしても大丈夫なもの」として買った
「ストナ去痰カプセル」を飲んだ
残念ながらドーピングには引っかからないやつ(笑)



7時23分 レーススタート
今回は最後のレースなので 男子部ジャージで出走した
男子部ジャージを着ていると メンバーと間違って撮影してしまうので
カメラマンに嫌がられるのだが(笑)
今回はニコニコしてもらえた
カメラマンの皆さん ありがとう




走りながら 今日の調子はかなり良い気がした
これは2度目のフンガワも着いていけるかもしれない
…と燃えていたら
ガーミンくんから告げられた今日の体調は「-3」だった(笑)
こういう時は 盲信的に良い方を信じるべし
根拠のない自信というのも 人生に必要だ(笑)



70km地点 フンガワ1本目
5分経過し 平均288W(体重の5倍)
このペースなら最後まで行けると思っていたら
まさかの出来事が起こった
気管が狭くなったように苦しくなって
喉がヒャーヒャー鳴りだし
酸素がまったく取り込めなくなってしまったのだ



そして 上り始めてたった7分で集団から千切れ
今年の沖縄が終わった





この症状は 人生で2度目だ
1度目は3年ぐらい前の乗鞍本番
あの時と同じ条件を洗い出してみると
去痰カプセルのような気がする
あれほど本番で普段やらないことをやってはいけないと
伊織に言い続けてきたのに(笑)





雨で寒いし
まだ130kmも残っているし
リタイアしようと ちんたら走っていたら
同じく千切れたエンシェアの嶋田が
「行きましょう」と
ああそうだ 僕には他にも人体実験が残っていた
参加費35,000円ぶんの実験結果は持ち帰らねばならぬ(笑)
気持ちのスイッチを入れ 4倍で淡々と上った



下り坂
ここで面白いことが起こった
千切れてから 10人ぐらいの集団で走っていたのだが
まったく漕いでいないのに 他の選手を置いて行ってしまうのだ

下りで先頭にいると 後ろをいつも置き去りにしてしまうので
集団の人から「後ろを見てください!」と叱られたのだが
漕いでないのだから仕方ない(笑)
エアロフレームというのは ここまで速いものかと驚いた


さらに ホイールのZIPP353がすごかった
空力良いうえに幅広(内幅25mm)&フックレスで
落車祭りだった雨の下り坂でも安心して走れた


そして実は 沖縄に向けてある人体実験を続けていた
それは「低酸素室」だ


去年の末 自宅に低酸素室を作り
就寝時間をそこで過ごした
肝心の沖縄では 速攻で千切れてよく分からなかったが(笑)
体調を落とす前の5月の段階では
5分〜20分のパワーが例年よりも2〜3%ほど高かった


私は睡眠時間が3時間ほどなので 効果が薄いと思うが
8時間以上寝られる人なら 効果絶大かもしれない
お金でタイムを買うなら フレームに投資するより良い気がする
おかげで今年はビンボーで お金のやりくりが大変だったが…



今年は気持ち悪くなることもなく
脚も攣らなかった
気象条件がまったく違うので 単純比較できないが
補給食の研究が実を結んだかもしれない
これはもう少し研究してから書こうと思う



6時間10分38秒(トップから45分遅れ)
110位/238人



ゴールすると 男子部のメンバーたちが迎えてくれた
ポンコツなんだけど みんな超人的な体力の持ち主で
純粋でとても信頼できる ダイヤのような人たちだ
そんなチームに メンバーとして走らせてもらい
感謝しかない
彼らと話していたら いろんな思いが込み上げて
泣いてしまった




男子部がどんなレースをしたかは
番組をお楽しみに
きっと良い番組になると思う



別れ際 五郎さんと話した
「また気が向いたら 旅したりレースに出ましょうね」と
五郎さんは顔をくしゃくしゃにして 笑ってくれた






影の男子部員マー君(右)と
番組スタッフとしてアルバイトしてくれていた宮田くん(左)
宮田くんとはレース中ずっと一緒で 何度も勇気づけてくれた
超ナイスガイなんだけど 大学出たあとプー太郎してるらしい(笑)
自分の道を見つけて 頑張ってほしいなあ




さあ 最後のレースが終わって
次のことを考えなくてはいけませんが
その前に 今年もガマンしてきた焼きギョーザ食べます!

戻ってきた。

2023年11月06日 13時10分49秒 | 自転車
仕上げのインターバルを 週に3回続けている


3連休のうち2日をなんとかこじ開けて
栃木の太平山へ
自分の調子を見るには 走り慣れた道じゃないと分からないことが多い






調子が悪くて 気分が落ち込んでいる時は
得意なことをやった方が良い気がして
2分のメニューを90秒に変えた





金曜日 太平山 90秒350Wを8本
土曜日 ローラー30秒565Wを5本


パワーの上限を伸ばすのではなく
体への刺激入れなので
効果のある数値の下限に近い数値でやった



すると日曜日
乗り始めた時にガーミンが出してくれるコンディション値が
ついにプラスになったではないか




この数値 自分のVO2Maxとの乖離率だそうで
ずっとマイナス6とか9だったのが
ようやくプラス2になったのだ




長くて暗いトンネルを やっと抜けた気がして
うれしかった





日曜日は再び太平山で 90秒350Wを4本
ケイデンス110で5分を2本



ようやく戦える体に戻ってきたが
大きな反省が一つある
それは今年 ケイデンス(ペダル回転の早さ)を低めばかりで走ってきたことだ


長距離耐性を育てるL2(自分の場合180W前後)をやる時に
パワーが低いとペダルにかかる体重が減るため お尻が痛くなる

だが超ロングを走る際は お尻の痛みは大敵なので
ケイデンスを遅めにして トルクを高めることでペダルへの荷重を確保してきた
すると いざレースペースで走るときに ケイデンスが全く上がらなくなっていた


もともとケイデンスを高めで走るのが得意だったので
いつでもできると思っていたが
やはり体は刺激がないと忘れて行ってしまうものらしい…


長いレースでは ケイデンスを変えることで
使う筋肉も変えて 疲れが1箇所に集中しないようにするのだが
今年は(今年も)足攣りとの戦いになりそうだ(笑)







帰宅して 3000km走ったタイヤを本番仕様に変更
今回はコンチネンタルのGP5000Sでいく


チューブレスは はめる時が地獄の苦しみだったが
フックレスになって超楽チンになった
はめるのも外すのも レバー要らず





ビードを上げる時は バルブコアを外しておくと
一気に空気が入るので楽だと
日本代表チームのメカニックが教えてくれた
確かに普通のポンピングだけで行けた


シーラントは 普通のにするかマクハルにするか迷ったが
1Wを削減しないといけない ボーダーラインの私は
マクハルで行くことにした



体重は57.5kg
これだけは調子悪くても維持してきたので
あとは風邪をひかないように気を付けるだけだ



他にも まだ誰にも言ってない秘密の特訓を続けてきたのだが
その成果を試して良いだけの条件には持ってこられたかな…
成果が出たらお知らせしますね




ここまでやってきて
レース当日 モトに乗ってカメラマンやることになったりして(笑)